「ドン・キホーテの旅」を読む
中公新書1672、2002年11月25日発行
著者は牛島信明氏、昭和15年(1940年)生まれ、東京外国語大学スペイン語学科
卒業。現在琉球大学教授
先日以前に買っておいたDVDで「ラ・マンチャの男」を見た。
ピーター・オトゥール主演、ソフィア・ローレン共演のミュージカルの映画化したもの
である。原作はスペインの作家、セルバンテスの「ドン・キホーテ」である。
漂泊の騎士が風車を巨人と間違えて闘う物語であったことは知っていたが、映画をみても
その言わんとしていることがいまいちわからなかった。
そこでこの本を借りてきて読んでみた。
ところが、読んでみると「ドン・キホーテ」は児童書にもなるが、哲学書でもありうる、
ひどく懐の深い小説であるということであった。
ドストエフスキーは「これまで天才によって創造されたあらゆる書物の中で最も偉大な、
最も憂鬱な書物である」と称えるもので、あらゆる小説は「ドン・キホーテ」のヴァリエーション
であるといわれるほどの、圧倒的文学的影響力を発揮してきたそうである
ただ、大長編であるのと、セルバンテスの文体がアイロニーとユーモアを核とするものであり、
それゆえ、既述の真意がどのあたりにあるのか、なかなか判然としない種類の作品である
といわれる。やはり、なかなかわかりにくいのである。
そこで、岩波文庫版の「ドン・キホーテ」の訳者である著者が説明してくれるには、
まず、著者セルバンテスの異常な生涯である。
〔第1章セルバンテスの生涯〕
ミケル・デ・セルバンテス・サアベドラ(1547-1616)は日本でいえば戦国時代から
江戸時代初めの人間である。そしてその作家活動は58歳から69歳の間に集中している。
ちなみに徳川家康(1542-1616)、シェイクスピア(1564-1616)らと同時代人である。
3人とも同じ年に没している。
零落した最下級貴族、外科医であった父の次男に生まれた。
22歳でローマに行き、ナポリの歩兵連隊に入隊している。
1571年レパントの海戦(スペインがトルコ艦隊を撃破した)に参加した。
そこで負傷し〈レパントの片手男〉と異名をとる。
1575年イタリアからスペインに帰国の途につくが、途中イスラム教徒の海賊船に襲われ
捕虜となる。
それから5年間アルジェで虜囚生活を送る。1580年捕虜の身請けが成立し、11年ぶりに
祖国の地を踏んだ。その後宮廷に赴きイタリアでの戦功への報償を願い出るがかなえられず
幻滅の悲哀を味わう。
仕事が見つからない彼は文筆に活路を求め、牧人小説の執筆にとりかかった。しかし
思うようにはいかず、その後〈無敵艦隊〉の食糧徴発係に職を得てセビーリャに居を移す。
1588年(41歳)スペイン無敵艦隊はイギリス艦隊により撃破され、これがスペイン帝国
凋落の契機となる。そしてセルバンテスも職を失う。その後滞納税金の徴収吏の職につくが、
不運に見舞われ、セビーリャの牢獄につながれる。1597年(50歳)
その頃はカトリックによる世界制覇という願望に翻弄され、むちゃな戦争を繰り返していた
スペインが衰えつつある時期であった。セルバンテスも祖国と時を同じくして上げ潮と
引き潮を体験したのである。こうした中で自分の生涯とスペインの盛衰を重ね合わせ
「ドン・キホーテ」の構想を練り上げたと考えられる。
そこで複雑な感情を表現するに際し、騎士道物語を利用するという発想を得た。
ドン・キホーテという遍歴の騎士のパロディーを創造することにより、表向きは自分とスペイン
の過去を否定するかのごとき体裁をとりながら、一方では、その純粋な熱情の美しさを
微笑みながら認めている。
ドン・キホーテは騎士道物語のスーパーマンに対する風刺であると同時に、背伸びしすぎた
スペインと自身に対する愛情のこもった風刺であった。
1602年当時の首都バリャドリードに居を定め「ドン・キホーテ」執筆に専念していた。
1605年(58歳)マドリードの印刷屋から出版されると発売直後から大評判となった。
フランスでは高く評価されていたが、貧しい生活であった。また社会的評価も高くはなかった。
1616年(69歳)病に倒れ、「機知よさらば、洒落よさらば、愉快な友よさらば」と言って別れを
告げた。
〔第2章 どんな小説なのか〕
チェコの作家ミラン・クンデラによれば、神の死とともに始まる近代の歩みを、愛馬ロシナンテに
またがった騎士ドン・キホーテになぞらえ、「ドン・キホーテ」を近代小説の出発点とみなして
いる。
