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地域興し番組「花咲か一座の豪快TV」の巻 - 岸本晃の住民ディレクターNEWS
イノシシ撃ち名人龍ちゃんの話をしましたが、元々は熊本県民テレビ在職中に企画した「花咲か一座の豪快TV」という地域活性化応援番組で出会った人で...
地域興し番組「花咲か一座の豪快TV」の巻 - 岸本晃の住民ディレクターNEWS
今日はびっくり、嬉しいお客様がお越しくださいました。
熊本県民テレビ(KKT)の地域おこし番組「花咲か一座の豪快テレビ」という番組に、須永博士も参加をしたのですがその時のアシスタントデレクターだった女性でした。
須永博士がまだ小国町に美術館を構えるなんて誰も想像できなかったころの話です。(1991年)
私も、この番組に出演したことは聞いたことがあったのですが、もう30年前のことでうろ覚え…
でも、熊本にくるきっかけや、熊本県民テレビのズームイン朝に出演することになったきっかけなどは須永博士からも聞いていました。
うろ覚えの中・・・その一番のきっかけとなった、崎坂祐司先生のことを取材して発行した「教壇」を開きながら・・・・
その女性の当時のお話を聞かせてもらい、まだ私も小国にくるなんて思ってもいなかった30年前と、こうして今ここにいることの不思議な縁を感じました。
その時、デレクターだった男性のお名前、「岸本さん」
岸本さんに出逢ったことも、須永博士が小国に惚れて第二の故郷にしようと思ったきっかけでもあります。
元アシスタントデレクターだった女性とお話しさせていただき、そして帰られてから須永博士に電話したら、
「そうそう!!なつかしい~~!」
と当時の思い出を教えてくれました。
ブログに書こうと思って検索していたら
こんな画像も発見!番組タイトルとイラストも須永博士が書いていたんですね。
当時のディレクターだった岸本さんのブログを見つけ、そこに書かれてありました。
「ちなみに一座のメンバーは第一回目の小国町では女子大生、お寺の和尚さん、元関取のちゃんこ鍋オーナー、
経済雑誌編集長、なぎなた師範、中国留学生、放浪の詩人(当時東京在住)、食クリエーター、陶芸家・・・などなどと七人を超える老若男女、業界もバラバラの全く異能集団でした。
このバラバラな人々が同じく地元の様々な年齢層、業界の面々と出会い激論し、実践する事業でした。
すでにこの頃から番組はオマケのようについてきました。
すでにビデオカメラも8ミリビデオでしたが一座メンバーに持ってもらい好きに撮ってもらっていました。「住民ディレクター」の先駆けでした。
この頃からいろんな人の目線が映像化される醍醐味を既に満喫していたのです。」
この記事を見つけられてよかったです!
そのあと、崎坂祐司先生がズームイン朝で紹介され、その1か月後に次は須永博士が「寅さんのような詩人」として紹介され・・・
1993年7月に作品館、1995年にアトリエ、そして1998年に須永博士美術館が出来ました。
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須永博士 初めての小国 1992年2月21日
「なぜ、小国に須永博士美術館があるのですか?」とよく聞かれます。 それは、このテレビ出演がきっかけでした。 「寅さんのような詩人」と紹介した...
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また、須永博士と岸本さんの再会・・・なんて日が来るといいなぁ。