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日本山妙法寺へ

2014-04-14 12:23:51 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 

 湖の小島からレイクサイドに戻ったのが13時頃でした。

 

 

 湖の対岸の尾根を一瞥し、その高さが八王子の高尾山や札幌の藻岩山より低いだろうと判断しました。

 

 フェワ湖畔のダムサイドを経由すれば、日本山妙法寺へ1時間半から2時間もあれば十分に登れるだろうと判断しました。

 


 帰路は湖の対岸からボートに乗れば、夕方までに余裕を持って帰ってこれるはずです。

  

 私は小島から戻ると直ぐに、ダムサイドを目指し、ポカラ市街を歩き始めていました。

 

 

 

 路傍に、中南米原産のランタナが可憐な花を咲かせていました。

 

 ランタナは美しい花を咲かせますが、帰化植物として世界中に拡散し、世界の侵略的外来種ワースト100に選定されています。


 ネパールでも、ポカラへ来る途中、道路の横で砂埃にまみれ、大きな株に花を咲かせる姿を何度も目にしました。


 人家周辺で見る花は、ネパールの固有種は少なく、ランタナやブーゲンビレア、ハイビスカスなどの外来種が咲き誇っていました。

 

 

 ダムサイドの街を抜け、フェワ湖から流れ出る川を渡りました。


 あちこちにゴミが沈む川の縁で、お母さん達が洗濯に勤しんでいました。

 

 

 全ての家庭に水道は届いていないのかもしれません。

 

 うっすらと汗ばむ陽射しの中で、タンセン方面へ、単調な道を20分程も歩き続けました。

 

 

 パタレ・チャンゴという観光地の先で、右手の丘へ登る坂を見付けたので、道行く人に「ワールド・ピース・パゴダへはこの道ですか?」と確認し、坂を登り始めました。

 

 

 途中で振り返ると、先ほど歩いてきた道とフォクシン村の後にそびえるピークが見えていました。

 

 

 蛇行しながら登る坂の途中で、進路の左手に、尾根上へショートカットできそうな階段を見付けました。

 

 

 石段が続く小道を登り続け、

 

 何度も振り返りながら、その都度変化する景色を楽しみました。

 

 

 丘の上へ登りきると、左手の頂きに日本山妙法寺のパゴダが見えていました。

 

 

 

 尾根上の踏み分け道を辿りますと、山門の前に出ることができました。

 

 

 山門の横に、開門は朝5時半から夕方の17時半と表示されていました。

 

 この時が凡そ15時半でしたから、レイクサイドから約2時間半かけて登ってきたことになります。 

 

 境内への階段を登って行くと、午後の陽射しを背に受け、白いストゥーパが静かに私を出迎えてくれました。

 

 

 

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フェワ湖とバヒラ寺院

2014-04-13 16:09:12 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 ひょんなことから、中途半端な状況に嵌り込んでいました。

 

 しかし、座して待つのは時間がもったいないので、トレッキングの準備を始めることにしました。

 
 まずは、訪問予定のプーンヒルでご来光を迎えるとき、夜道を歩く時に必要な携帯用ライト探しました。


 これはすぐに、近くの日用品店で見つけることができました。


 1時間程の使用を想定しますので、小さくて軽いものを500Rsで購入しました。

 

 

 次に、地図を探しました。


 アンナプルナエリアは「ガイドなしでも十分に歩ける」との情報を得ていましたが、ガイドなしであればあるほど、地形図は最低限必要となります。


 これも、レイクサイドの表通りの店で、程良いエリアをカバーした5万分の1の地図を500Rsで手に入れることができました。

 

 

 最後に、飲料水が入った1リットルのペットボトルを水筒代わりに購入し、これで準備万端です。

 

 地図を広げると、どのコースを選択しても、2~3時間の行程内にGH(ゲストハウス)が配置されていることが分りました。

 

 であれば、事態がどのように展開しても食事とベットに困ることはないと判断しました。

 

 トレッキングに関する全ての準備を整え、GHに戻ることにしました。

 

 しかし、中途半端な状況に変化は見られません。

 


 無為に時間を過ごすのはあまりにも勿体無いので、カトマンドゥと同様、ポカラ市内の見学に出かけることにしました。

 

 

 

 ガイドブック片手にフェワ湖畔へ足を向けると、湖畔には幾艘ものボートが並んでいました。

 

 

 

 湖の中に小さな島が見えていました。

 

 

 手頃な料金(往復150Rs)で、渡し舟が島へ行き来しているので、船に乗ってみることにしました。

  

 

 渡し船は二艘のボートに板を渡し、その上にベンチが置かれていました。


 6人程の客を乗せて、渡し船がゆっくりと湖面を進み始めました。


 雲が途切れて陽が射すと、暑さを感じる程に太陽が輝き、微かな漣に湖面が振るえました。

 

 サランコットの丘の背後に見えるはずの山を、夏雲が覆い隠していました。

 

 

 渚に鶺鴒が遊ぶ小島は木立に包まれ、木陰に静かな時が流れました。

 

 

 木立の先で、二層屋根の小さなヒンドゥー寺院が陽を浴びています。


 バヒラ寺院と呼ばれるこの寺には、神の化身とされるイノシシが祀られているそうです。

 

 

 バヒラ寺院の背後の山の頂きに、微かに日本山妙法寺の仏舎利が見えていました。


  ガイドブックに「ポカラから半日のハイキングで行ける」と書いてありますが、目測で判断しても、そんなに時間が掛かるようには思えません。

 

 

 小島でゆったりと時間を過ごし、帰りの船を待って、レイクサイドへ戻りました。

 

 

 

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ポカラの朝

2014-04-12 18:33:51 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 3月5日。

 

 昨晩は疲れもあって、シャワーを浴びた後、ベッドに横になったまま眠り込んでしまったようです。


 朝 目が覚めると、窓の外がわずかに明るくなり始めていました。

 

 急いで服を着て、コンデジ(コンパクトデジカメ)片手にGH(ゲストハウス)の屋上へ階段を上ります。


 ポカラの町は、夜の闇から目を覚ましきれず、街のどこかへ走り過ぎる車のエンジン音が、夜明を告げる波紋を拡散していました。

 

