ハナウタ うたこの「宝物がいっぱい」

自分にとっての「好き」や「嬉しい」を集めて綴る、ささやかなことのブログです。

はじめてひとりで側転をした日のこと

2016年12月21日 | ❺ 追憶の日々

両親が働いていたので生まれて1ケ月くらいでもう保育園に行ってました。

その小さな保育園には「リズム」と呼ばれる時間があって、

それは2部屋の間仕切りを取っ払ってひとつのホールにして

壁際にイスを並べて子どもと先生が座って

先生のピアノに合わせて 歌ったり踊ったり 自由に動いたりする楽しい時間。

決まった動きをみんなですることもあれば

曲に合わせて自由に動くってのもあったりして 私は大好きだった。

 

「おもちゃのマーチ」に合わせるのは側転。

ホール中をくるくる側転で一周するのです。

年長くらいになると片手でする子も出てくる。

 

今でもよく覚えてるんだけど、私はこの側転、3才くらいまで出来なかった。

出来ない子には補助の先生が付いてくれるんだけど、

自我の芽生えか、だんだん私はそれがイヤになってきた。

大きい子達が誇らしげに一人でくるくるしてるのに、私は手伝って貰ってる。

いつになったら出来るようになるの?

それで気づいたの、練習しなければずっとこのままだ!って。

 

家の布団の上で練習するんだけど横に回るコツがつかめない。

逆立ちの要領からの横方向へ、が習得できない。

何日も練習したけど出来ないんです。

床に手をついて、関節を折り曲げたまま真似事みたいに小さく回るのはイヤだった。

私はひじも膝も全部ぴーんと伸ばした 大きな側転をしたかった。

だから余計出来なかった。

 

それでもある日の「リズム」の時間、側転の曲が流れ

いつものように先生が私の傍に来て「さあ、うーちゃん行こう!」って言った時

私 凄く強気に先生の手を振り払ったんです。

「今日からは一人でやる」って。

 

自分でもよくわかってるけど、まだ出来ない私。

それでももう手伝って貰うことに我慢がならなかったんだと思う。

 

前の子はどんどん先に行っちゃって、私との間に相当距離が出来てしまった時

私は意を決して一歩を踏み出した。

 

どう見ても側転じゃなかった。

逆立ちしては勢い余って向こう側へドタンと倒れる。

で、また立って 勢い付けて逆立ちして そして倒れる。

 

板張りの床にたいした受け身も取らずにひたすら倒れるを繰り返しながら

私は1周したのでした。

自分でも「私みっともないんだろうなぁ」と思いながら。

「今はまだこんなだけど、絶対うまくなるぞ!」って自分に誓いながら。

アドレナリン出てて痛みも感じなかったけど

この記憶は確かだ。

 

私が最後の1回をバッタンと倒れて立ち上がったとき

ホール中から拍手が起こった。

「うーちゃんすごい よく頑張った

ホールに居たいっぱいの先生たちが口々に力強く叫んですごくすごく喜んでくれていた。

 

あの時に、私はうまく出来ることの前に

自分の今持っている力を全部出しきるってこともいいことなんだと知ったのだ。

先生、「もうちょっとうまくなろうね」なんて言わないでくれてありがとう。

褒めて貰って、どれだけ自分が誇らしかったか。

人生で一番嬉しかった記憶のひとつだ。

この記憶があるから頑張れる時もあるくらい。

 

きっとあの時の私には“ひとりでやる”ってことが何より必要だったんだろうな。

妹が生まれた時期だったのかも。

私のベースはこの保育園で大方作って貰ったようなもの。

今でもすごく感謝している。

貧乏な保育園だから、

もしもいつか宝くじが当たったら、1/3くらい寄付することに決めている。

 

 


プーのおばかさん

2016年12月19日 | ❸ ブラックハナちゃん

お土産にもらった羽二重餅(はぶたえもち)を食べながらうちのプー(16才、息子)が言った。

「かーちゃん、このハニジュウモチはホントに美味しいね」

「・・へ!?・・聞き取れなかったんだけど、・・・何だって?」

ハニジュウモチが美味しいって言ったんだよ」

 

