絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ラファエロのアテナイの学堂

2009-08-25 | 美術
この絵は、ギリシャの哲学者たちが描かれています。

バチカン美術館の署名の間という部屋にあります。

キリスト教の総本山にギリシャの哲学者という点がルネッサンスですね。

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中央にいるのが、プラトンとアリストテレスです。左がプラトン(ソクラテスの弟子です)で、顔はレオナルドの顔を使っています。右がアリストテレスでミケランジェロの顔を使ったと言われています。



ラファエロは、レオナルドもミケランジェロも尊敬していたので、尊敬する二人の顔を使わせてもらったということです。
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蒲田行進曲様のおっしゃる通り、ラファエロの恋人(マルガリータ)とラファエロ自身が絵の中に描かれています。しかも、二人とも体は斜めですが、視線はまっすぐこちらを向いています。二人をくっつけたら、なかよくカップルになるように、同じ高さで描かれています。



この恋人は、パン屋の娘で、フォルナリーナと言われます。粉挽き娘という意味です。

フォルナリーナをモデルにした絵が、二枚ありますが、一枚は上半身が裸で、胸が見えています。ラファエロは身分の高い人と婚約をしていましたが、フォルナリーナを好きだったので、結局結婚はしませんでした。フォルナリーナとも結婚はしないまま、37歳の若さで亡くなってしまいました。
過労死だろうと言われています。

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この絵を描いているときは、ミケランジェロが隣のシスティーナ礼拝堂で天井画を描いている時でした。一番手前の頬杖をついている人物は、初めの計画ではいませんでした。この絵だけ少し描き方が違うので、ラファエロはミケランジェロの天井画を見て、ミケランジェロの描き方を真似したくなり、後から描き足したのだといわれています。まるで、技術を盗んで、描いたようなことを言われました。
もっと、酷い説になると、この部分だけミケランジェロが描き足したのだという噂まで、出ました。この人物のモデルもミケランジェロではないかと言われています。しかし、いろいろな本を読むと、そうではない人がモデルだと描かれているものもあります。



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絵の中には、アレクサンダー大王や、ソクラテス、ユークリッドまたはアルキメデス、ピタゴラスも描かれているようです。
アレクサンダーは、画面の左の兜を被っている人物です。その2~3人右のグリーンの服を着ているのが、ソクラテス。
右下のコンパスを持って、地面に何かを書いているのが、ユークリッドまたはアルキメデス?
左下の本を持った学者がピタゴラスだったと思います。

アレクサンダーの家庭教師がアリストテレスです。
ソクラテスとプラトンが40歳くらい違い、プラトンとアリストテレスがやはり40歳くらい違うと私は把握しているので、アレクサンダーとソクラテスが、同時に描かれたら、本来はありえないことなのですが、有名人をみんな描きたいので、そういう歴史的な事実は無視して描いてありますね。

ギリシャの哲学者については、どの人が誰なのか、ラファエロははっきり示さなかったようです。だから、いろいろな説があります。



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最後の晩餐のつづき

2009-08-24 | 絵のこと
もう一歩詳しく知りたい人のために、
最後の晩餐の続きを書きます。

私が、最後の晩餐を見たのは、一度きりです。もう13年前になります。
美術部の生徒13人を連れて、イタリア4都市を周ったときでした。

サンタマリアデレグラッツェという名前は、マリアさんありがとう教会と覚えると、忘れないかな?と思います。

この時は、まだ予約制ではなかったのかもしれません。とにかく朝早く行って並びましょうと添乗員さんから言われて、早々と行った記憶があります。
ほとんど、私たちが一番でした。

そのあと、長蛇の列ができたので、早く行って良かったと思いました。

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この教会は、赤いレンガ作りで、正面から見ると、三角形の屋根が付いています。
中央は円柱のクーポラがあります。
最後の晩餐は、その左側の建物で、教会とつながっています。