 北の空が淡いブルーのエーテルに包まれ、天へ突き刺さる如く佇むマチャプチャレが、木立が眠る丘を見下ろし、仄かな色に染まり始めました。

 

 

 何処かで雄鶏が夜明けを告げていました。

 やがて、心細くさえ思える太陽が東の空に顔を覗かせました。

 

 

 サランコットの丘の彼方で、陽の光を受けはじめた山の頂きに雪煙が見えました。


 標高数千メートルの神々の庭で、イエティが目を覚まし、雪を蹴散らしながら遊び始めたのかもしれません。

 

 

 

 階下へ下りて行くと、Sさんのグループが自炊用のキッチンで朝食を作っていました。

 

 

 ブロッコリーやジャガイモなどの野菜にニンニクを加え味を調えています。

 

 メンバーの中に菜食主義者が居るのだそうです。

 

 

 私は勧められるまま、ご相伴に与ることにしました。


 そして、麻の実を磨り潰したものを勧められました。

 

 

 私は認識不足でしたが、繊維を取る為の麻と麻薬としての大麻は全く同じものなのだそうです。

 


 ウィキペディアには、「麻は終戦前まで、日本では米と並んで、作付け量を指定され盛んに栽培されていた主要農作物。古くから日本で栽培されたものは麻薬成分をほとんど含まない」と記述されていました。

 


 麻を栽培する時に播種する果実に陶酔成分はなく、生薬では麻子仁(ましにん)として利用され、香辛料として七味唐辛子にも含まれているそうです。

 

 但し、麻の果実は発芽して大麻草となるので、磨り潰して発芽不能となったものを調理に用いるそうです。

 

 磨り潰した麻の実は、特別な味がある訳ではありませんが、栄養学的にはタンパク質が豊富で、脂肪酸などの含有バランスが良いのだとか。

 

 珍しいものを食べさせてもらいました。

 

 

 しかし、今朝はSさんの姿が見えません、グループもSさんがリーダーと云う訳ではなさそうです。


 私は昨日Sさんから旅のお誘いを受けたのですが、具体的な話がないまま、グループの人達は個々に行動を始めていました。


 私は中途半端な気分のまま、取り残されたような状況に置かれていました。

 

 

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ネパールに熱帯の花

2014-04-12 13:22:32 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 出発してから3時間程で、小奇麗なカフェテリアが整ったドライブインに着き、ブランチタイムになりました。


 

 ドライブインの庭の東屋が、オレンジ色のカエンカズラに美しく彩られていました。

 

 カエンカズラ(Pyrostegia venusta)はブラジル原産の常緑樹で、日本では温室でしか見ることができません。

 

 

 周囲の庭にハイビスカスウナズキヒメフヨウなどが花を咲かせていました。

 

  

 

 これらの花も日本では、沖縄以外、屋外ではほとんど見ることはできません。

  

 私のネパールのイメージは、雪を被ったヒマラヤだったのですが、これらの花から、ここが熱帯であることを認識させれました。

  

 

 私はこのドライブインで、後部座席の日本人から声を掛けられ、食事をご一緒することになりました。

 


 6人のグループは男性3人と女性3人。男性の一人はドイツ人です。


 一番年長のSさんはポカラに住んだことがあり、ネパール語が話せます。


 現在はフランスにお住まいで、ネパール産の麻の工芸品を輸入販売しているそうです。

 

 グループの皆さんは麻に関するプロジェクトが目的で、ポカラから麻を栽培する山村に入る予定だとのお話でした。


 私は山と花を見るトレッキングが目的で、ネパールには18日まで滞在し、具体的な日程はまだ決めていない旨を説明しました。

 

 するとSさんから、時間があるなら、一緒に山村へ行きませんか、とお誘いを受けたのです。


 今日は3月4日、トレッキングに要する日数は4~5日もあれば十分と思いますので、このお誘いに心が動きました。

 

 ただの観光ではない、ありのままのネパールの農村生活が体験できるかもしれないと思えたのです。

 

 

 バスはその後も、幾多の町や村を車窓に映し走り続け、午後2時過ぎにポカラに到着しました。

 

 

 私はSさんに誘われるままタクシーに同乗し、Sさんが予約していたGH(ゲストハウス)へご一緒させてもらいました。 

 

 

 

 

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トリブヴァン・ハイウエー

2014-04-12 12:19:10 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 3月4日

 

 朝7時にカトマンドゥ( カトマンズ )のGH(ゲストハウス)ドルフィンをチェックアウトしました。

 

 ドルフィンの請求金額は一泊1500Rs×三泊、朝食400 Rs×二回で計5300 Rsでした。

 

 日本の安価なビジネスホテル一泊分の値段で三泊したことになります。


 ポカラへのバスはオーナーが手配してくれて、料金は650 Rsでした。

 今朝はバス乗り場までオーナーが案内してくれます。

 

 宿を出る時、同宿していたフランス人親子4人が一緒でした。

 

 オーナーの奥さんがフランス人の3歳ぐらいの男の子を抱いて歩き始めました。

 

 

 カトマンドゥ市内の幹線道路 カンティ・パトにバスが列をなしていました。


 フランス人家族を別のバスに乗せた後、オーナーは私をポカラ行きのバス席まで案内してくれました。

 

 

 満員の乗客を乗せ、バスは7時半にカトマンドゥを出発しました。


 横の席に中年男性のネパール人、一番後ろの席には日本人5~6人の団体が座っています。

 


 バスは混雑するカトマンドゥ市街を抜けてトリブヴァン・ハイウエーに入り、途中で客を拾いながら、幾つかの街を抜け、

 

 

 カトマンドゥ盆地を囲む山に登り始めました。


 車窓に農村風景が広がりました。

 

 

 出発して1時間も過ぎた頃、バスは峠を越えます。


 すれ違うトラックがいかにもネパールらしい模様に彩られていました。

 

 

 峠を越えた後、バスはぐんぐんと高度を下げて行きました。


 向かいの尾根の中腹に、これから進んで行くトリブヴァン・ハイウエーが見えていました。


 ハイウエーと言っても、道路は日本の二桁番号の国道並みです。


 例えば高崎から新潟へ越える国道17号線関越道三国峠とか、紀伊半島を周る42号、広島から出雲へ抜ける54号のようなイメージです。

 