ねえ、それはもしかして、

アイラブユー アイウォンチュー アイニージュー・・・の仲間かな

それとも

5×4=20(ゴシニジュー)の方の仲間かな

それともそれとも

西遊記の孫悟空の仲間の河童のサゴジョーの・・・

 

あーーーかわいい。

うちのプーはなんてかわいいんだろ。

モーレツ かわいい。

プーのおばかさん

 

 


パキラのパキちゃん、その後

2016年12月18日 | 🐤 日記

10年以上も手をかけてこなかったパキラのパキちゃん、

今年の5月くらいに少し大きめの鉢に植え替えたら

あれよあれよと葉を付けて、今年は見たこともないような賑やかさになったの。

 

それまでは夏場に3枚ほど葉をつけて、冬に全部落とす・・・ってサイクルだったから

パキラとはそういうものだと思っていた私。

怖いわー。

そういう気づかなさが。

 

それでもパキちゃんは私のそばに文句を言うでもなく居続けて、

春から夏にかけて 

「お!?今年もくるかい?」

って感じで毎年葉っぱを出してた。

 

今年の7月31日には2枚目の葉っぱちゃんが出ました!って記事を書いたけど

その後なんと11月(に、ですよ)に7枚めの葉を出すまでに成長したのでした。

途中、4枚目の葉っぱが出始めた時

赤ちゃんの手のひらのような小さな葉に不用意に触れて(いい子いい子しちゃったの・・・

ポキッて折ってしまった時は申し訳なくて

謝っても取り返しはつかず

私の愛情表現はひどすぎる迷惑かけてる命まで奪って恥を知れと深く反省。

自分本位の愛の押しつけを見直すきっかけとなったのでした。

 

12月に入って寒いキッチンに耐え切れず

葉を落とし始めたパキちゃん。

そうだよ、ごめんね、温かい部屋がいいよねとまた今頃気づく私なのでした。

 

こんな私ですが パキちゃん、これからもよろしくね。

来年以降も色々教えて。

私、まだまだ知らないことだらけだから。

 

 

 


今年の我が家の漢字

2016年12月13日 | 🐤 日記

を、先ほど夕飯の席で息子が発表しました。

「今年の漢字ってあるじゃない?

 あれを自分たちに置き換えたら何になるかなと思って考えたよ。」と。

 

<2016年12月発表 ハナウタ家の今年を表す漢字>

息子       「跳」 → ※「昇」に変更するそうです

母ちゃん     「嬉」

ムスカ大佐(夫) 「西」

 

「西」って・・・・・

 

    ※大佐は大阪に単身赴任中。

 

 


まさかまさかの

2016年12月10日 | ❸ ブラックハナちゃん

明日は息子と朝から出かけることになっている。

結構ハードな予定だ。

イベントが3つ、ちょっと大変じゃない?と言うと

大変なんだけど全部行ってみたいんだ、と言われた。

 

どんな感じで動くかタイムテーブルみたいなことを話し合った。

大体の予定を決めておいて、あとは明日の気分次第で調整していこう、と決まった。

柔軟に考えて動く・・・いいチャンスだな。

 

しばらくして

「ちょっと来て」と息子に呼ばれたので行ってみると、

大まかな明日の動きが時間の流れに沿ってメモ書きされていた。

「書いてみたよ。母ちゃんこれ明日持って行ってくれない?」

 

 

う~・・ん、ちょっと待って。

なんで・・・私なんだ? 

もしかして心配で必要以上に私に依存してる行動なのかな・・・と気になったので

「自分で持ったら?」

と言ってみた。

「いや、・・・母ちゃんに持っていて欲しいんだ」

とやけに粘る。

「いいけど・・・君が持ってた方がいいんじゃない?」

と言うと、こう返してきた!

 

僕はもう頭に入ってるから大丈夫なんだ。

 でも母ちゃんは覚えないし、すぐ忘れるから・・・」

 

へっ はっ 

ああそうか

私、あたま関係・・・信用されてないんだわっ

 

まさかまさか。

私のために

 

ああ・・・支えてるつもりが支えられていたなんて。

ねえ、心配されていたのは私の方なの

うそ~