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氷見海岸のミカン畑

2017-09-08 21:27:16 | 氷見に椿古木を訪ねる


 国道へ戻ると、右手の海岸の先に何かが見えています。


 車で行けるところまで行って、徒歩で近づきますと、社が姿を現しました。

 



 その後の崖の下には洞窟が口を開き、その中に祠が見えます。

 



 解説板の概要は、


 「国指定史跡 大境洞窟住居跡 大正11年3月8日指定


 この洞窟は大正七年(1918)白山社改築のため洞窟内の土砂を取り除いた際に、人骨、土器、石器等が出てきた・・・ 洞窟は標高約4mにあり、約七千年前の縄文期に波の浸食によって形成され、高さ8m、幅16m、奥行き34mで、一番奥には湧水がありました。


 日本で最初に発掘調査された洞窟遺跡です。」


 と記載されていました。

 



 遺物を含む地層は落盤によって六つの層に分かれ、調査の結果、縄文の文化層が弥生の文化層よりも下にあることから、両者の新旧関係を裏付けたそうです。

 



 第2層からは、奈良時代から平安時代の須恵器などが出土したと記されていました。


 奈良、平安時代といえば、修学旅行で訪ねた奈良や京都の荘厳な寺社のイメージがありますが、庶民の多くはこのような洞窟で生活していたのでしょうか。


 万葉集が編纂された7世紀後半から8世紀後半、文字を使う人達と庶民の生活の格差に気付かされました。


 洞窟を見学した後で、崖の上に上がってみました。


 目の前に穏やかな富山湾が広がっていました。

 



 そして、驚いたことに、海に面した坂道の途中でミカン畑を目にしたのです。


 ミカンは、和歌山や静岡の温暖な地域でしか栽培できないと思い込んでいたので本当に目を疑いました。


 丁度、農作業の手押し車を押して坂を上ってきた高齢のご婦人に、「この木はミカンですよね、この辺でミカンが採れるのですか」と尋ねてみました。


 すると、「この辺の海岸沿いは温かくて、昔から甘いミカンが生るんですよ」との答えを頂きました。


 そうだったんですか!


 雪国とばかり思い込んでいた氷見ですが、照葉樹の椿古木が多い謎が瞬時に解けたような気がしました。




 驚き、桃の木、山椒の木の旅を続けながら、


 次に、氷見市姿の白山神社のツバキを訪ねました。

 



 ここも場所が分からなかったので、通りすがりの小父さんに道を尋ねると、ご丁寧に神社まで案内をしてくれました。


 社へと続く石段の脇に、見事な椿枝を広げていました。


 幾輪もの艶やかな花が、枝先で笑顔をほころばせていました。


 この地方にはユキツバキとヤブツバキの交雑種であるユキバタツバキが咲くそうです。

 

 そのような目で白山神社の花を見ると、もしかするとこの木にも多少はユキツバキの血が混じっているかな~と思えます。

 

  


 美しい姿を保ったままに、朱の花が地を彩っています。


 散り落ちた後も、姿勢を崩さない品格が、ツバキの大きな魅力の一つなのです。

 



 道案内をしてくれた小父さんから「東京からわざわざ椿を見に来たの?」と聞かれたので、旅の経緯を説明していると、丁度そこへ、隣の民家から出てきた方に、


 「おい〇〇さん、この人は、わざわざ東京からツバキを見に来たんだってよ」と小父さんが声を掛けました。


 「へー 東京からわざわざかい、そりゃまたご苦労なこって。そんな価値があるんだ、邪魔くさいから切っちまおうと思っとったけど、切らなくてよかったな~」


 「ほんとよ~」と、お互いに顔を見合わせながら頷きあっています。


 「そうなんですよ、切るなんて言わずに、どうぞこれからも大切にしてあげて下さい」と、お願いして、


 「いいものを見せてもらいました、ありがとうございました」とお二人にお礼を述べ、白山神社を後にしたのでした。


 氷見海岸の道の駅を朝7時に出発してから約3時間、富山湾沿いの国道を北上し、氷見市北端の「脇」にやってきました。


 畑の横の畦道の先の斜面にヤブツバキが繫みを作っていました。


 どうやらこれが氷見市脇北島家の椿林のようです。

 