 しかも所々に未舗装部分があります。

 

 

 出発して2時間が過ぎた頃、かなりワイルドな場所でトイレ休憩となりました。

 

 

 その後もバスは少しずつ高度を下げながら、田園風景の中に続くトリブヴァン・ハイウエーを走ります。

 

 

 そして、横を流れる川の幅が広がってきました。

 

 

 

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旅に出る意味

2014-04-11 20:26:40 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 3月3日

 

 今日一日、レンタサイクルでカトナンドゥ( カトマンズ )とその周辺を走り廻ってきました。

 

 トレッキングに必要なTIMSとACAP許可書を入手することができました。


 カトマンドゥ盆地を見渡すスワヤンブナートで至福のひと時を過ごしました


 ネパールの古都、パタンでは「わが町」を熱心に説明してくれる若者に出会えました。


 

 ネパールに来て3日目、全く初めて足を踏んだ国の旅のスタートとしては上出来ではありませんか。

 

 

 自転車でパタンからカトマンドゥへ戻って来ると、ATMの電光掲示板に、時刻5:06、温度18℃と表示されていました。

 

 

 貸自転車屋の営業時間内に自転車を返し、GH(ゲストハウス)へ戻ると真っ先にシャワーを浴びました。

 

 晴天に恵まれ、陽射しも強かったので、かなりの汗をかきました。

 
 私が借りた部屋にはシャワーとトイレがないので、GHの共有シャワーを使います。

 

 カトマンドゥでは頻繁に停電があります。

 

 停電でも、自家発電で最小限の灯りは点くのですが、電気が使える時間帯にシャワーを浴びる方が便利です。

  

 日本では、朝でも晩でも、ボタン一つでバスタブにお湯が溜まりますが、それがどれ程贅沢なことか、ネパールに来ると、身に染みて理解します。

 

 日本では当たり前でも、世界平均で考えれば、非常に贅沢なことが多々ありそうです。

  

 シャワーを浴びながら、マリーアントワネットがフランス革命時に「民衆はパンが食べられずに飢えているのだ」と詰問され「それではケーキを食べればいい」と反論した逸話を思い出しました。

 

 日本は何時の間にか、マリーアントワネットと同様の意識で暮らしているかもしれないと、カトマンドゥでシャワーを浴びながら考え始めました。

 

  客観的な目を世界に向ける必要がありそうです。

 人間は感情の動物なので、中国などを見ると、感情で歴史が動く現実もあります。

 しかし、そうであっても、自らはフェアで理知的な判断を心がけるべきです。

 

 衣食足りて礼節を知るは一つの真実ですが、衣食足りても礼節を知るとは限らないのも事実です。

 日本を超え、世界で二番目の規模となっても、無節操が目に余る国もあり、非暴力主義などの理想論だけで対応できるとは限りません。

 

 足りたることを知り、他者の痛みへ想像力を働かせることも必要でしょう。

 

 日本のように、人以外に資源のない国が、真に豊かな生活を享受し続けるためには、世界の現実を直視し、偏狭な正義感や拘りに惑わさぬ知力を磨き続けることが必要でしょう。

 

 といった風に、ヒマラヤの街の、ぬるいシャワーを浴びながら、学生生活以降、考えたこともない、人間世界を生きる為の、頭の体操を始めていました。

 (実はそうなんです。学生時代はそんなことばかり考えていました。)

 

 日本に帰り、今こうして文章にしてみると、シャワー室では多分そんなことを考えていたような気がします。

 

 久し振りに、ありきたりの日常から離れ、 惰性的に過ぎる時間と異なる状況下に身を置き、


 若かりし頃、数十年前に手探りで人生に踏み出したあの頃の、プリミティブな感覚を思い出し、何だか、少し浄化されたような気分に浸っていたようです。

 

 

 シャワーを浴びて、さっぱり気分で、夕食を求め街に繰り出しました。

 

 実は、昨晩ちょっとした気の迷いから、宿の近くの「桃太郎」(市街図青〇3)という日本食レストランに入りました。

 

  

 

 海外旅行に出た時は、可能な限り現地料理を食べるようにしていますが、今回も「桃太郎」のメニューを見てすぐに後悔しました。


 「何でネパールに来てまで、串揚げや揚げ出し豆腐なのか」と思ったのです。

 

 ネパールに長期滞在する人が、郷里の味を懐かしむ場所としての意義はあるでしょうが、私には時期尚早でした。

 


 店が汚かろうが、不味かろうが、これこそカトマンドゥと思う食を経験しなければ旅に出た意味は半減します。

 

 今夜は、昨日と同じ轍は踏むまいと、タメル地区を歩き廻りました。

 

 レストランを探しつつ、次の目的地のポカラやトレッキング関連情報を求め本屋を覗くと、驚くような光景を目にしました。

 


 何と飛び込みで入った本屋が、棚一杯に日本語の本を並べていたのです。


 本棚には曽野綾子、浅田次郎、森瑤子、中村うさぎ、と言った著者のハードカバーから漫画本に至るまで、種々雑多な古本が並んでいました。

 

  

 カトマンドゥにこのような本屋があることを、どの様に理解すべきでしょうか。


 日本の登山隊やNGOが多くの本を持ち込んだのか、旅行者も含めて日本人が本好きなのか、予想もしない光景にただただ驚くばかりでした。

 

 

 更にタメル地区で、山岳用品店を物色し、羽毛シュラフと羽毛ジャケットを購入しました。

 

 出発前のネット検索で、ネパールでは、羽毛シュラフが7~8千円、ダウンジャケットも数千円で入手できる情報を得ていたので、羽毛シュラフとジャケットは初めからネパールで購入するつもりだったのです。

 

 幾つかの店を覗き、羽毛シュラフとジャケットを計1万3千円弱で入手することができました。


 日本で同様のものを購入すれば、少なくとも6~7万円程の金額になったはずです。

 

 そんな風にタメル地区をフラフラしてると、カリーキッチンの看板が目に止まりまりました(市街図青〇5)。

 


 テラス付き、と表示されています。


 雰囲気が良さそうなのでこの店に入ることにしました。

 

