北のパラダイス

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北海道の自立その5~北海道の魅力その3

2013年06月09日 | 未来構想
北海道の魅力として、気質、自然環境に続き、今日は産業について考えてみたいと思います。

北海道には何と言っても豊富な食糧資源や潤沢な水資源、多様な観光資源があり、北海道が「日本の食料基地」とか「観光立国」とか言われる所以でもあります。

しかし、農業にしても観光にしても、恵まれた自然環境の恩恵をそのまま利用しているに過ぎない、という批判もあります。
いわゆる、農業は原材料をそのまま移出しているだけだし、観光にしても温泉や景観の良さに頼っているだけ、ということなんでしょうね。

確かに、北海道の農畜産物や水産物が本州で加工されて北海道に逆輸入されているという例はたくさんあります。
九州の「たらこ明太子」などは代表的な例ですね。

北海道で生産した物を、道内で加工・商品化し全国で販売するという取り組みも各地で行われていますが、全国に名を馳せている物はそれほど多くはないと思います。

余談ですが、私のところでも、北海道の原材料を使って新製品を作り、それを東京方面で販売する取り組みを、中小企業が手を組むことにより進めていますが、今はまだアンテナショップや季節毎の北海道展で販売しているに過ぎません。
首都圏などの百貨店や大手量販店で常設されるためには、原材料の調達や生産体制の整備など、中小企業での取り組みには限界があります。

これがどういうことを意味しているかというと、今の状態では一つの産業としては成り立たないということなんです。
私たちの取り組みも、何かプラスアルファがないと現状を打破することができません。それは人材、資金、技術、販路など全ての面で不足が生じているという事なんです。

しかし、マイナス要因ばかりではありません。
昨日も書きましたが、北海道は開拓が始まってからまだ150有余年の歴史しかありません。
日本の産業の原型は江戸時代に形作られたと私は思っていますが、江戸時代の最盛期である17世紀から18世紀には、北海道はまだ「蝦夷地」と呼ばれる原生林に覆われたアイヌ民族と少数の和人が暮す未開の地でした。

明治時代になってからたくさんの開拓民が北海道に渡って来るようになり、原生林の開墾、田・畑・牧草地の造成、水稲や野菜の生産、乳牛の飼育などが始まりましたが、北海道人が飢えないで生きていけるようになったのは戦後になってからだといいます。
それまでは、冷害や水害でまともに食糧生産が出来なかった年もあり、あまりの辛さに農業や酪農をやめたり、本州に引き揚げてしまった開拓民もたくさんいました。

このような過酷な時代には食うだけが精一杯で、農畜産物や水産物を加工して商品化するような取り組みを行う余裕など無く、加工用として原材料を本州方面に移出するのがやっとだったのは事実です。

現在の北海道は、農畜産業にしても、水産業にしても、生産一辺倒から加工の時代に入りました。
いろいろな地域で、産官学が一体となり新商品の開発にまい進しています。

300年ほど前、江戸の町が全国の特産物の集積地となり、日本各地の産業起こしの牽引役になったことが日本経済の発展に繋がったことは、想像に難くありません。

今の北海道は、まさに300年前の江戸時代のような状況かもしれない、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、でも、150年前には未開の地であったことを考えると、50年前にやっと飢えないで暮らせるようになり、その後の50年間で住宅やインフラの整備が進み生活レベルも、やっと本州並みになったんです。

そう考えると、北海道はまだまだ発展する余地がたくさん残っているという事になります。
豊富な農畜産物や水産物、潤沢な水資源、多様な観光資源など、資源に関しては底知れぬポテンシャルを秘めています。
加えて、太陽熱、風力、バイオマス、地熱などの自然・再生エネルギーのポテンシャルも、他を凌駕し圧倒しています。

これだけのポテンシャルを持つ地域(アイランド)はそうないと思います。
私が北海道を「北のパラダイス」と呼ぶ所以はまさにここにあります。
そして、何よりも素朴で温かく、かつ教育レベルの高い北海道人が550万人も住んでいるんです。

こんな魅力的なアイランドは世界を見渡しても、そうないでしょう。
ですから、北海道自立の鍵は此処にあるのです。

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