堀田家のツバキを見終えると、ここまで案内してくれた方が、「氷見に来たら、是非、老谷のツバキを見て行って欲しい、近道があるのでご案内しましょう」と言って、車をはしらせ始めました。
考えていた順路とは異なりますが、ご親切を無下にするのも何なので、車の後を付いて行くと、暫くして脇道の入口に止まり、車の中から脇道を指で突く素振りを見せています。
私は車の中で一礼し、案内された山道を、老谷目指してはしり始めました。
予定を変更したので、日没までに目的地を回りきれるか不安でしたが、先を急ぐ旅でもないので、杉林が続く林道のドライブを楽しみながら老谷の大ツバキに到着しました。
このツバキも2010年3月に訪ねていますが、これだけの巨木はめったにないので、今回も丁寧に見せて頂くことにしました。
老谷の大つばきは昭和40年指定の富山県天然記念物です。
掲示板に次のような解説が記されていました。
「樹齢推定500年の日本屈指の巨樹で、3月中旬から4月中旬にかけて真紅の花を咲かせる。
幹回り3.47m、樹高6.6m、枝は東西8m、南北11mの広がりがあり、その面積は15坪に相当する。
地上80㎝で三本の幹に分かれ、その形状から「刺股(さしまた)の椿」の別名がある。
その昔、飢饉に苦しむ民のために城主に直訴した家老が怒りを買い、一族の男子が刺股処刑された。
この椿の所有者である伊原家から娘が嫁いでいたが、夫の死で悲しみのうちに亡くなり、墓標の代わりにこの椿が植えられた。
昨年の日付が記された氷見市ホームページには「樹高7.5m、幹周り3.89m、4月頃から花を咲かせる。」と記されていますので、今でも僅かずつ成長しているようです。
元は、幹が三本に分かれていたようですが、今は一本が枯れて、二股になっています。
雪に耐える為でしょうか、数多くの支柱が枝を支えていました。
ここで、老谷の大つばきに添えられた支柱を見ての感想を記しておきたいと思います。
ヤブツバキ、ユキツバキの分布状況から想像できるように、ヤブツバキにとって雪の影響は無視し得ないものと思えます。
私が通い続けている小石川植物園では、東京に20数㎝の雪が積もった2014年2月、日本ツバキ・サザンカ名鑑に霊鑑寺白藪椿と記されるシロヤブツバキが枝を折られ無残な姿を見せていました。
東京は数十年ぶりの積雪量でしたから、このことだけでの推測は少々乱暴ですが、ツバキの材が堅いことが、雪に対する耐性を欠く原因となっている可能性を考えます。
そしてもう一つ、今まで私は、大船渡の三面椿、群馬県秋畑の大椿、氷見の大椿群、与謝野町の滝の千年椿、宮崎県西都市の樅木尾有楽椿など、多数のツバキ古木を見てきましたが、そのどれもが、老谷の大つばき同様の傾斜地に育ちます。
京都の寺社など、幾つかの例外はあるものの、民家や神社など、あまり人の手を掛けずに育つツバキでは、根の周囲に水が滞留しないことが、主要な長寿条件の一つに思えるのです。
今回の旅でも、殆どのツバキ古木が傾斜地の中か、片面が傾斜地となる場所、あるいは小塚のような場所に育っていました。
全国のツバキ群生地であっても、青森県夏泊半島、伊豆大島や伊豆下田公園、足摺岬、天草の西平椿公園、長崎権現山展望公園など、それら全てが斜度のある地形です。
例外的に千葉県大原町の椿の里などは平たん地ですが、砂地で水はけの良い場所です。
多分、横浜こどもの国、伊豆小室山つばき園、京都舞鶴自然文化園など、そのようなツバキ園を設計した人は、上記内容を意識していた可能性があります。
さて、もう一つ余談です。
「刺股(さしまた)の椿」の刺股がどのようなものか分からなかったので、ネットで検索してみました。
リンクフリーのページを見つけましたのでご紹介します。
なるほど、です。
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