 

 テラスに上がると、客は二組のペアが居るだけでした。

 

 閑散としていますが、清潔感があって、雰囲気は悪くありません。

 

 

 メニューを手にしながら料理を選ぶ前に、ジョッキをもらいました。

 

 

 そしてチキンカレーセットをオーダーしました。

 

  

 さっき、「店が汚かろうが、不味かろうが」と書きましたが、やっぱり食事処は「清潔で、美味しい」に越したことはありません。

 

 この日の夕食のお値段はチップも含めて1200Rsでした。

 

 円換算で1300円程度ですが、スープにデザートも付いて、記憶に残る美味しい時間を過ごさせて頂くことができました。

 

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あの鐘を鳴らすのは誰

2014-04-10 23:01:38 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 ダルバール広場の外れに来た頃、ガイド君から「私は美術学校に通っていて、その場所でネパールの伝統的な絵を描く様子が見学できます。一緒に見に行きませんか」との提案がありました。

 

 興味を惹かれたので、「OK」と答えると、ガイド君は広場に接する通りを北へ歩き始めました。

 

 

 2~3分歩いた後、とある建物の二階に上がって行くと、そこはギャラリーとなていて、様々の曼荼羅絵が展示されていました。

 

 部屋の片隅では、高校生から20歳前後と思われる女性達が熱心に曼荼羅絵を描いていました。

 

 ギャラリーの責任者らしい女性が、私に熱心に絵の解説を始めました。

 

 「そうか、目的はこれか」と思いました。


 私はガイド君に、「明日からヒマラヤトレッキングに行くので、荷を増やす気はない。ザックに絵を入れて持ち運ぶ気もない」ときっぱり断りました。

 

 それより何より、私は曼荼羅絵に関して購入する程の興味を持ちません。


 何しろ、私の趣味はサム・フランシスやアンドリュー・ワイエスですから、勧める相手を完全に間違えています。

 

 

 とは言っても、緻密な曼荼羅絵は、評価に値するのは確かでしょう


 ネパール人は、ほんわか適当な人物ばかりと思っていましたが、そうとは言えないかもしれません。 

 

 ガイド君とはここでお別れかなと、思いましたが、私が階段を下りると一緒に付いて来て、「今度はゴールデンテンプルへご案内します」と言い出しました。


 「 ?! 絵を売りつけるのが目的じゃないの?」


 訳が分からなくなって、「ところで貴方は何歳なの?」と聞いてみました。


 「31歳です」との答でした。


 「え!(息子と同じ歳じゃないか) まだ語学学校に通っているの?」


 「働きながら、いろんなことをやっています。ネパールではそうせざるをえないのです」
 という返事でした。


 そうですか、もう細かいことを聞く必要はありません。


 彼の案内するままに、ゴールデンテンプルの門を潜りました。


 あまりにも恵まれた、日本の価値観だけで発想することが、恥ずかしくなったのです。

 

 

 正式名をヒラニャ・ヴァナル・マハヴィハール寺院と称するゴールデンテンプルは、12世紀に建立されましたが、現在の建物は19世紀に完成したそうです。

 

 本堂は金で覆われ、仏像も金色に輝いていました。


 ゴールデンテンプルは3方を廻廊に囲まれた中庭があり、そこに小さな祠が安置されていました。

 

 祠の周囲に、何かの果物を持つ猿の像が設置されていました。


 旅先だと、こんなことがとても気になります。

 

 帰国して調べると、猿が持つのは波羅蜜と呼ばれる果物のようです。

 

 それにしてもこのお猿さん、聡明な表情がとても印象的です。

 孫悟空はお猿さんですし、この猿、只者ではないかもしれません。

 

 

 

 ゴールデンテンプルを裏庭へ抜け、1392年に建立された、シヴァ神を祀るクンべシュワール寺院へ向かいました。

 

 しかし、私は自転車を返す時間が気になり始めていました。

 

 

 

  ガイド君にその旨を伝え、ダルバール広場に戻ることにしました。

 

 ダルバール広場に戻ってから、一生懸命に説明してくれたお礼に、求められた訳ではないのですが、ガイド君へ500Rsを手渡しました。

 

 この金額が多いのか、少ないのか判断に迷いますが、カトマンズの平均月収は8000 Rs程度と聞いたことがあります。


 日本での金銭感覚とかなり異なるようで、過不足はないとは思いますが、マァ あまり深く考えないことにしました。

 

 

 慌ただしい、パタン訪問でしたが、一人では行けない、気付かない場所を案内してくれたガイド君に感謝、感謝です。

  

 そういえば、ガイドをしてくれてる時、「英語はどこで勉強したの?」と聞いたら、「独学です」の答えでした。

 私はこのような「努力の人」にかなり弱いところがあります。

 


 パタンのダルバール広場を出発する時、周囲の建物から、広場中央のタレジュの鐘近くにまで影が伸びていました。

 

 タレジュの鐘は、1736年にマッラ朝のビシュヌ王によって造られ、争議時の判定時に請願者が不平と思う時に鳴らされたそうです。

 

 パタンを去る時私は「タレジュの鐘を、戯れに鳴らしてみようか」などとは微塵も思いませんでしした。

 

  

 まさか、ガイド君に鳴らされるはずは・・・ ないですよね。


 などと、こんなことを書くのは、ガイド君にもっと渡せば良かったかなと思うからで、一生懸命の人にもっと援助すればよかったと、ちょっと反省しています。

  

 

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パタンのダルバール広場

2014-04-10 22:28:56 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 1200年カトマンドゥ盆地にマッラ王朝が起こりました。

 

 マッラ王朝は1484年にカトマンドゥ、パタン、バクタブルの3王朝に分裂し、1769年シャハ王朝によって滅ぼされます。

 

 3都市には現在も、ネパール語で宮廷を意味するダルバールと呼ばれる広場があり、夫々の広場に宮殿や寺院が建ち並んでいます。

 

 私はパタンのダルバール広場に着くと、自転車を抱え、膝下程の高さの、広場を囲む石垣を跨ぎ、近の柱に自転車をロックしました。

  

 広場の隅には土産物屋があり、その奥に中世を感じさせる寺院などが並んでいました。

 