私たちは、時間まで待たされた後、私たちより数人の早く来ていた人の後で、入りました。人数制限をしているらしく、前の人たちが動かないと中に入れません。

まず、ガラスのエレベーターのような箱に入って、前の人たちが移動するのを待ちます。移動したら、そのガラスの箱が開いて、中に入れます。

私が見たときは、まだ修復の途中でした。右半分が終わって、左半分がまだでした。途中だったので、修復された部分とまだの違いが分かりました。
まだの部分は、黒ずんでいました。

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実は、この部屋は、本来は食堂でしたが、画学生の勉強の場になったと言いましたが、戦争中は馬小屋でした。絵の下に入口のようなものがあるのは、馬の出入り口だったそうです。兵隊たちは、絵に石を投げつけたりしたそうです。
大変な酷い扱いを受けましたね。

また、絵の反対側の壁には、キリストの磔刑の絵が描かれています。
ゴルゴダの丘で磔刑になった状態が描かれています。
二人の盗賊と一緒に磔になったのですが、一人は、キリストを罵っています。
「お前が神様なら、早くこの状態から抜け出せばいいじゃないか」と言ったとか。
もう一人は、キリストは神様だと信じて、やすらかに死んだという話です。

ダビンチコードでは、キリストは磔になったけれど、死んではいなかった。
仮死状態だったのをロンギヌスが槍でつついても反応がないので、死んだと判断して、キリストを引き取りたいというヨハネに渡したという話になっています。

磔のとき気を失うと、着付け薬のように酢のようなものを嗅がせることをしたそうですが、その薬が酢ではなく、ある特殊な薬を使って死んだように見せかけたという話なのです。果たして、真実のほどは分かりませんが、そのためキリストは死んでいなかった。だから、ヨハネはキリストを墓に運んで、埋葬したことになっていますが、3日後に復活したというのは、死んでいなかったからだというのです。

この話を聞くと、死んでから3日後に復活したという話より、リアリティがありますよね。

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本来は、磔になった人はそのまま放置して置くべきなので、おろしてはいけないのですが、相当な賄賂を使って許可を得たのではないかと思います。

ここでいう、ヨハネとは洗礼者ヨハネではありません。

洗礼者ヨハネは、ヘロデ王とその妃を批判した罪で、つかまり、その娘のサロメの踊りのご褒美に首を切られています。

サロメが上手に踊ったら、何でも褒美にやろうとヘロデ王が言ったので、サロメは踊りの後、母親と相談して、ヨハネの首がほしいと言ったのです。


なぜ、そのようなことを言ったかというと、サロメはヨハネに恋をして振られたからなのです。振られた腹いせに死刑を望んだのです。

ヨハネが批判したのは、ヘロデ王が兄を追い出し、その妻を自分の嫁にしたからで、ヘロデと妃を批判しました。だから、サロメの母もヨハネを憎んでいました。
このことは、19世紀の画家モローが描いています。

この絵は、左がサロメです。光を放っている首がヨハネです。首を持ってきたら、サロメの前で、空中に浮き上がり、光を放って、この後、空に飛んで行ったという話です。
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サンタマリアデレグラッツェ教会のこの食堂は、戦争で壊れましたが、最後の晩餐とその反対側のこの磔刑の絵は、壊れないで残りました。真中が屋根が落ちて、完全につぶれたのに前後の壁が無事だったのは、良かったですね。
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15人づつ前の絵と後ろの絵を見学し、15人が出ると、次の15人が入るという感じで、見学をしていました。

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テンペラという技法は、正式にはフレスコセッコと言います。
セッコ技法と書いてあるものもあります。

ガイドブックにフレスコと書いてあるものがありますが、このセッコを省いて書いたものです。それでは、正式なフレスコ画と勘違いしますよね。

正式なフレスコ画は、ブオンフレスコと言います。

ブオンとは、ボンジョルノというイタリア語の「こんにちは」のボンの部分です。

良いとか、正式なという意味を持ちます。

英語はグッドモーニングですよね。そのグッドに値します。

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ミラノはレオナルドが30歳から47歳までやく18年間過ごした場所です。
この最後の晩餐は、43歳のときから2年間で描きました。

