山本茂さんの本『神童』を読みました。
感想など綴ってみたいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/b3/72006bbf4ad1d70d755c30eb0b9a64e8.jpg)
本を読み終えたのも、なんだか久しぶり(^^ゞ
自粛期間中、いつも利用している図書館は閉館だったので、
人からお借りしたもの(^^ゞ(長らく借りっぱなしになっています~)
読み始めた頃に、レッスン再開や、練習再開の話を聞き、
練習しなければーーーと、焦って練習を始めてしまったから、
読み始めたまま、、放置してしまっていました(ごめんなさい)
今回、電車移動時間が長いので、まずは、1冊読み終えることができました(^^)
少年は、ヴァイオリンを手にしたとたん神になった。
マックス・エッガー、ヤッシャ・ハイフェッツ、江藤俊哉、ダヴィッド・オイストラフ
―世界の名だたる巨匠たちはこぞって少年の演奏に驚嘆し、新しい才能の誕生を祝福した。
やがて昭和30年、少年はジュリアード音楽院に留学する。
そこで彼を迎えたのは、日本に倍する米国人の絶賛と、深い深い孤独だった―。
これは、日本そのものの運命にも似た、清冽な魂の悲劇の物語である。
戦後の焼け跡に突如現われた天才・渡辺茂夫の青春と悲劇を描き出した。
私は、渡辺茂夫という人を、知らなかった。
こんな人が居たなんて、、、と、知ることができ、とてもいい本だった。
感動、、のような、、かわいそう、、のような、、幸せだったのかな?のような、
複雑な気持ちに包まれました。。
小さい頃から、親に甘える経験さえなく、叔父であり、のちに父になる人に、
スパルタ教育的にバイオリンを習う。
もちろん、才能があったからこその、スパルタ教育だったのだろうし、
その結果、子供のころから、天才的才能は開花し始める。
彼にとって、バイオリンを弾くというのは、どういう気持ちだったのかな?と
考えずにはいられませんでした。
誰かに甘えたという経験もなく、友達もできず、人との距離や付き合い方を
知らないまま、一人で言葉の壁のあるアメリカへ留学した14歳少年。
当時は、きっと人種差別的なものも、根強かったのだろうなと想像できる頃のこと。
16歳で自殺未遂。。。以後は、日本に帰り、叔父さんの介護を受けて
58歳で亡くなるまで、自宅で過ごす。
アメリカ留学中に、、日本に帰りたいと言った時、、それが叶えられていたら、
そんなことには、ならなかったのではないか?と思えてならなかった。
人生を生き急いでしまったような哀しさが・・・残りました。
けれど、その時代に、、そんな風に活躍していた若き日本人のことは、
しっかり記憶に留めたいと思います。
たくさんの人に読んでほしいと思える本、
貸してくださり、ありがとうございました(^-^)
感想など綴ってみたいと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/b3/72006bbf4ad1d70d755c30eb0b9a64e8.jpg)
本を読み終えたのも、なんだか久しぶり(^^ゞ
自粛期間中、いつも利用している図書館は閉館だったので、
人からお借りしたもの(^^ゞ(長らく借りっぱなしになっています~)
読み始めた頃に、レッスン再開や、練習再開の話を聞き、
練習しなければーーーと、焦って練習を始めてしまったから、
読み始めたまま、、放置してしまっていました(ごめんなさい)
今回、電車移動時間が長いので、まずは、1冊読み終えることができました(^^)
少年は、ヴァイオリンを手にしたとたん神になった。
マックス・エッガー、ヤッシャ・ハイフェッツ、江藤俊哉、ダヴィッド・オイストラフ
―世界の名だたる巨匠たちはこぞって少年の演奏に驚嘆し、新しい才能の誕生を祝福した。
やがて昭和30年、少年はジュリアード音楽院に留学する。
そこで彼を迎えたのは、日本に倍する米国人の絶賛と、深い深い孤独だった―。
これは、日本そのものの運命にも似た、清冽な魂の悲劇の物語である。
戦後の焼け跡に突如現われた天才・渡辺茂夫の青春と悲劇を描き出した。
私は、渡辺茂夫という人を、知らなかった。
こんな人が居たなんて、、、と、知ることができ、とてもいい本だった。
感動、、のような、、かわいそう、、のような、、幸せだったのかな?のような、
複雑な気持ちに包まれました。。
小さい頃から、親に甘える経験さえなく、叔父であり、のちに父になる人に、
スパルタ教育的にバイオリンを習う。
もちろん、才能があったからこその、スパルタ教育だったのだろうし、
その結果、子供のころから、天才的才能は開花し始める。
彼にとって、バイオリンを弾くというのは、どういう気持ちだったのかな?と
考えずにはいられませんでした。
誰かに甘えたという経験もなく、友達もできず、人との距離や付き合い方を
知らないまま、一人で言葉の壁のあるアメリカへ留学した14歳少年。
当時は、きっと人種差別的なものも、根強かったのだろうなと想像できる頃のこと。
16歳で自殺未遂。。。以後は、日本に帰り、叔父さんの介護を受けて
58歳で亡くなるまで、自宅で過ごす。
アメリカ留学中に、、日本に帰りたいと言った時、、それが叶えられていたら、
そんなことには、ならなかったのではないか?と思えてならなかった。
人生を生き急いでしまったような哀しさが・・・残りました。
けれど、その時代に、、そんな風に活躍していた若き日本人のことは、
しっかり記憶に留めたいと思います。
たくさんの人に読んでほしいと思える本、
貸してくださり、ありがとうございました(^-^)