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氷見市赤毛地区のツバキ

2017-09-16 23:17:38 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 仏生寺細越から赤毛地区へ向かいました。

 

 赤毛地区では中山家と中嶋家のツバキを訪ねます。


 県道29号をはしり、赤毛トンネルを抜けた先で右折し、大きな左カーブの道を下ってゆくと、ナビが目的地到着を告げました。

 



 路肩に車を停め、大きな農家にお邪魔すると、土蔵の横に見事なツバキが紅色の花を咲かせていました。
 

 


 周囲の空が杉林で仕切られています。

 

 お年を召したご婦人が、雪が消え残る庇の下で作業をされていました。


 ツバキを拝見させて頂きたいと伝えたのですが、意味が分からないようでした。

 

 



 アオキが斜面に葉を広げています。

 地を這うような樹形は、日本海側多雪地帯型のヒメアオキの特徴です。

 


 
 目の前のヒメアオキはまだ蕾を閉じています。

 

 東京の小石川植物園に植えられたヒメアオキは、毎年4月に入ると浅緋とでも言うべき色の花を咲かせますので、この辺りでの開花は東京より10日程も遅いようです。

 

 

赤毛中山家のヒメアオキ      小石川植物園のヒメアオキ


 
 中山家のお隣が中嶋家です。


 こちらのお宅も、見事な枝ぶりのツバキが枝一面に花を咲かせていました。

 



 庭のような、畑のような敷地のあちこちで、さりげない様子のツバキが紅色に花を咲かせていました。

 

 


 
 地に落ちたツバキの花を観察すると、花弁は開きぎみで、花糸が黄色く、筒部が短い等、ユキバタツバキの特徴を示しています。

 


 ヒメアオキが生育するような場所ですから、ヤブツバキは育ちきれないのかもしれません。


 こちらのお宅も見事な作りの住居ですが、お声掛けしても返事はなく、玄関先で猫ちゃんがのんびりと寛いでいました。

 


 

 氷見市赤毛の中嶋家を訪問し、氷見市ツバキ古木の探訪は当初の予定を全て終わらせることができました。


 この後、能登半島へ足を延ばし、七尾、珠洲、輪島のツバキ古木めぐりを予定していたのですが、天気予報が明日から続く雨を告げていました。

 

 それにもまして、2日半に亘る氷見ツバキ巡りで些かの疲労を感じていたので、今回の旅は一旦ピリオドを打つことにしました。


 この後私は、ツバキの資料を提供してくれた丸山さんのご紹介で、ツバキコレクター日本一の高岡市の木倉さんを訪ね、そのコレクションに圧倒され、

 

 射水港で海王丸を見ながら腹ごしらえをした後、帰路を辿る道へと車を進めたのでした。

 


 

 

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仏生寺細越地区のツバキ

2017-09-16 19:35:08 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 仏生寺脇之谷内から仏生寺細越地区へ向かいました。

 

 県道29号から分かれ、丘陵地を縫う細道を辿りますと、目の前に寂びた山村が見えてきました。

 



 集落に人影はありません。

 

 目当ての「田村家ヤスケ三昧椿」と「竹島摂翁頌徳碑椿」の所在を伺うため、ハトムギ加工場の看板を掲げた建物に入り、中の方達にツバキの場所を尋ねました。

 



 「竹島摂翁頌徳碑の椿」はハトムギ加工場の目と鼻の先にありました。


 頌徳碑の解説板には「竹島摂翁は明治43年以来村議会議員、村助役を務めた功労者で、昭和32年に藍綬褒章を授かった。」と記されていました。


 翁が好んだツバキが頌徳碑脇に植えられたそうです。


 根元110㎝、可憐な桃色八重のツバキが花を咲かせていました。

 

 


 
 「田村家ヤスケ三昧椿」のツバキも、ハトムギ加工場から徒歩5分程の場所に花を咲かせていました。

 



 ツバキの近くに「弥助三昧」に関する次のような解説が掲げられていました。


 語意は不明ですが、この地区を【弥助ザンマイ】と呼びます。


 細越に生まれた天才剣士 佛生寺弥助は16歳で江戸に出て、斎藤 弥九郎(前ブログ参照)の門下生となり、22歳で師範代、その後佛生寺流を名乗り諸国を道場破りに歩き一度も敗けなかったと記されていました。


 三昧とは、本来は精神を集中させる状態を意味しますが、平安時代以来、俗用で火葬場を三昧(さんまい)言い習わしています。

 

 三昧場(さんまいば)は墓地や死者の冥福を祈るためのお堂を指すことから、「弥助三昧」は、弥助の冥福を祈るお堂がある場所の意が転じて地区名になったのだろうと推測します。

 



 田村家ヤスケ三昧椿は今回の旅で見た、どのツバキよりも艶やかな表情を見せていました。

 

 


