絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

最後の審判

2009-08-28 | 美術
お待ちかねの最後の審判をお話します。

まず、クイズから。

1、ミケランジェロの最後の審判は、何礼拝堂ですか?
2、約何人の人が描いてありますか。?
3、地獄に落ちるのは、向かって右ですか、左ですか?
4、ミケランジェロの自画像は、どこに描かれていますか?
5、使われている青はなんですか?
6、ミケランジェロに最後の審判を描くように命じたのは誰ですか?
7、ミケランジェロが何歳から何歳の時の制作ですか?
8、右下に地獄の門番が描かれています。どんな状態で描かれていますか?
9、それは、なぜそのように描いたのですか?
10、ミケランジェロが描いてから、クレームがついて、後の画家が何かを描き足しました。何を描き足しましたか?
11、その画家たちは、何と呼ばれましたか?

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このくらいで、いかかでしょうか?
チャレンジしてください。

答えは、夜にでも書きます。

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夜になりました。答えを書きます。

1、システィーナ礼拝堂
2、約400人
3、右側
4、キリストの右下の方で、皮を剥がれた顔です。
5、ラピスラズリー
6、クレメンス7世
7、60歳から66歳
8、男性の性器に蛇が噛みついている。
9、管理人がうるさいので、その人の顔を地獄の門番ミノスに使って、わざわざそのように描いた。
10、腰布
11、パンツ画家

さあ、いくつできましたか?

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ミケランジェロは右利きじゃないかな?

2009-08-27 | 美術
先日のブログで、ミケランジェロも左利きだったとつきおよしおさんが言っていたと紹介しましたが、どうも私には、右利きとしか思えません。

それは、ミケランジェロのデッサンの線が、右上から左下への斜線が多いからです。影の線を描くときの斜線は、もし左利きの人が、右上から左下への線を引けば、下へ膨らむのですが、上に膨らんでいるので、完全に右利きの特徴が出ています。

私は、右利きだと思います。

みなさんは、どう思いますか?つきおよしおさんに聞いてみたいです。

つきおよしおさんという人は、東京大学名誉教授という紹介でした。毎週木曜日にTBSラジオの森本さんのスタンバイで、日本全国8時ですに出ている方です。

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天井壁画のつづき

2009-08-27 | 美術
もう一歩、詳しく知りたい人のために、少し付け加えます。

実は、ミケランジェロはこの天井画の前に、ユリウス2世のお墓を作るように依頼されていました。そして、そのために、石切り場に8ヶ月滞在して、ふさわしい石を切り出していました。

それは、かなりの量で、実は、彫刻を40体作る計画だったのです。しかし、それが、中止になってしまいました。

生きている内にそんなものを作るのは、良くないとブラマンテが言ったとか?
とにかく、ミケランジェロが嫌いだったブラマンテが邪魔をしたことは確かです。

それで、無理難題の天井画を描かされることになったのです。

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一応、そのお墓の計画の一部として、後にモーゼ像だけは完成します。
今は、モーゼ像はローマのサンピエトロインビンコリ教会にありますが、元々はユリウス2世のお墓の一部として作られたものでした。



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天井画の足場の話ですが、初めはある建築家に足場を組んでもらったという話があって、わざと壊れるように作られていて、ミケランジェロはそのために落ちてけがをしたという話があるのです。しかし、その場合、あの足場では落ちたら死にますよね。その時の足場とはどういうものだったのか、ちょっと分からなくなりました。下から足場が組まれていて、その途中から落ちたなら、理解できるのですが。
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それにしても、あの足場では、絵が見えませんね。ミケランジェロはどうやって全体を見たのでしょう?描いている途中で、全体が見えないとどのようにできているのかわからないですよね。

実物大の下絵を作って、紙を当てて、線の上に穴を開けて、その穴から粉をぶつけて、点線の形をとり、それを頼りに描いていくわけですが、それにしても全体が見えなければ、やりにくいです。

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ミケランジェロが描いてから、50年後くらいに壁の一部が剥がれました。
そのため、修復が行われましたが、それが今回の修復ではっきりわかる部分があります。それは、ある人物の腕の部分から色が変わっているからです。