 

 時刻は既に15時近くになっていましたが、晴れ渡った空から、まるで初夏のような陽射しが降り注いでいました。


 私は周囲の建造物を眺めながら広場の奥へ進んで行きました。

 

 

 そんな時突然、背後から誰かに、「すみません、チケットを持っていますか?」と訊ねられました。


 「チケット?」 何を言われているのか最初は理解できませんでした。


 しかし続けて、「この場所はチケットが必要ですから、あそこのチケット売り場でチケットを購入して下さい」


 と言われてやっと、「ああ、そう云うこと」と状況を理解しました。

 

 ダルバール広場の入口には交番程の大きさのチケット売り場があって、外国人はそこで500Rsの入場料を購入することになっているのです。

 

 

 

  多分、私に声を掛けた人と思うのですが、私がチケットを購入すると、道路の反対側を指さし、「あの建物の上から見るダルバール広場が一番美しいですよ」と教えてくれました。

 

 教えられた通りにその建物に登って「パチリ」とシャッターを押します。

 

 その画像は、入場料と引き換えに渡されたカード「パタン・ツーリスト・エントランス」の絵と全く同じでした。

 

 チケット購入時に、広場の中ではカードを紐で首から吊るして下さいと言われました。

 

 広場へ戻って散策を始めると、先ほどの人が横に来て、「日本語学校で日本語を勉強していますので私がご案内します。」と言って、左手の建物へ私を導きました。

 

 最初は日本語でしたが、途中から英語の説明に変わりました。

 

 「ここは王宮だった場所で、中庭では今も祭りの時に、牛やヤギが生贄にされます」


 「建物の柱に掲げられた像はシバ紳で、象や猪の顔をした様々な神がいます」などと熱心に説明してくれました。

 

 

 

 最初は「なんだか胡散臭そうな奴だな」と用心していたのですが、そんなに悪い人でもなさそうです。

 

 広場を奥へ進みますと、マンガ・ヒティと云う10メートル程の深さの、飲用水が流れる水汲み場がありました。


 ガイド君の話では、このような施設があるのはパタン以外ではカトマンドゥと古都バクタブルだけなのだそうです。


 つまりそれ程に、かっては主要な都市であったと言える証なのでしょうか。

 

 

 ビムセン寺院は広場の一番北側にあり、職人や商人の神様が祀られていていました。


 屋根の上からドバジャと呼ばれる帯状のものが垂れ下がっていますが、これは神が降りたつ道筋を示すのだそうです。

 

 

 ダルパール広場の散策を続ける内に、ガイド君への警戒心もかなり薄れてきました。


 広場の北外れで「地球の歩き方」に紹介されている、カフェ・ド・テンプルを見かけました。


 なかなかお洒落な雰囲気を醸していました。

 

 

 今度ネパールに来るときはパタンに泊まり、夕陽のダルバール広場を眺めつつ、こんな店で食事をするのも悪くないかなと思ったりしました。

 

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自転車でパタンへ

2014-04-09 23:09:17 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 

 スワヤンブナートからGH(ゲストハウス)へ戻り、午前中ネパール観光局で入手したTIMSとACAEPをザックの貴重品袋に保存しました。


 一昨日3月1日の夕刻、ネパールへ入国した時は、右も左も分からず、不安な気持ちで部屋のドアを開けたのですが、三日目の今日は、勝手知ったる我が町、みたいな気分になっているのが、自分でも分かります。


 まるでロールプレイングゲームで次々と敵をクリアしているような気分でした。

 

 こんな風に、事が上々に運んでいる時は、誰かさんが頭の隅で、「調子に乗ってると痛い目に合うぞ」と忠告してくれます。


 今まで、この忠告にどれ程助けられたことでしょうか。


 アメリカのドライブで、砂漠の中に孤立して以来、この誰かさんの忠告が増えてきたように思います。

 

 手傷を負ったジャッカルのように、用心深さが増したのかもしれません。

 

 

 GHで一息いれ、心を鎮めてから自転車にまたがり、今度はカトマンドゥの南方に接する古都、パタンを目指しました。

 

 

 カトマンドゥ市街の道路はバイクや車で溢れ、舗装されてはいるのですが、車に追い抜かれると砂埃が舞い上がり、目を開けていられない程です。

 


 私はGHを再出発するとき、コンビニでマスクを購入し、サングラスを掛けることにしました。

 


 ネパールのマスクは日本のものと異なり、黒い色をしています。


 自転車やバイクを運転する人達が、黒いマスクをしているので、最初はびっくりしましたが、この方が汚れが目立たないのでしょうか?

 

 

 カトマンドゥ市内を南下し、街外れでハグマティ川を渡りました。

 

 

 何度も「パタンはこの方向ですか?」と、街の人に確認しながら自転車を走らせました。

 


 私は主に若い人に道を訪ねましたが、ネパールでは、かなりの人が英語の質問に英語で答えを返してくれました。


 橋を渡って暫く進むと、ナマステ・スーパーマーケットの先で三叉路に出ました。

 

 

 緩く右へ下る道を進みますと、道の周囲に宗教的な印象を受ける建築物が目に付くようになりました。

 

 

 道の横に、古い様式の建物が姿を見せ始め、どうやらパタンの核心部に近づいてきたようです。

 

 

 道行く人の足どりも穏やかで、街はしっとりした雰囲気を漂わせていました。

 

 そんなパタンの通りを、惰性に任せながら自転車を進めて行くと、程無くして、パタンのダルバール広場に出ました。

 

 

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ヒマラヤ最古の寺院

2014-04-07 22:12:58 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 

 ヴィシュスマティ川を越え、左右に曲がりながら丘の斜面を登る、穴だらけの道を自転車で登りました。

 

 10分程で、白いストゥーパを頂きに見上げる、スワヤンブナートに至る長い石段の前に出ました。

 

 私は柵に自転車をワイアーキーで固定し、スワヤンブナーへの石段を登り始めました。

 

 

 

 石段を登りきる手前、最後の10段を残す辺りで、突然、左手から「チケット」の声が掛かりました。

 

 スワヤンブナートに立ち入る外国人は200Rsの入場料が必要なようです。


 