 最初にツバキの場所をお尋ねしたハトムギ加工場では、地域のご婦人達が、氷見細越特産のハトムギ茶の袋詰め作業をされていました。

 



 全てが手作業で、焙煎したハトムギをスプーンで10gずつティーバックの袋に詰めてゆきます。


 ツバキのことを伺うだけのつもりだったのですが、作業場に導かれ、ケーキを添えたハトムギ茶をご馳走になりました。

 



 細越では30年以上前の1985年からハトムギ栽培を始め、この加工場でティーバックやせんべいの加工をしているそうです。


 ハトムギ茶を初めて飲ませて頂きましたが、爽やかな味で、飲んだ後、喉と胃に何とも言えない清涼感が残ります。


 気に入ったのでその場で20包入りを買い求めました。

 



 即断で買い求めたのが嬉しかったのか、一人のご婦人が、であればと言って、12包入り(上写真左)を「オマケ」してくれました。

 

 するともうお一人の方が、では私も一パック、すると今度は別の方が、じゃあ私はこれ、と言って、はとむぎ煎餅をくださったのです。


 こんなとき、遠慮などすると失礼なので、勿論喜んで即断で頂戴致しました。

 



 仏生寺細越地区は21世帯ほどの小さな集落ですが、みなさん和気藹々と楽しそうにティーパックを作っておられました。


 高岡や氷見市街と10㎞以上離れた山里で、無農薬のハトムギを栽培しているそうです。


 お湯を沸かしたヤカンに1パック放り込むだけで簡単に美味しいはとむぎ茶が楽しめます。


 東京の有楽町交通会館のアンテナショップにも置いてあるそうなので、今度は銀座に出かけた時にでも、寄ってみたいと思います。

 


 細越地区から離れるとき、道路脇で、地域の方々のように穢れない素直な表情で土筆が背を伸ばしていました。

 

 ツバキの艶やと、伸びやかな土筆の表情が印象に残る細越地区でした。

 

 

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仏生寺脇之谷内のツバキ

2017-09-16 15:07:33 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 蒲田から仏生寺脇之谷内に向かいました。

 

 氷見と高岡の境をなす西山丘陵の尾根襞の中へ、仏生寺川の支流に沿って県道64号を進みました。

 

 たどり着いた仏生寺脇之谷内地区は、その昔、山伏の修験場だった天台宗の寺院があった三千坊山山麓の門前町だったそうです。

 

 最初に斉藤家のツバキを訪ねました。

 

 いつものように地域の人に道を尋ねながら訪れた場所は、土台だけが残る屋敷跡でした。

 


 

 丸山さんの資料に「幕末の剣豪 斎藤 弥九郎の生家」と記されていたので、このブログを書くにあたって調べますと、

 

 斎藤 弥九郎は江戸時代後期から幕末にかけての剣術家で、文化12年(1812年)満14歳のとき、親から1分銀(ほぼ1万円相当)を渡され江戸へ出立します。 

 

 旅の途中でアルバイトをしながら、野宿を重ねて江戸にたどり着き、旗本の家で住み込みの下働きを続けながら、20代で道場の師範代に昇進、その後、幕末江戸三大道場の一つである「練兵館」を創始します。

 

 この道場は、桂小五郎が熟頭を務め、高杉晋作や伊藤博文など、明治維新の原動力となる人物を数多く輩出したようです。


 時代は逆ですが、先にご紹介した浅野総一郎の話しを思い出させます。

 この地では、多くの人々が、古の時代から外の世界に目を向けていたのでしょうか。


 大伴家持などに代表される都との交流や北前船の運行などを通じて、外の世界に対する意識が醸成されていたのかもしれません。

 

 斉藤家のツバキは桃色 牡丹咲 中輪で根元131㎝と資料に記載されています。

 

 しかし、人の保護から外れて、自ら動けないツバキは、やがて笹や灌木の中に埋もれてしまう運命のようです。

 

 


  次に、仏生寺脇之谷内の尾谷家を訪ねました。


 「三千坊山」で検索しヒットした「三千坊山の案内板」には次のような記述がありました。


 「・・・脇之谷内は三千坊の参道あとが今も残っている。昔は参道には尾谷の茶屋があって参詣者に湯茶の接待をした家があったという。」


 地区の方に道を尋ねながら訪ねた尾谷家は蔵を備え、格式を感じさせる家構を見せています。

 



 尾谷家の方にご挨拶をして、ツバキを見せて頂くことにしました。


 ご自宅の裏に、根元135㎝の見事なツバキが真紅の花を咲かせていました。

 

 


 
 尾谷家の方が、そのツバキの根元に見える細い道が、昔は三千坊へ登る参道だったと説明してくれました。


 そして、尾谷家は昔、この道を通って三千坊に上る人達にお食事を提供していたとお話されていました。

 

 

 

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