雑草とは人に嫌われる草のことをいう。また,根絶やしにするのが難しいので,生命力が強く,したたかさをもっていることのたとえにも使われる。
水田に比べて,畑は雑草が多い。特に夏は,草取りが畑仕事の主要部分を占める。わたしが借りている家庭菜園では,除草剤を使わないことが,暗黙の了解事項になっているので,手でむしる以外にない。
「篤農は草を見る前に草をとり,駄農は草を見てから草をとる。」と言うように,畑の雑草は手抜きの象徴となる。
この畑の主は,畑を訪れるのが1週間か10日に一遍で,6月ころまでは持ちこたえていたが,とうとうスイカが草に埋もれてしまった。
これはわたしのトウモロコシ畑。トウモロコシが草に負けないほど大きくなったので,放置しておいたら,見事に雑草が生育している。わたしはとても篤農とは言えない。
人に嫌われる雑草を活用する農法がある。世界救世教が唱える自然農法である。農業は自然破壊の最たるものであるので,この名称は絶対矛盾であるが,草は地際で刈り取るだけで,抜き取ることはしない。わたしの郷里の隣村に自然農法の試験地があり,3年ほど見学に通った。採りたてのニンジンとトマトは,美味この上なかった。
この宗教の宗旨は知らないが,恐らく共生の思想から来ているのではないだろうか。この雑草の管理は,草を取り去るのに比べて,はるかに手間がかかりそうである。収穫物のおいしさは,手間暇かけた結果ともいえよう。