息子が高校へ進むことを決めたのは去年の今頃だったか。
幼稚園にだましだまし連れて行き
あんなに嫌がった小学校にもなだめすかして連れて行き
療育にも説得して連れて行き
通級にも 病院にも ここにもあそこにも さんざん連れて行った。
嫌だって言ってるのに、下手なやり方のままで。
何もかもが全く足りない親だった。
そんなことにも気づかずに
自分はとても理解のある親だと思っていたんだから笑っちゃう。
中学に上がると
散々私に否定され奪われた息子の主体性が悲鳴をあげた。
自分の意志など尊重されずにきて
自分の中によりどころとなる核もないのに
どうやって大人になれというの?
どうやって自分を出したらいいの?
この先自分は一体どうなるの?
さあ、あなたの思うようにやりなさいって一体なんなの。
こんな枯渇したエネルギーのままで、満たし方もわからず何を道しるべにしたらいいの?
そう、
不安にならない方がおかしい。
でもこの時の私には、考えても考えても答えが見つけられなかった。
息子の苦しみの原因がわからなかった。
中学の3年間、
理解者に恵まれ 支えてくれる温かい人たちに恵まれながらも
私は自分に足りないものに気付かなかった。
中学3年の1年間を
息子は暗くて深い底なし沼のような恐怖の中で過ごした。
毎日毎日 苦しんでいた。
「恐い。先のことを考えると不安でたまらない。僕はどうなってしまうんだろう」
今立っている足元すらはっきり見えないのに
どうして明日の自分の姿が想像できる?
息子には、数時間後にこの気持ちから回復できているかどうかの
イメージすら持てなかっただろうに。
あれからもうじき1年が経つ。
ちょっと前、先週だったかな、今まで出来なかった質問をしてみた。
わからない、って言われるのがなんとなく恐くてなかなか聞けなかったこと。
逆に不安をあおるんじゃないかと思って聞けなかったこと。
「ねえ、20才になったら何していたい?」
「卓球を、沢山たくさんしていたい、してると思う」
「そうか、じゃあ、・・・30才は何してる?」
「好きなこと見つけて、それからしっかり働いていると思う、働いていたい」
しっかり働く人になる。
未来の自分のイメージが息子に生まれていました。
3月のライオンのセリフじゃないけれど
「しっかり働く人になる、と自分で決めている」、
そう、それは息子が決めた息子にとって何より確実な未来像だ。
これがこの1年の息子の成長です。
まだ、始まったところで
まだまだ、足りないものだらけだけれど。
これからも行きつ戻りつ 少しずつ進んで行くことでしょう。
私ももうしばらく手伝いながらやっていきます。
いつかほどかれる手を念頭におきながら。