氷見海岸道の駅で朝を迎えました。
昨夜買っておいたバターロール片手にハンドルを握り、富山湾に沿って国道160号を北へ向かいます。
車の旅では、朝食はいつもこんなふうに済ませます。
せっかく見知らぬ土地へ来たのですから、ありきたりの朝食などに時間を割いていては勿体ないじゃありませんか。
朝陽を浴びた紅梅が列なす国道を、潮風を車内へ取り込みながら、のんびりペースで車をはしらせます。
事故でも起こせば、楽しい旅も台無しですから、一旦走り出せば、はやる気持ちは封印します。
しばらく進むと、国道の左手に誰かの銅像が見えてきました。
車を停めて近寄りますと、浅野総一郎の像であることが分かりました。
浅野総一郎は1843年(嘉永元年)、今から170余年前に氷見郡薮田村の医師の長男として生まれ、東京へ出て浅野セメントを創業し、東京から横浜にいたる京浜工業地帯の形成に寄与し、巨万の富を成した実業家です。
しかし成功するまでに何度も失敗を繰り返したため、像の台座には「九転十起の像」と記されていました。
浅野総一郎が生まれた6年後にペリーが久里浜に来航しています。
その頃、横浜は粗末な漁師小屋が点在する漁村だったのですから、そのことを思えば、当時のこの辺りの光景が容易に想像できます。
筆者は横浜生まれですが、思いがけないところで、生まれ育った郷里の復興に携わった人物に巡り会うことができました。
話しは少し脱線しましたが、今回の旅は、氷見の古木椿を訪ね歩くことが主目的で、氷見の丸山さんから送って頂いた詳細な資料に、丸山さんお勧めの椿にマーカーでチェックを付けて持参しました。
ネットの地図検索ページなどを使い、それらを訪ね歩くルートを事前に作成しましたので、そのプラン通りに車を進めて行きます。
最初に訪ねたのは、氷見市薮田の穴倉家墓地のヤブツバキです。
波打ち際をはしる国道160号と、海岸のテトラポットの狭間に民家が並び、
その民家の背後、国道を渡た先に、20mほどの高さの小山へ登る階段を見つけました。
階段を登りながら後ろを振り返えれば、昇る朝陽が静かに、豊穣の海を照らしていました。
海に輝く朝日を見たくて、このルートを設定しましたが、思惑通りの展開になっています。
石段を登り進んでゆくと、見事な椿林が陽の光を受け、木肌を輝かせていました。
雨風に洗われたコンクリートの上で、朱色の椿が黄色い蕊の華やぎを見せて、笑顔をほころばせていました。
石段を登り詰めれば、椿の古木が風雪に耐え身を捩らせています。
もしかすると、浅野総一郎が寒村に志を立てた頃に花を咲かせていた樹齢の椿かもしれません。
潮騒の中で、沈丁花が春の香を放っていました。
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