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氷見市余川のツバキ

2017-09-11 18:30:25 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 北八代の松沢家を訪ねました。




 個人のお宅の墓所ですから、玄関の呼び鈴を押して訪問理由を伝え、ツバキを見せて頂きたい旨をお願いしました。


 すぐにご了承を頂き、ご自宅裏手の墓所へとご案内を頂きました。

 

 目通し140㎝の単幹の巨樹で、端正な樹形は墓守りにふさわしい風格を漂わせていました。


 幾世代にも亘る、松沢家の安寧な暮らしを代弁するかのような、見事なツバキでした。

 

 


 
 次に訪ねた余川の興聖寺は臨済宗の禅寺で、開山の念仏仏であったとされる聖観音菩薩坐像が氷見市の文化財に指定されています。


 お寺のご自宅を兼ねる庭に木が見えたので、玄関で声を掛け、ご住職の許可の下、ツバキを拝見させて頂きました。


 3本の株立ちツバキは県下最大級の富樫白(ユキツバキ系品種)です。


 白色中輪の八重咲き割しべで、花弁の基部は黄色みを帯びます。


 花糸も白くなく、ヤブツバキと全く異なる表情を見せていました。

 

 


 
 ご住職から、庭のサルスベリは幹回りが1mを超える巨樹なので、是非見ていって下さいと言われました。


 確かに見事なサルスベリで、今でも季節になると花を咲かせるそうです。


 サルスベリは中国南部原産で、300年程前に日本に入ってきたとされますが、江戸時代から日本海側を往来していた北前船が、当時としては珍しい花木を氷見にもたらしたのかもしれません。

 



 ご住職にお礼を述べて興聖寺を後にし、次に余川杉谷家のツバキを目指しました。


 丸山さんの資料には、「余川杉谷家のツバキは屋敷跡に佇む」と記されていますので、ナビの入力場所に着いたとしても分かり難いだろうと考え、探す作業の前に、道行く人に尋ねてみました。


 杉谷家の屋敷跡は、市道脇のネギ畑奥の、木立の中に埋もれていました。

 



 畑の先へ進んでゆくと、竹や雑木が覆いかぶさる藪の中に、僅かに紅色の花を付けたツバキを確認することができました。


 丸山さんが調査されたのは平成19年ですから、その時からすでに10年の歳月が流れています。


 ツバキは目通し128㎝の巨木ですが、あと10年も経てば、周囲の殆どを竹などに覆われてしまうかもしれません。

 

 


 
 杉谷家の屋敷跡のツバキを見終えて時計を確認すると、17時に近づいていました。


 今夕は、丸山さんを紹介してくれた、氷見ツバキ愛好会会長の川本さんにご挨拶に伺う心積りをしていましたから、今日の氷見のツバキ巡りをこの場所で終わらせることにしました。


 氷見市街に戻り、川本さん宅にご挨拶に伺うと、氷見ツバキ愛好会が世話をする、氷見ふれあいの森のつばき園にご案内を頂きました。



 川本さんは新幹線が通じるまで、金沢駅の駅長を務められたそうですが、定年退職された今でも、夏につばき園で潅水や下草刈りに汗を流されるそうです。


 楽しそうにツバキのお話をされるときの、満面の笑顔にお人柄が窺えました。


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中山家熊野権現のツバキ

2017-09-11 14:28:28 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 胡桃地区に来たのは、中山家熊野権現のツバキが目的ですが、ナビを頼りにはしって来たものの、周囲にそれらしきものが見当たりません。


 火神社の道路を挟んだ向かい側の、農作業用の建物で働いていた方に、丸山さんの資料を見せながら、中山家熊野権現の場所を尋ねました。


 年長者の方が、それなら、道を少し戻った、リンゴ畑の脇道を入った場所と教えて頂きましたが、


 「え・・! 東京からわざわざツバキを見に来たの? 」と非常に訝しげな表情で見られてしまいました。


 そうですよね、氷見市街からも結構な距離の山ですから、こんな所にツバキを見る為だけに東京から人が来るなんて、俄かに信じがたいのかもしれません。


 教えられた通りに、リンゴ畑の横の畦道を進み、2mほどの高さの崖下を回り込むと突然、目の前にツバキの森に包まれた小塚が現れました。


 足に絡まる葛の蔓と、ススキの枯葉の中を、塚に向かって近づいて行きます。




 斜度の緩い東側の斜面に回り込むと、塚の頂きに小さな祠が見えてきました。


 祠を包み守る、幾本ものツバキの巨木が塚の頂きで枝葉を広げていました。


 椿の花が、斜面の至る所に紅を射し、幾年もの間、朱色の花弁で染められた続けた塚の斜面は、赤味を帯びています。

 