最近の研究では、この絵の中に、音楽が隠されているという話まで出て来ました。
弟子たちの手とパンの位置だったかな?それを音符にしてみると、右から弾けば音楽が出てくるというのです。

また、その形をつなげて、テーブルのラインで上下に回転させると壺の形になって、聖杯が隠されているという話まで、出て来ました。いよいよ面白くなってきましたね。まだまだ、いろいろな説がありそうです。

今後の研究が楽しみですね。

追加します。
ロンギヌスの槍と言いましたが、ロンギヌスは目が悪かったのです。しかし、このとき、つついて飛び出したキリストの血が目に入り、目が治ったのだそうです。

この槍もキリストの聖遺物として、貴重なもので、それをヒットラーが持っていたとかいう噂も出ています。

因みに、レオナルドが住んでいたのは、この教会の道を隔てて、右側の白い建物です。ここで、母カテリーナと2年間過ごしたようです。



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クロッキー

2009-08-23 | 絵画指導
私のクロッキーです。少し変わった角度から描いてみました。

寝ポーズをやってもらえたので、この角度から描くのは面白かったです。

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デッサン会の生徒さんのクロッキーを紹介します。

まだ、100枚まで行きませんがなかなかうまくなってきました。





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自己流のつづき

2009-08-22 | 絵画指導
先日の方が、私のアドバイスを受けて、自分なりに描いて持ってきました。

すごく、良くなりました。

しかし、まだ、知らないことがたくさんあるようで、今日は、私の目の前で描くということをやってもらいました。

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私が驚いたことは、黒を持っていないことでした。
だから、派手な色ばかり使ってしまうのです。

また、きれいに描くことばかり、考えています。

そのため、「汚すことを覚えないと、深くなりませんよ」と話しました。

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この方は、私が教えた生徒たちの絵に感動してどうしてあのように描けるのだろうと思っていたというのです。しかし、180枚以上も描いていながら、黒を使ったことがなかったと言います。

確かに、印象派の画家は黒を使いませんでした。
分かっている人ならいいのですが、わからない人が黒を使わなかったら、彩度を落とすことが出来ません。

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だから、今日は敢えて黒を混ぜて、色の彩度を落とすことを教えました。

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実は、先日写真を撮るのを忘れました。先日の状態を撮影しておけば、今日どのくらい良くなって持って来たかが、わかるのですが、残念でした。



この二枚を比べてください。




今日は、バックを汚すことをやってみました。
左下の影の部分に、黒を使って暗くしました。黒そのものではなく、暗い青を作ったのですが、本人は暗い青の作り方を知らなかったので、黒を混ぜてくださいと言われて、びっくりしていました。
ウルトラマリンに黒を入れて、暗くしたのです。黒を使わないなら、どうやってそれ以上暗い色を作るのですか?と逆に私が質問しました。
ウルトラマリンをそのまま使ったのでは、派手になってしまい、落ち着いた暗さになりませんよと話しました。

黒くなりすぎたら、少し白を混ぜますと言ったら、また、びっくりしていました。
どうも、薄塗りのテレビの指導を見ているだけなので、あの淡彩画の描き方をうのみにしているようです。それでは、ダメなのです。
自己流とは言いつつ、テレビの指導をそのまま受け入れているのです。

それでは、本庄第一の生徒のような絵には永遠になりませんよと話しました。


絵を深くするには、一度汚すことも覚えないと、本当の深さは掴めないということを今日は何回も話しました。

薄塗りの淡彩画では、油絵と戦えませんと。

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この絵では、バックの壁と床をいっぺんに描くことも教えました。
つぼの後ろの空間として、同時に扱うことを教えたのです。
つぼの輪郭線も消しました。暗い中の空気ということを知ってもらいました。