 石段を登りきって振り返ると、木立越しにカトマンドゥ市街が一望の下に見渡せました。 

 

 

 近年の地質学調査で、かってのカトマンドゥ盆地は大きな湖で、南部の山が崩落して盆地が出現したことが判明したそうです。

 


 しかも、スワヤンブナートはカトマンドゥ盆地がまだ湖だった頃から丘の上に建っていたと云う伝説があり、その伝説が事実であるなら、この寺院はヒマラヤ最古の寺院と言えるのだそうです。

 

 

 青い空の下、白いストゥーパに、豊かな色彩の祈祷旗が風になびきます。

 

 

 境内に野猿が遊び、煉瓦造りのゴンパ(僧院)が趣のある外観で陽の光を浴びていました。

 

 

 
 丘の後には、カトマンドゥ盆地を囲む尾根が連なり、

 

 

 北の方角には、雪に覆われたヒマラヤの峰々が白い頂きを見せていました。

 

 

 私は、スワヤンブナートの一隅で、この時がとても貴重なものであると意識し始めていました。

 

 五感の全てにこの時をインプットして置くべきだと強く思ったのです。


 明るい陽射しの景色を目に、爽やかな風を肌に感じ、野猿の声を耳にしながら、スパイシーなネパールを舌で楽しもうと、街を眼下に望むレストランへと足を運びました。

 

 この日のこの時のために、数十年の月日を費やして、働き続けてきたのかもしれないと思えたのです。


 心の底からそう思う私が、カトマンドゥーの丘の上にいました。


 そして、お釈迦様の掌で孫悟空が遊んだのと同じほどの長い時を感じながら、


 今ヒマラヤの麓の街に辿り着いた私は、空に浮かぶ白い雲、雪を頂く白い山、白いストゥーパのマニ車を回す人々を心象風景に、カトマンドゥ市街へと続く石段を下って行ったのでした。

 

 

 

 

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ネパールでサイクリング

2014-04-07 15:12:00 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 トレッキング手続きを行ったネパール観光局は、宿泊しているGH(ゲストハウス)から2km程の距離があり、タクシーを利用するのが一般的です。


 しかし今回、私は自転車でネパール観光局を訪ねました。

 

 と云うのも、昨日のうちに市内中心部の観光をほぼ終えていたので、今日は周辺部へ行動範囲を広げるつもりでした。

 

 ガイドブックには、市街周辺部への情報として、タクシー料金の目安が記載されていますが、私はネパールのタクシー交渉が苦手です。

 

 ネパールのタクシーは、必ずと言っていいほどに吹っかけます。

 

 分かってはいますが、相手の言い値を鵜呑みにすれば愚かですし、さりとて不当に値切るのは気持ちの良いものではありません。

 

 日本人は殆ど私と同じらしく、ネパールのタクシードライバーに「みんなとても良い人達ばかり」と思われているようです。

 

 日本語で「カモ」と評されるに似た状況のようです。

 

 バスは、路線や停留所が分からないので、ネパール語が理解できない私には手が出せません。


 そこで、嫌な思いをせずに、気ままに効率よく移動することを優先し、レンタサイクルを選択しました。


 GHのオーナーに仲介してもらい、近所の貸自転車屋さんで、変速ギア付きのサイクリング車を、1日500Rsで借りることができました。


 ネパール観光局は10時から受付なので、9時半過ぎに、貸自転車でGHを出発しました。

 

 

 ネパールの交通は日本同様、車は左側通行です。

 

 カトマンドゥ市街の道路は相当混雑していました。

 

 車線規制などはなく、右折する時は、後ろから来る車やバイクに細心の注意が必要です。

 

 しかし、トップギアにセットした自転車で、バイクと競うように市街を走り抜ける爽快感は格別でした。

 

 ふくらはぎに心地好い張りを感じながら、風を切ってカトマンドゥ市街を駆け抜けました。

 

 レンタサイクルを他者にも勧めるかと問われれば、誰にでもお勧めできるとは思いませんが、反射神経に自信のある方は、是非試してみて下さい。

 

  自由気儘に、ネパールの風を感じてペダルを踏む心地よさは、言葉に尽くせぬ想い出が残るはずです。

 

 

 ネパール観光局に10数分で到着しました。

 

 先のブログにも書いた通り、トレッキング手続を恙なく終わらせ、自分の部屋に書類を保管するため、GHへ一度戻ることにしました。

 

 既にカトマンドゥ市街の概要が頭にありますので、ホテルへ向かって、適当に自転車を走らせました。

 

 しかし、昨日歩いて知った街と、自転車で移動する距離感に相当のギャップがあったようです。

 

 気付くと見知らぬ坂を下り始めていました。


 「変だな! 市内に坂道などなかった筈なのに?」と訝りながら進むと、橋に出ました。

 

 

 橋の中央に立って周囲を見回すと、右手奥に雪を被った山が見えました。

 

 と云うことはあっちが北です。

 

 ガイドブックの市街地図で現在地を推測しました。

 

 どうやらタメル地区の南側を突き抜け、街の西を流れるヴィシュスマティ川に出たようです。


 

 正面の丘の頂に何やら白い仏舎利のようなものが見えています。


 多分あれがスワヤンブナートでしょう。


 よし、「このまま行ってしまおう」と、自転車をローギアに変えて坂道を登り始めました。

 

 

 

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トレッキング手続きの実際

2014-04-07 12:00:51 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 3月3日月曜日

 

 ネパール観光局とACAP事務所に出向き、トレッキングに必要なTIMS (Trekkers Information Management System)許可証と、アンナプルナ保護区入域証(Annapurna Conservation Area Entry Permit:ACAEP)を入手しました。

 

 

 カトマンドゥとポカラは、ACAP事務所はネパール観光局内にあるので、TIMSとACAEPは同じ建物内で取得することができます。

 

 両申請とも全て英語です。

 

 最初にTIMSの申請を行いました。

 

 下が実際のTIMS申請書です。用紙は窓口に準備されています。

 


 TIMSは下記の申請用紙に必要事項を記載し、パスポートに写真2枚と申請料20US$ないし、2000Rsを添えて申請します。

 

 