実は、50年間のろうそくや油の煤が天井に着いていて、その煤の汚れに合わせて描いたため、汚れた色になっているのです。だから、他の部分は汚れを取ると、綺麗になるのですが、その部分は、綺麗になりません。
その修復をした人の技術も大したものでしたね。

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ノアの洪水の部分の壁が壊れて落ちています。
それは、近くの火薬工場が爆発を起こしたときに、その衝撃で落ちたのだと言われています。
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アダムの誕生の絵は、印象に残る絵ですが、描かれた当時もかなりの注目の的だったようです。なぜなら、神の顔が描かれているからです。
キリストの顔は多くの画家が描いていますが、神様の顔はなかなか見たことがないでしょう。私も他の人が描いた神の顔で印象に残っているものがありません。

だから、ミケランジェロの描いた神の顔は、衝撃が強いです。



神は、自分の姿に似せて人間を作ったということになっていますよね。だから、神は我々人間と同じ形をしている筈だということは分かりますが、それにしてもどんな顔をしているかは、誰も見たことがないのです。だから、どんな顔を描くかという点が注目されました。
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また、この絵は、アダムと神との関係が指先が触れあうような触れあわないようなという微妙な関係で描かれています。ここに現れる緊張感は、鋭角三角形と円が作る空間の緊張感に似ていると現代の抽象画家が述べていました。
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また、アダムにへそがあるのは、おかしいなんて言う人もいます。
へそとは、母親とつなかっているのだから、神様が泥んこ遊びで作るときには、へそは必要ないはずだという意見です。どう思いますか。

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12人の人が周りに描かれていますが、その内の一人は、ユリウス2世の顔が使われているものがあります。


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また、巫女の絵を描く時も、ミケランジェロは、とにかく男をデッサンして、それを元に、女性に変えて描いたということです。あの筋肉は男を描いたからだと。



レオナルドと同様に、同性愛の噂もありますね。

実際に、男性に対して恋文も送っていたようです。
60歳から72歳のときに、ある修道女に恋をしていますから、単なる同性愛ではないでしょう。男にも女にもすごいものに憧れる人だったと理解した方が良いかと思います。
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ミケランジェロのエピソード

2009-08-27 | 美術
ミケランジェロのエピソードを紹介します。

1、ダビデ像の逸話

  石切り場から運ばれて、フィレンツェの街に置かれていた形のおかしい石がありました。形が歪だったために、誰もこの石を彫刻にすることができないので放置されてあったのです。
  しかし、そこへ通りかかったミケランジェロがそれを聞くと、「この中にダビデがいるじゃないか」と言いました。
  すると、それを聞いた人々が「そんな生意気なことを言うなら、お前彫ってみろ」と言ったため、これを作ったと言われます。

  一説には、この石は他の彫刻家が途中まで彫っていて、上手くいかないで放置してあったので、誰も作りたがらないで置き去りになっていたともいわれます。

とにかく、こんな凄い作品を完成させてしまいました。

すると、どうにも悔しいのでなんか文句をいってやろうと、クレームをつけた人がいました。「ダビデにしては、鼻が高すぎるんじゃないか」と。

ミケランジェロは、それに対して、言い返さず、梯子をかけて登っていき、鼻を削る動作をしました。しかし、鼻には全く触れません。そして、登る前にそっと掴んでいった石の粉を少しづつパラパラと巻きました。
そして、降りて来て、「これで、どうでしょうか」と尋ねました。
すると、その人は、「うん、さっきよりずっと良くなった」と言ったそうです。

身分の違いで、逆らうことのできない人だったのでしょうか?
それとも、わざと、嘲笑うためにやったのでしょうか。
とにかく、芸術家の意地も感じますね。言われたからと言ってやり直す訳ないじゃないかということです。

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2、ミケランジェロは、頑固で生意気

若い時に、友達の彫刻を酷評して、友達から殴られています。
そして、鼻の骨を折りました。そのためミケランジェロの肖像画や彫刻を見ると、鼻が凹んでいます。それは、そのときの骨折です。

