列車が釜石駅を発車すると右手にイオンと釜石グレーンセンターの白い建物が見えてきました。
イオンは総合スーパーですが、釜石グレーンセンターは飼料穀物を輸入供給する企業です。
グレーンは穀物を意味します。
釜石港は水深が深く、穀物を積んだ大型外航船が入港できる地の利を生かし、岩手県の畜産業を支えます。
そして列車は甲子川を渡りました。
甲子川を渡ると列車はすぐに釜石トンネルに入りました。
1857mのトンネルを抜け、小さな川を渡り、列車はスピードを緩め、平田(へいた)駅に停車しました。
平田は一般的に「ひらた」と読みますので、平田(へいた)の名の由来を調べると、アイヌ語で「ヘタ(海辺の平らな土地)」を意味するとの説明を見つけました。
平田駅を出た列車はすぐにまた、石塚トンネル(4670m)に入りました。
先のページで書いた通り、三陸海岸は西から山稜が海に迫り、幾多の川が刻んだ谷が水没してできた地形なので、それを南北に横切れば、トンネルが多くなるのは当然です。
そしてトンネルを抜けると必ず、青い海と緑の半島が視野に映ります。
しかし、猛暑の季節は、冷房が効いた列車が長いトンネルに入ると、窓ガラスの外側が水蒸気の幕で曇り、唐丹(とうに)湾の景色と唐丹駅を撮影することができませんでした。
唐丹駅を過ぎると列車はまた、熊の木トンネル、鍬台トンネルに入りましたが、次の吉浜駅に着くまでに窓ガラスの曇りは消え、車窓に吉浜湾の景色が見えてきました。
ところで、リアス式三陸海岸は入江と半島が鋸の歯のように連なるので、個々の湾と半島名を知りたいのですが、半島の幾つかは国土地理院の地図を眺めても記載されていません。
吉浜湾の南に伸びる半島もその一つですが、他の方のブログに「越喜来(おきらい)半島」との記述を目にしました。
通称名かもしれませんが、私もそれに倣うことにします。
列車は鍬台トンネルを抜ける間に釜石市から大船渡市に入りました。
ちょっと余談ですが、ちょうど大地震発生時に、釜石行きの列車が鍬台トンネル(3906m)を走行中でした。
緊急停車した列車の乗客2名と運転手はトンネルから徒歩で脱出し、列車は地震の3か月後、同じ運転手の手によってトンネルから無傷で脱出できたそうです。
吉浜駅から大船渡市三陸町吉浜の集落と吉浜海水浴場が見えました。
吉浜駅を出ると列車は、吉浜湾の南に伸びる越喜来半島の基部を横切ります。
山の狭間の平地に田畑が緑を広げていました。
小さなトンネルを3つ、そして羅生トンネル(1978m)を抜けると、三陸町越喜来(おきらい)の街と、その先に越喜来湾が見えました。
列車はそのまま三陸駅に停車しました。
三陸海岸の三陸町の三陸駅です。
どんな歴史や経緯があるか気になり「三陸町」で検索しました。
1956(昭和31)年に吉浜村、越喜来村、綾里村が合併し三陸村が発足し、1967年に三陸村が町政施行し、三陸町となります。
そして2001(平成13)年に大船渡市に編入され、大船渡市三陸町になりました。
ということで、浦和、大宮、与野が合併して、さいたま市と名乗ったのにも似て、特段の意味はなさそうですが、私は三陸町を瞬時に記憶しました。
越喜来湾の海岸にも、新たな防潮堤が築かれていました。
そんな光景をもたらした、あの日を忘れない為に、当地を襲った津波の映像がYouTubeで公開されています。
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