画家のエピソードが面白いという反応がありましたので、思いつくまま、書いてみましょうか?
時代とか、国とかを問わずにアトランダムに。
1、ゴーギャンは、喧嘩が好きだった。
酒場で喧嘩が始まると、自分には関係ないのに参加して、相手構わず殴りかかった。一発でも殴れたら気分がいいと言っていた。
2、セザンヌは、絵を描く前に必ず2時間くらいは鉛筆でデッサンの勉強をした。
そうしないと、色を使った絵を描かなかった。
3、セザンヌは、風景画を描くときに、とんでもない方向を向いて描いた。
「セザンヌさんどこを描いているんですか?」と問われると、「あっち」と答えて、背中の方角を指差したそうです。
現場に居ながら、その方向を見ないで描いていたと言います。見て描くと、そのものにとらわれて、自由さを失うと言っていました。それは、絵としての理想を求めて描いているので、単に写しているわけではないということなのです。
4、セザンヌにピサロが、「もっと明るく描いたらどうだ」と、先輩としてアドバイスをしたことがあったそうです。しかし、セザンヌは、自分は単に自然を写しているわけではないから、これでいいんだと答えたそうです。
ピサロは印象派ですが、セザンヌが印象派では終わらなかった理由がその辺にありますね。
5、セザンヌは、風景画を描くと、描き終えた絵をその場に置いて、次の絵を描くために移動してしまうので、奥さんが絵を拾い集めて周ったという話があります。
面白いでしょ。
あれーーー??セザンヌばかりになってしまいますね。
ルネッサンスをやったのだから、その辺りをやりましょうか?
6、ラファエロは、非常に人が良くて、頼まれたことはほとんど嫌と言わずに引き受けたそうです。頼まれると断れない性格だったようです。そのために、過労死してしまったのではないかと言われます。
また、絵の注文を断らなかっただけでなく、女性からの誘いも断らなかったらしく、多くの女性との関係があるようです。こちらは、断ってもいいですよね。
7、ラファエロは、自分が習得した技法は全て、弟子たちに教えました。このころは、徒弟制度ですから、先生の技法を学んで一人前になります。権威を強調する先生は、自分の技術を秘伝のようにして、やたら教えない人もいますが、(企業秘密ですね)ラファエロは、全く惜しまず誰にでも全てを教えました。
そんなことまで、教えちゃっていいんですか?とよく言われていたようです。
この点は、私も同じです。私は知っていることが大したことはありませんが。
8、レオナルドは、人物を描く場合、モデルをある程度変えてでも理想化して描きますが、ラファエロは見えるとおりに忠実に描きました。だから、変な顔の人は変な顔のまま描きました。モナリザと同じポーズで描いた絵は、ポーズは同じでも顔は、やめてほしいなあという感じのものです。
だから、マリア様を描くときは、理想的な良い顔が描けますよね。
だれも見た人がいないので、こんな顔ならいいなあという顔を描きました。
9、レオナルドは、同性愛で二度逮捕されています。
いずれも、証拠不十分で釈放されていますが、疑いはかけられました。
はっきりと証拠があると、死刑にされていたかもしれないのです。
サライはその疑いの一人ですが、サライとは小悪魔という意味です。
本名はジャコモといいました。
10、後に、サライはレオナルドの養子になりますが、その後、レオナルドがフランチェスカ、メルツィーという男の子をかわいがるようになると、サライが嫉妬したという話もあります。
11、レオナルドが、30歳でミラノに行った時は、画家としてよりも音楽家として、行きました。リラの名手だったそうです。画家としての自分を知ってもらい、その腕を生かすために、ずいぶん自分を売り込まなければならなかったと書かれていました。
12、レオナルドは、話が上手くて、ご婦人たちに大人気でした。
13、レオナルドは、生涯結婚をしませんでした。母親コンプレックスがあったのではないかと言われます。だから、女性より男性が良かったのかもしれません。
しかし、最近、レオナルドには5人の隠し子がいたという話が出て来ました。
これは、私も最近聞いた話なので、詳しく掴んでいません。いままで、そのような話はなかったので、研究が待たれます。