 記載内容は次の通りです。 

 ① TIMS Card No ; 事務局が記載します
 ② Trekking Area ; トレッキング地域 (今回はAnnapurnaと記載)
 ③ Trek Entry Date ; トレッキング開始日 
 ④ Trek Exit Date ; トレッキング終了日
 ⑤ Trek Entry Point ; 入山ポイント(今回はPokharaと記載)
 ⑥ Trek Exit point ; 下山ポイント(今回はPokharaと記載)
 ⑦ Rout of Trekking ; トレッキングルート (具体的な地名を記載)
 ⑧ Full Name ; 氏名(記載する欄を間違えましたが、そのまま受理されました)
 ⑨ Country ; 居住国 City ; 市
 ⑩ Gender ; 性別
 ⑪ Date of Birth ; 生年月日
 ⑫ Passport No ; パスポートナンバー
 ⑬ Email ; メールアドレス
 ⑭ Visa No ; ビザナンバー(入国時、申請に応じてビザが発給されます)
 ⑮ Issue Date ; 発給日(入国時に発給されたビザに記載されています)
 ⑯ Expiration Date ; 終了日(入国時に発給されたビザに記載されています)
 ⑰ Emergency Contact Details ; 緊急時連絡先

  

  次に隣の窓口でACAEPの申請を行いました。

 

ACAP窓口

 

 下が実際のACAEP申請書です。用紙は窓口に準備されています。


 ACAEPは下記申請用紙に必要事項を記載し、パスポートに写真2枚と申請料2000Rsを添えて申請します。

 

 

 最初に申請日欄に日付を記載し、以下のように記載しました。

 

 ① Name(as in passport) ; パスポートに記載された通りの氏名
 ② Nationality ; 国籍
 ③ Passport No ; パスポートナンバー
 ④ Date of birth ; 生年月日
 ⑤ Sex ; 性別
 ⑥ Home address ; 居住地住所
 ⑦ Occupation ; 職業(私の場合は retired 定年退職と記載)
 ⑧ Contact address in Nepal ; ネパールでの連絡先住所(私の場合は空欄)
 ⑨ Purpose of visit  ; 訪問目的(私の場合はTrek トレッキングと記載)
 ⑩ Name of the Trek 

  ; トレッキング名(詳細未定なので、該当しそうな全てをチェックしました)


 ⑪ Point of entry into the ACA  ; ACA入山ポイント(今回はPokhara と記載)
 ⑫ Point where you will end the trek in ACA

    ; ACA下山ポイント(今回はPokhara と記載)


 ⑬ Duration of the trek;(Date)From:    To     (# of Days    )

    ; トレッキング開始日、終了日、日数


 ⑭ Please provide the name&address ~ 

    ; トレッキング旅行会社名、住所 (私は空欄で提出)


 ⑮ If using the services of a freelance guide, ~

    ; フリーランスガイドを雇用する場合はその氏名、住所 (私は空欄で提出)


  最後に申請者のサインをします。

 

 両申請には顔写真が計4枚必要となります。

 勿論、申請事務所でもインスタント写真を入手することができますが、日本を出国する時にパスポート取得時や車の免許証取得時に使った顔写真などの余りを持参すると便利です。

 

 個人グループでトレッキングを行なう場合は、自分で申請手続きを行う必要がありますが、ツアーなどで行く場合は、旅行会社が手続きを行いますので、上記作業を自ら行う必要はありません。

 

 また、申請作業に自信がない場合は、カトマンドゥやポカラで日本語が通じる現地旅行会社に依頼すれば、手数料込みの5000Rs程度で入手することも可能なようです。

 

 

ヒマラヤ一人歩きの危険性

 

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カトマンドゥB級グルメ

2014-04-04 22:49:33 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 前のブログにも書きましたが、カトマンドゥは個々の地域に特色があるので、ぶらぶら歩きが本当に楽しいのです。


 もっともこの日は、お土産探しという目的もあって、これはと思う店に入って品定めをしたり、値段の交渉をしたりと、コツが分かった買い物を存分に楽しむことができました。

 

 

 タヒティー・チョーク(市街図青△1)から北西に進み、六本の道が交差するチェトラバティ・チョークへ出て、そこから北へ進みました。


 バス通りを歩いていると突然、通りを隔てた店先に飾られたポスターに目が導かれました。


 あれ?と思い、カメラのズームを利かせてシャッタを押しましたが、それは間違いなく深田恭子です。

 

 

 まさかこんな所で深田恭子さんに再会できる(バーチャルな話ですが)とは思ってもいませんでした。

 

 美人の評価は日本もネパールも世界共通なのでしょうか。

 

 

 そしてその後、以前から気になっていた、ネパール餃子の店「ニュー・エヴェレスト・モモ・センター」(市街図青〇1)へ向かいました。

 


 ご覧下さい、この店構え。 

 入口は、人がやっと通れる程の幅しかありません。

 しかも、ドアは無く、店内は申し訳程度の灯りが灯るだけです。

 

 

 

 そして店先の道路は、ひっきりなしに通り過ぎる車が埃をモウモウと巻き上げます。

 

 

 こんな風に、飲食店として最悪下の条件でも、この店がネパール人に大人気というのですから、絶対にそれなりの理由があるだろうと信じました。

 

 店内で、深田恭子さんみたいなお姉さんが接客する、なんてことは絶対にあり得ませんから、味に人気の秘密があるのは間違いない筈です。

 

 道路の反対側から店の様子を暫く窺い、客が頻繁に出入りし、営業中であることを確かめると、勇気を奮って「ニュー・エヴェレスト・モモ・センター」に入ってゆきました。


 ええ、本当に大袈裟に書いている訳でなく、「ニュー・エヴェレスト・モモ・センター」は、日本人の感覚からすれば、勇気無くしては入れない雰囲気に満ち溢れていました。

  

 

  席に付くけばメニューは一種類だけで、一皿10個のモモが60Rs(約60円)です。

 

 飾り気のないアルミ皿に盛られた熱々のモモは、シンプルな味付けで、胡椒の利いたスープがヒタヒタに絡み、客はそれを黙々と食し、残ったスープを飲み干します。

 