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3、ミケランジェロは、レオナルドを馬鹿にしていました。

レオナルドは、絵しか描けないじゃないか。絵だけなら女でも子供できるぞと。
それは、男なら彫刻をやるもんだと言ったのです。今では、画家の方が威張っている感じがしますが、当時は彫刻こそ男の仕事という感じで画家より、威張っていました。
しかし、そんなことを言っても、ミケランジェロは、レオナルドが描いた絵を模写したりしていたようです。それを見つけたラファエロが、言っていることと違うと言って、笑ったとか。なんだかんだ言っても認めているんだなと。

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4、ミケランジェロの先祖

あるとき、友達がいろいろ調べたらミケランジェロの先祖はマチルダ夫人だと教えてくれました。マチルダ夫人とは、カノッサの屈辱のとき、グレゴリウス7世とハインリッヒ4世の間に入って、ハインリッヒ4世の破門を解いてあげた人です。

それを聞いたミケランジェロは喜び、みんなに言いふらしたといいます。良く調べると、どうもその話は怪しいのですが、ミケランジェロは死ぬまでそのことを信じていたそうです。
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そんなことを、言わなくても、ミケランジェロ自身がそれ以上に凄いのにね。

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5、サンミニアートが日本で使われいる。

ミケランジェロは、フィレンツェが共和政を望んで戦った時、メヂチ家の敵側に加わりました。そのときに、作ったのが、サンミニアートという要塞です。これは、フィレンツェのアルノ川を挟んで反対側の丘に作りましたが、この形は日本で北海道の五稜郭のデザインで使われています。

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6、半年隠れていた。

戦いに敗れた共和政側は、ほとんどが死刑になりました。
しかし、ミケランジェロは隠れて、命拾いをしました。その隠れた場所が、最近わかりました。
現在のメヂチ家礼拝堂の地下です。

サンロレンツォ教会の下に地下がありますが、最近観光客が増えたので、流れをよくするために、通路を作ろうとして、地下を改造しようとしたら、ミケランジェロのデッサンが壁に描かれているのを発見したのです。
ミケランジェロはここに隠れていたんだと分かりました。

井戸があったので、なんとか生き伸びたようです。半年くらい隠れていました。
見つかって、出て来た時、命を助けたのは、クレメンス7世でした。

子供時代から一緒にメヂチ家で育ったのです。そのために助かりました。
とにかく、言われた仕事をするように言われました。

クレメンス7世とは、神聖ローマ帝国が攻めて来た時に、サンタンジェロ城に隠れて、スイスの兵隊が最後まで一緒に戦ってくれたため、今でもバチカンを守る兵隊はスイスの若者に限定されているという話をしたときに紹介した法王です。

ミケランジェロに最後の審判を描くように命じた人としても有名です。
命じて、ミケランジェロが仕事を始める直前に亡くなってしまいましたが。

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そのクレメンス7世のお陰で、命拾いをした訳ですが、一緒に戦った仲間がみんな死刑になったので、その後のミケランジェロがどのくらい仲間に対して済まない気持ちで生きたかは測り知れません。
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そういった、苦悩をかかえながらの人生になったのです。
だから、奴隷をつくったのも、そうした苦悩の現れだったかもしれません。
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7、天井壁画で、フレスコの先生たちを首にした。

これは、既に、お話しましたから、省きます。

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8、ダビデ像設置委員会のエピソード

ダビデ像をどこに置くかという委員会が開かれた時、レオナルドはシニョーリア広場のロッジア、つまり屋根の下がいいと言ったが、ミケランジェロは彫刻は青空の下に置くものだと言って、市庁舎の前を主張した。

ここでも、レオナルドを馬鹿にする発言をしたのです。

まだまだ、いろいろありますね。調べてみると面白いですよ。
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システィーナ礼拝堂の天井画

2009-08-26 | 美術
ミケランジェロが描いた最大の絵、システィーナ礼拝堂の天井画のお話をします。

ここは、天使と悪魔でも、出て来ましたが、ローマ法王を決める場所でもあります。それをコンクラーベといいます。決まるまで、誰も出てこられません。何日もかかることがあります。決まると白い煙が煙突から出るんでしたよね。