 一歩ずつ祠へと近づゆきますと、株立ちとなって枝を広げたツバキの梢の狭間から、根が走り広がる祠の周囲へ、西日がちらちらと光のリズムを奏でていました。

 



 一人では抱えきれぬ程の太さの、株立ちツバキの枝々が祠の周りに柔らかな曲線を描いています。


 ツバキの根が、地を這う大蛇の装いで、邪悪な物から祠を守っていました。




 祠の周囲の、鈍色の枯葉や小枝が作る褥の上へ、5弁の椿が散り落ちています。


 傷み始めた朱色の花弁に包まれ、最後まで品性を失わない健気さで、目に刺さるほどの白さを保った花糸が鬱金色の葯を掲げていました。

 



 幻想の椿の中で、どれほどの時を過していたのでしょうか。


 去りがたい想いで、塚を下り振り返ると、熊野権現のツバキの杜が、西に傾く斜陽を受けて、現世とは異なる世界を垣間見せていました。



 

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地すべりと共生する里山

2017-09-11 11:27:55 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 白川地区で八幡社、高嶋家の大椿を確認し


 

八幡社                高嶋家


 五十谷(いかだに)地区へ向かいました。


 県道70号線をはしり、なだらかな丘陵地帯を上ってゆくと、緑に包まれた菖池家墓地が見えてきました。


 この辺りは昭和52年(1977年)3月に大地すべりが発生したことで知られています。


 警戒と対策協議のために集まった70余名の人々を乗せたまま、幅200~250m、長さ1200m、面積34haの規模の大地すべりが発生したそうです。


 丸山さんの資料には、そのような地区にあっても菖池家墓地は被害を免れたと記載されていました。

 



 車を路肩に停めて近づきますと、ツバキの古木群が杜をなしていました。


 石面が崩れて字が読み取れない墓標もありましたから、百年以上の歴史を数える墓地なのかもしれません。


 それにしても、鬱蒼とした緑に包まれた墓地は、たまに大地すべりなどが起きたとしても、安泰な暮らしが続いてきたことを示すように思えます。


 何とも、見事な樹幹のツバキではありませんか。

 

 


 
 前方に石川県との境をなす宝達丘陵の峰々が横たわります。


 車は標高200m程と思える、尾根と谷が入り組む道を縫い進んでゆきました。

 


 磯部の永徳寺のツバキは桃色一重椀咲の中大輪で目通し175㎝。


 10月から4月にかけて花を咲かせ、地区を代表するツバキと評されています。

 

 


 
 磯部神社の社叢は氷見市指定の天然記念物に指定され、


 掲示板には「標高約100m。高木層はウラジロガシが優占し、参道にはスギが並び、低木層はヤブツバキ、ヒメアオキ、シロダモがみられ、社叢西向きの正面には大きなフジが高木にからみ、花期には紫色の長い花序を垂れたフジの花が見られる」と記載されていました。

 

磯部神社

 

磯部神社のツバキ等


 

磯部神社の鳥居        磯部神社のフジ



 磯部から針木へ回り、長家の白ツバキを訪ねた後で、

 

 


  
 胡桃地区に向かいました。


 胡桃地区は宝達丘陵の南東に位置しますが、この場所でも昭和39年(1964年)に大きな地すべりが発生し、わずか3時間ほどの間に、87戸の胡桃集落を一挙に壊滅させたそうです。

 

 地すべりは7月16日の正午頃に発生し、東西約500m、南北約1500m、面積70haの広大な山地斜面が崩壊・移動したようです。


 日中だったこともあり、幸いにも村人は難を免れ、死傷者は全く出なかったそうです。

 



「地すべりと共生する里山の地域づくり」の標示を目にした場所に、火神社がありました。

 



 社殿の周囲を壮齢のツバキが覆い、

 

 


 
 杜の周囲に、白いキクザキイチゲの花が揺れていました。



 

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