 客は一人か二人連れの中年男性ばかりでしたが、食べ終わった客は、皆言葉少なに会計を済ませ、席を立ち店を出てゆきます。

 

 まるで、池袋辺りに流行るラーメン屋を見るかのようでした。

 

 「ニュー・エヴェレスト・モモ・センター」。


 もしかするとカトマンドゥB級グルメのチャンピョンかもしれません。

 

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魚は貴重品なのかもしれません

2014-04-04 22:13:50 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 

 前回、前々回とカトマンドゥ ( カトマンズ )を散策した話を紹介しましたが、同類の情報を纏めておくと、ネット検索時に便利だと思います。

 

 そこで、ネパールを離れる前日の17日に、カトマンドゥ市内を再度散策した内容を、ここでご紹介します。

 

 

 日本へ帰る前日、財布に残ったネパールルピー(Rs)を確認しつつ、見残したカトマンドゥ市内の散策に出かけました。


 ネパールへ入国したばかりの頃と違い、カトマンドゥの概要が頭に入っていますので、足取りに余裕がありました。


 前回の3月2日は日曜日でしたが、今日は平日のため、タヒティー・チョーク(市街図青△1)で露天商が野菜を並べるなど、前回と異なる街の様子が目に気付きました。

 

 

 

 この日私は、直接ダルバール広場まで南下し、広場西側のヤトゥカ通りを北向きに歩き始めました。

 

 

 通りに面した肉屋では、丸裸の鶏が空に足を向けていました。

 

 

 家々の間に路地があると、その奥に、見事なストゥーパがあったりします。

 

 

 「地球の歩き方」に紹介された「切手になった窓」を見に行きましたが・・・

 


 正直、わざわざ見に行く程の物ではなかったなと・・・、

 

 しかし、この手の名所は、見ずに旅を終わると、後からやけに気になるものです。

 

 

 

 「切手になった窓」の先で、道を右に折れ、キラガル・トール通りを東へ歩きました。

 


 キラガル・トール通りを歩く途中、私はカトマンドゥーで初めて、魚屋を目にしました。

 


 海のないネパールは、魚が相当に貴重品なのかもしれません。

 

 

 

 

 更に先へ進んで、陶器を並べた店の横で左に曲がりました。

 

 このような、まるで混沌を絵にかいた光景に出くわすことが、旅の醍醐味とさえ思うのです。

 

 

 

 

 いいぞいいぞと独り言ちしながら、タヒティー・チョークに続く道を歩き続けました。


 予想しない光景、日常的ではない風景に出会うことで、更なる明日へと進むエネルギーが蓄積されます。

 

 生きることの手応え、とはこんな感情を言うのでしょうか。

 

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親切な旅行社

2014-04-04 17:24:30 | ヒマラヤ・トレッキング 花の旅

 

 ジョッチェン通りに接した細い路地を縫って東へ向かい、カトマンドゥ( カトマンズ )の交通の要路であるカンティ・パト通りに出ました。


 テンプーと呼ばれる小型のオート三輪が目の前を通り過ぎます。

 

 前方にマハンカル寺院の塔が見えていました。

 
 通りの反対側に、柵で囲まれた広い草地が広がっていました。

 

 

 通りに沿って、北へ進みます。


 暫く歩いた先にあった歩道橋に登り、カンティ・パト通りを振り返りました。


 通りに面して病院や銀行、公的機関などのビルが並んでいました。

 

 

 

 更に北へ進むと、タメル地区南端のトリデヴィ・マーグ通りとの交差点に出ました。


 この交差点は、昨晩、空港から宿へ向かうタクシーの窓から目にした記憶があります。


 カトマンドゥは定期的に停電になるため、このような交通の要となる通りでも信号がありません。

 
 交差点の中央で、警察官が交通整理をしていました。

 

 

 ここで左折して西へ向かい、300メートル程も進んでから、最初の通りを左折しました。


 そのジャサ通りには、東京の中野に本社を置く「風の旅行社」の支社があります。


 私は日本を出発する3日前に風の旅行社の本社を訪ね、現地手配のツアーや、トレッキングに関する情報を頂きました。


 本社で対応してくれた担当者の説明では、この社が企画するツアーは、二人以上からの対応で、必ずガイドとポーターを付けるそうです。


 この時私は、突然の一人旅なので、どの山域に入るかも決めていない旨を伝えました。

 

 東京の中野に本社がある風の旅行社の方から「山歩きの経験があれば、アンナプルナ周辺ならガイドなしでも歩けないことはないですよ」との情報をいただき、


 更に、「何か情報が得られるかもしれないので、ネパールへ行ったら支社に顔を出されると良いですよ」とのアドバイスも頂いていたのです。


 一銭の利益にもならない飛び込み客に、ご丁寧な対応とアドバイスを頂けましたので、私はネパールへ行ったら必ず御挨拶を兼ねて「風の旅行社」へ顔を出そうと考えていました。

 それが礼儀というものです。

 

 

 カトマンドゥの「風の旅行社」を訪ねると、現地でも非常に気持ちの良い対応を頂くことができました。


 私が、今回の旅は山と花を見ることが主目的だと説明すると、奥の机に座っていた、植物に詳しい現地社員が出てこられ、ヒマラヤの花を纏めた本を私に見せてくれたのです。


 私が「以前からこんな本が欲しいと思っていたんですよ!」と話すと、それではと、私を本屋まで案内してくれたのです。


 そしてその本屋で目にした、後先を考えずに購入してしまった本がこれです。

 

 

 A5版サイズの本は、厚さが3.5cm程もあります。

 

 この時は嬉しくて、衝動的に買ってしまったのですが、宿へ戻ってから「しまった!帰国する時に買えば良かった」ことに気付きました。


 今回は山歩きなので、極端に荷物を切り詰めたザックの中へ本を収めると、本はかなりの存在感を示し、ザックは確実に重量を増したのです。


 私はこの時以降、二週間以上も、ザックに詰めた本を傷めないように気遣いながら、旅を続けることになりました。 


 それにしても風の旅行社」には本当にお世話になりました。


 この旅行社は本当に信頼できます。 社員が全員損得なしです。

 

 ヒマラヤを一度は目にしたいと、願っている貴方。


 風の旅行社は絶対にお勧めです。

 

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