NHKBS3で放映された『謎の天空遺跡 マチュピチュ大中継』を見た。2019年4月に放映されたものの,ダイジェスト版の再放送である。見るのは二回目であるが,やはりものすごい郷愁にかられた。
わたしは,マチュピチュの遺跡を3回訪問している。最初の2回は仕事がらみ,最後が2011年の純粋の観光である。
そのたびに,ワイナピチュ山を背景にした遺跡の全貌が目の前に広がった時に感じる荘厳さは,とても言葉では言い表せない。粛然として,息を飲むだけであった。
ピラミッドにせよ,万里の長城にせよ,ボロブドゥール遺跡にせよ,アンコールワットにせよ,それぞれの時代に成し遂げられた建造の巨大さと見事さに心打たれるが,マチュピチュには,500年を隔てたインカの人たちの生活・営みの息吹が,より色濃く残されているような気がする。
鉄器をもたない人たちが組み上げた石垣,土をどこから運んできたのか整然と並ぶ段々畑,いずれも謎に包まれ,コンキスタドール(征服者)によって滅ぼされたインカ帝国の歴史からは,知る由もない。番組でも多くの言葉が語られていたが,あくまでも想像によるものであり,それはそれで個々人の感慨に任せればよいのではないだろうか。
例えば,太陽の神殿にある窓は,冬至の日に太陽光がまっすぐに差し込むことから,季節を知るためのものであったというのが定説であるが,同行したガイドさんが「農業の民であるインカの人たちが,季節の移ろいを知らないはずがない。冬至がいつかを知ったうえでこの窓の仕掛けを作ったのではないか。」と言われたことの方が,わたしには説得力がある。遺跡には,何気なく削られている石の凹凸を透かして見ると,背景の山並みとぴったり重なるところもあり,わたしにはインカの人々のゆとりを持った遊び心が感じられた。
もう訪ねることはない。遥かなり,マチュピチュ。
写真はいずれも2011年撮影。