三陸駅を発車した列車から越喜来(おきらい)湾に注ぐ泊川河口の水門が見えます。
水門の裏に泊漁港が隠れ、越喜来湾に突き出た小さな岬に「越喜来の株椿」と称する、推定樹齢250年の大船渡市天然記念物の椿が育ちます。
筆者がテーマとする旅の一つは椿を訪ねる旅です。
いつかは「越喜来の株椿」を訪ね来たいと願います。
そんなとき列車の窓から、真っ赤な百日紅を庭に咲かせた民家が見えました。
海抜25m程と思いますが、民家は線路よりも高く、津波から免れた様です。
列車がトンネルを抜けて甫嶺(ほれい)駅に停車すると、駅横の、甫嶺川河口に水門が築かれていました。
甫嶺駅は築堤上にあり、東日本大震災時に、三陸鉄道の築堤が山側の家を津波から守ったとのことです。
列車は次に恋し浜(こいしはま)駅に停車しました。
この駅は1985年に小石浜駅の名で開設されています。
その後2008年に、この地で立ち上げたブランドホタテ「恋し浜」に因んで、駅名を「恋し浜」に改称したそうです。
恋し浜駅から、小石浜の集落と海を隔てた越喜来半島の山容(444m)が望めました。
この地区も津波に襲われずに済んだ様に見えます。
列車が恋し浜駅を発車し、長い第二白浜トンネルを抜けると、綾里(りょうり)湾や野々前漁港の景色が広がりました。
V字型で東向きの湾は、非常に高い津波が押し寄せるので、東日本大震災時は40.1mの津波遡上高を記録したそうです。
しかし、この湾奥地区は過去の津波の教訓を生かした日頃の対応で、家屋浸水や人的被害は出さなかったそうです。
列車はその後小さなトンネルを二つ潜り、綾里駅に停車しました。
駅前の広場に津波記憶石が設置されて、記憶石には「津波てんでこ」の字が刻まれています。
「てんでこ」は、てんでんばらばらを意味します。
津波が来たら他人どころか、親子もかまわず、夫々が必死で逃げろ、という古くからの教訓だそうです。
綾里駅を出た列車は2960mの綾里トンネルを抜け、陸前赤崎駅に停車しました。
列車の窓の下に何か建物の屋根が見えました。
三陸鉄道のHPに記された陸前赤崎駅の説明に、
「愛称:貝塚めぐり 東日本大震災後、釜石寄りに100mほどホームを移設して長い階段を改称しバリアフリー化を図りました。ホームから大船渡の街が遠望できます」と記されています。
「大船渡 貝塚」で検索すると、
大船渡市観光サイトに「気仙地方は縄文時代の遺跡が多く、貝塚の分布密集地域の一つで、大船渡湾岸には蛸ノ浦貝塚、下船渡貝塚、大洞貝塚などが見られ、陸前赤崎駅の近くの大洞(おおほら)貝塚は、縄文時代晩期の土器形式である「大洞式」が設定された遺跡として有名」の記載があります。
駅前の防潮堤の上に、県道が設けられていました。
陸前赤崎駅を出ると列車は、三陸鉄道リアス線最後の佐野トンネルに入りました。
全長2km程と思うトンネルを抜けると、列車は左へ曲がり、県道9号を横切り
盛川を渡りました。
そして列車は、15時05分 三陸鉄道リアス線163㎞の終着駅、大船渡市 盛駅に到着しました。
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