この礼拝堂の天井に絵を描くように、ミケランジェロは命令されました。
ミケランジェロは、彫刻家ですからできないと断りました。しかし、命令ですからやらないと命の危険さえあったのです。しかたなく始めます。

最初は、12人だけ描く予定でした。天井を全部埋め尽くすほどの絵を描くのは、不可能だと思ったのです。

一度は、挫折して逃げますが、つぎに現れた時は、この天井全部を埋める設計図を持っていました。

こんな大変な仕事を引き受けてしまったと、何度も嘆いています。



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内容は、旧約聖書の天地創造です。神が光と闇を分けた、天と地を分けた、太陽と月を誕生させた。アダムの誕生、楽園追放、ノアの洪水などが描かれています。

因みに、神は、この仕事を6日間でやりとげ、7日目に休まれた。だから、一週間は7日なんですね。

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ミケランジェロは、絵は素人でした。フレスコ画の描き方を知りませんでした。そのため、その技法を教えてもらうために、フレスコ画の専門家を5人雇っています。そして、描いたのがノアの洪水の部分です。
人間が小さめで、たくさんいるのは、共同制作だからです。

全部を共同でやれば、負担も減るのですが、ミケランジェロは、フレスコ画の技法を習得すると、その技師たちを首にしてしまいます。
下手すぎて、使えないと言っています。

ミケランジェロからすると、許せない下手さだったのです。

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だから、それ以降、一人でやることになりました。

大変なことです。

普通でさえ大変なのに、天井ですから、上を向いて描きます。それを4年間やりました。33歳から37歳までです。このとき、ラファエロが隣の建物で、アテナイの学堂を描いていました。

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ミケランジェロは、着の身着のまま、ほどんど、その場で過ごしました。パンと葡萄酒で、ろくなものを食べないで、制作に熱中しました。
そのため、あるとき、長靴を脱いだら、ごっそりと足の皮がむけてしまったといいます。足が蒸れていたのです。

完成間近のときは、首が上を向いたままの体が沿った状態で歩いていたと言います。絵具が顔に垂れるので、目に入って、目を傷めたともいわれます。

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最近、ミケランジェロが足場を組んだ状態が判明しました。
下から、建築現場のように足場を組んだと思われていましたが、それでは、教会の礼拝堂の役目が果たせません。それが、壁に穴を開けて鉄柱を差し込んで、その上に足場を組んだらしいです。



ブラマンテに相談したら、天井に穴を開けてブランコみたいに吊るしたらどうだと言われたそうですが、それでは、その開けた穴はどうするかということで、その案はだめだとなったようです。

そもそも、この仕事はブラマンテがミケランジェロを困らせようと、仕組んだとも言われています。ミケランジェロが生意気なので、無理難題を押し付けて、できなかったと言って笑ってやろうというものでした。

しかし、結果はとんでもないものでした。ミケランジェロの凄さが更にわかるものになったのです。
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近年、修復が行われて、煤が掃われて、綺麗になりました。煤で汚れている方が重みがあっていいなどという人もいますが、フレスコ画は表面の汚れを取ると、描いた時の状態に戻りますからすごいことです。
レオナルドの最後の晩餐の痛み具合から考えると、正式なブオンフレスコはすごいですね。

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私が初めて行ったのは、15年くらい前ですが、その頃は、撮影もあまりうるさいことを言われず、みんな写真やビデオを撮っていました。私もそのときはしっかり撮影をしてきました。今は、どちらもだめのようです。
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両サイドに腰掛けられる板状のものがあって、そこに座って、みんな口を開けて上を見ている状態でした。
ときどき、ざわざわして来ると、係の人が、口に人差し指をあてて「シーーッ」と言うのです。日本でもイタリアでも、静かにしてくださいというのは、同じなんだなと思いました。
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教会の礼拝堂ですから、美術館ではないのです。

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正面の祭壇画は、最後の審判です。これは、また、別の時にお話しします。









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