書いていくと、切りもなく出て来ますね。また、思いつくままに書きますね。
時代とか、国とかを問わずにアトランダムに。
1、ゴーギャンは、喧嘩が好きだった。
酒場で喧嘩が始まると、自分には関係ないのに参加して、相手構わず殴りかかった。一発でも殴れたら気分がいいと言っていた。
2、セザンヌは、絵を描く前に必ず2時間くらいは鉛筆でデッサンの勉強をした。
そうしないと、色を使った絵を描かなかった。
3、セザンヌは、風景画を描くときに、とんでもない方向を向いて描いた。
「セザンヌさんどこを描いているんですか?」と問われると、「あっち」と答えて、背中の方角を指差したそうです。
現場に居ながら、その方向を見ないで描いていたと言います。見て描くと、そのものにとらわれて、自由さを失うと言っていました。それは、絵としての理想を求めて描いているので、単に写しているわけではないということなのです。
4、セザンヌにピサロが、「もっと明るく描いたらどうだ」と、先輩としてアドバイスをしたことがあったそうです。しかし、セザンヌは、自分は単に自然を写しているわけではないから、これでいいんだと答えたそうです。
ピサロは印象派ですが、セザンヌが印象派では終わらなかった理由がその辺にありますね。
5、セザンヌは、風景画を描くと、描き終えた絵をその場に置いて、次の絵を描くために移動してしまうので、奥さんが絵を拾い集めて周ったという話があります。
面白いでしょ。
あれーーー??セザンヌばかりになってしまいますね。
ルネッサンスをやったのだから、その辺りをやりましょうか?
6、ラファエロは、非常に人が良くて、頼まれたことはほとんど嫌と言わずに引き受けたそうです。頼まれると断れない性格だったようです。そのために、過労死してしまったのではないかと言われます。
また、絵の注文を断らなかっただけでなく、女性からの誘いも断らなかったらしく、多くの女性との関係があるようです。こちらは、断ってもいいですよね。
7、ラファエロは、自分が習得した技法は全て、弟子たちに教えました。このころは、徒弟制度ですから、先生の技法を学んで一人前になります。権威を強調する先生は、自分の技術を秘伝のようにして、やたら教えない人もいますが、(企業秘密ですね)ラファエロは、全く惜しまず誰にでも全てを教えました。
そんなことまで、教えちゃっていいんですか?とよく言われていたようです。
この点は、私も同じです。私は知っていることが大したことはありませんが。
8、レオナルドは、人物を描く場合、モデルをある程度変えてでも理想化して描きますが、ラファエロは見えるとおりに忠実に描きました。だから、変な顔の人は変な顔のまま描きました。モナリザと同じポーズで描いた絵は、ポーズは同じでも顔は、やめてほしいなあという感じのものです。
だから、マリア様を描くときは、理想的な良い顔が描けますよね。
だれも見た人がいないので、こんな顔ならいいなあという顔を描きました。
9、レオナルドは、同性愛で二度逮捕されています。
いずれも、証拠不十分で釈放されていますが、疑いはかけられました。
はっきりと証拠があると、死刑にされていたかもしれないのです。
サライはその疑いの一人ですが、サライとは小悪魔という意味です。
本名はジャコモといいました。
10、後に、サライはレオナルドの養子になりますが、その後、レオナルドがフランチェスカ、メルツィーという男の子をかわいがるようになると、サライが嫉妬したという話もあります。
11、レオナルドが、30歳でミラノに行った時は、画家としてよりも音楽家として、行きました。リラの名手だったそうです。画家としての自分を知ってもらい、その腕を生かすために、ずいぶん自分を売り込まなければならなかったと書かれていました。
12、レオナルドは、話が上手くて、ご婦人たちに大人気でした。
13、レオナルドは、生涯結婚をしませんでした。母親コンプレックスがあったのではないかと言われます。だから、女性より男性が良かったのかもしれません。
しかし、最近、レオナルドには5人の隠し子がいたという話が出て来ました。
これは、私も最近聞いた話なので、詳しく掴んでいません。いままで、そのような話はなかったので、研究が待たれます。
書いていくと、切りもなく出て来ますね。また、思いつくままに書きますね。