 丸山さんの資料には「4幹の古木を中心に約千本近く群生するさまは見事である」と記載されています。

 

 


 
 つい先ほど、大境の崖に育つミカンを見てきたので、紀伊半島先端の串本町大島の「つばき咲く道」を思わせる樹勢の椿林に、違和感を覚えることはありませんでした。


 

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万葉の里 ひみ椿物語

2017-09-08 14:50:05 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 薮田から車を10分程はしらせた辺りで泊共同墓地のヤブツバキを探しました。

 国道脇に佇む一軒の民家を訪ね、氷見ツバキ愛好会の丸山志郎さんの資料を基に椿の古木を訪ね歩いていることを説明し、泊共同墓地の場所をお尋ねすると、すぐに所在地を教えて頂くことができました。


 丸山さんの調査を基に、氷見市が「万葉の里 ひみ椿物語」というパンフレットを作成したこともあり、氷見の街で、丸山志郎さんのお名前を出せば、誰もが「ああ、あの丸山さんが調べた椿ね」と親切に答えてくれました。

 


 泊共同墓地は国道を見下ろす丘陵の突端で、富山湾に昇る陽の光を浴びていました。

 



 それらしきツバキが、墓地の片隅で紅色の花を咲かせています。


 丸山さんの資料には、「泊共同墓地 根元128㎝ 地上65㎝で2幹の古木」と記載され、目の前のツバキも腰の高さ辺りで二股に分かれていますので、この木に間違いはありません。

 

 

 
 泊共同墓地のツバキを難なく探し出せたことで、私は今回の旅が予定通り恙なく終わるであろうことの確信を得ることができました。


 ツバキの横で、ヒサカキが白い小粒の花を枝一面に咲かせていました。


 旅の目途が付いたことで、ツバキ以外の花木にも目を向ける余裕が出てきました。

 

 


 
 氷見市小境の朝日社叢は、国道脇に建つ鳥居の存在で、すぐにそれと分かりました。

 



 掲示板には、


 「朝日社叢 昭和四十年一月一日指定


 この社叢は、タブノキ、スダジイ、ヤブツバキ等の暖地性の常緑高木やアオキ等の常緑低木を中心に構成されている。


 スダジイ等の常緑広葉樹は、日本海側の北限分布域にあたり、イヌシデ等冷温帯で見られる落葉広葉樹も混交している。云々 富山県教育委員会」と記載されていました。

 


 金刀毘羅六権現の石碑の周囲に降り注ぐ、落ち椿が贅沢な光景を見せてくれていました。

 



 氷見市小境の髪塚は、昨年閉校になった氷見市立灘浦中学校の裏手に立つ標識で位置を確認することができました。




 高さ約180cmの自然石の石塔正面に、月輪と梵字「バク」、その下に「貞和三年□十五日」(1347年)と刻まれています。


 後醍醐天皇の第8王子である宗良親王が、この地の大栄寺で剃髪し、その髪を埋めたとされる髪塚だそうです。


 髪塚の周囲に、椿の古木が繫みをなしていましたが、海岸から少し奥まった場所の為か、この場所での開花はもう少し先のようです。

 

 


 
 氷見市大境の慈光寺に淡桃色の一重椀咲 中輪の椿があるはずなので、人気のない寺の裏手に回り、それらしき椿を確認しましたが、枝が剪定されていた為に椿花を確認することはできませんでした。

 

 前庭で梅の木が、幹を捩り、枝を伸ばし、青い空と白い雲を背に、桃色の花を咲かせていました。


 のどかな季節の、のどかな花の風情に心が和みます。

 

 

 

 紅の花を訪ねる旅は、春の日のぽかぽか陽気に恵まれ、微笑みの時を刻みながら、麗らかな道行を続けました。

 

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