また、背景が単調なので、画面の右の外に何かがあると思って、その影でもあるつもりで、背景を汚しましょうと言って、暗くしてみました。

また、葉のグリーンに段階が少ないので、もっと暗い部分を作りましょうと、更に暗いグリーンの部分に陰で使った暗い青を入れてみました。これで、花が更にくっきりと目立ってきました。

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実は、これより前の段階では、花瓶が緑色をしていて、葉の色と同じだったのですが、それでは、カメレオン状態なので、とにかく花瓶の色を変えなくてはだめですと言っておきました。そうしたら、こんなにいい色にしてくれました。だから、花瓶は今日はほとんどいじっていません。左側の輪郭線のあたりをつぶしたくらいです。

しかし、本人は、花瓶が汚くなっちゃって困りましたと言ったのです。
私は、これで、いいんですよと言いました。花瓶が奇麗じゃ花がどんどん死んでしまいますよと。
花が主役なのだから、花瓶が死んでいいのですと。

本当は、花びらも全部つぶして描き込みたいのですが、それをやる勇気はないですかと聞きました。すると、勘弁してくださいと言われたので、やめました。

まだ、花びらが同じ過ぎて本当の質感が出ていないのです。

しかし、一度に多くを求めすぎると、消化不良をおこしますから、今日はこのくらいでやめておきますかということで、終わりにしました。

しかし、とにかくこんなによくなるなんてと驚いていました。

かえすがえす、この絵の最初の段階をお見せできないことが残念です。

風呂屋のペンキ絵と言ったのは、この絵ではありません。それは、風景でした。
この絵は、なかなかいいですよと言われた絵でした。
描き込めばなんとかなるので、これは、仕上げてみましょうということで、やりました。この段階なら、展覧会にも出せますよといいました。

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目標の立て方

2009-08-22 | 画家の独り事
以前よく生徒に話したことに、目標の立て方という話があった。

思い出して書いてみたい。

輪投げという遊びがある。買ってきて美術室で生徒と一緒に遊んだ。
輪は、針金で手作りで、いろいろな大きさのものを作って遊んだ。
それで、思いついたのだが、楽しく遊ぶにはそれなりのやり方がある。

極端な話、手の届く範囲で、フラフープみたいな大きな輪でやれば、百発百中で面白くない。逆に、10メートルも離して、指輪みたいな大きさでは、絶対に入らない。これも面白くない。
面白く遊ぶには、入ったり入らなかったりする距離でやるのがいい。
しかも、上手にやらないとなかなか入らないという距離がいい。

これは、誰にでもわかる。
要するに、ちょっと難しいけれど、努力すると入るという距離が丁度いい。

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私は、この目標を県展という展覧会に設定した。

これが、本庄第一高校の美術部の目標だった。
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普通は、高校生には県展は難しい。しかし、努力すると入ることがある。
そういう位置にある目標だったのである。
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しかし、そうは言っても、いきなり県展レベルは、ちょっと高すぎるという考えもあった。

それで、それより低いハードルも見つけて、階段を上がるように目標設定をしていった。

それが、麓原展であり、県北展であり、群馬県展であった。
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人によって、レベルの差があるため、ちょっと難しいと思われる目標が人によって違う。

まずは、麓原展の入選、次は県北展の入選、次は群馬県展の入選、次は麓原展の特選。
この麓原展の特選が埼玉県展の入選と同じくらいのレベル、その次が県北展の特選、次が群馬県展の特選という具合である。

埼玉県展の特選までいけなかったのが、残念であるが、特選の候補までは、何人も行った。

このように、段々と階段を上るように、目標をクリアーしていった。

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自分にとって、どのあたりを、目標にするといいのかを考えながら、頑張れば実現できる範囲の目標を設定して、取り組むと、面白い挑戦ができると思う。

私の目標設定の考え方を紹介しました。
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