「ドン・キホーテ 前編」の正式の題名は「機知にとんだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」で
「後編」では「郷士」が「騎士」に変わる。
前編52章、後編74章の長大な小説。その中に騎士ドン・キホーテの遍歴と直接関係のない
物語が、いくつも挿入されている。
「ドン・キホーテ」は一貫した話の筋の面白さで読ませる、あるいはそれを求めて読むような
小説ではない。
セルバンテスは「ドン・キホーテ」執筆の表向きのねらいを「騎士道物語が世間と大衆の間で
享受している権勢と名声を打倒すること」としているが、その目的を達成するためにとられた
のが、物語に描かれている超人的な英雄の騎士を、ずっこけた反英雄(=ドン・キホーテ)
によって笑いのめし、風刺するというパロディーの形式であった。
ドン・キホーテの旅は、前編2回、後編3回ある。
第1回目の旅は5章まで、第7章から第2回目の旅で、サンチョ・パンサが従士となる。
この第7章からは対話の書となる。
ところが後編の3回目の旅においてはドン・キホーテの狂気は大きく様変わりする。
3回目の遍歴においてはドンキホーテは自分の妄想にうかされた感覚によってではなく
彼を取り巻く者たちによって欺かれるのである。したがって現実との相克に悩み、
思索する、懐疑的なドン・キホーテになっている。
一般に「ドン・キホーテ」は、17世紀は高笑いにより、18世紀には微笑みにより、19世紀には
涙によって迎えられたといわれる。
この作品はドイツロマン派により近代小説の典型とみなされ、ドン・キホーテ主従のなかに
人間精神の相反する傾向と感情の劇的な総合を認められている。
いずれにしろ、徳川家康と同じ時代の人がこのような小説を書いたということで驚くとともに
面白そうだが、難しい小説のようだ。現物は読んでいないので、今度図書館で探してみたい。
中公新書1672、2002年11月25日発行
著者は牛島信明氏、昭和15年(1940年)生まれ、東京外国語大学スペイン語学科
卒業。現在琉球大学教授
先日以前に買っておいたDVDで「ラ・マンチャの男」を見た。
ピーター・オトゥール主演、ソフィア・ローレン共演のミュージカルの映画化したもの
である。原作はスペインの作家、セルバンテスの「ドン・キホーテ」である。
漂泊の騎士が風車を巨人と間違えて闘う物語であったことは知っていたが、映画をみても
その言わんとしていることがいまいちわからなかった。
そこでこの本を借りてきて読んでみた。
ところが、読んでみると「ドン・キホーテ」は児童書にもなるが、哲学書でもありうる、
ひどく懐の深い小説であるということであった。
ドストエフスキーは「これまで天才によって創造されたあらゆる書物の中で最も偉大な、
最も憂鬱な書物である」と称えるもので、あらゆる小説は「ドン・キホーテ」のヴァリエーション
であるといわれるほどの、圧倒的文学的影響力を発揮してきたそうである
ただ、大長編であるのと、セルバンテスの文体がアイロニーとユーモアを核とするものであり、
それゆえ、既述の真意がどのあたりにあるのか、なかなか判然としない種類の作品である
といわれる。やはり、なかなかわかりにくいのである。
そこで、岩波文庫版の「ドン・キホーテ」の訳者である著者が説明してくれるには、
まず、著者セルバンテスの異常な生涯である。
〔第1章セルバンテスの生涯〕
ミケル・デ・セルバンテス・サアベドラ(1547-1616)は日本でいえば戦国時代から
江戸時代初めの人間である。そしてその作家活動は58歳から69歳の間に集中している。
ちなみに徳川家康(1542-1616)、シェイクスピア(1564-1616)らと同時代人である。
3人とも同じ年に没している。
零落した最下級貴族、外科医であった父の次男に生まれた。
22歳でローマに行き、ナポリの歩兵連隊に入隊している。
1571年レパントの海戦(スペインがトルコ艦隊を撃破した)に参加した。
そこで負傷し〈レパントの片手男〉と異名をとる。
1575年イタリアからスペインに帰国の途につくが、途中イスラム教徒の海賊船に襲われ
捕虜となる。
それから5年間アルジェで虜囚生活を送る。1580年捕虜の身請けが成立し、11年ぶりに
祖国の地を踏んだ。その後宮廷に赴きイタリアでの戦功への報償を願い出るがかなえられず
幻滅の悲哀を味わう。
仕事が見つからない彼は文筆に活路を求め、牧人小説の執筆にとりかかった。しかし
思うようにはいかず、その後〈無敵艦隊〉の食糧徴発係に職を得てセビーリャに居を移す。
1588年(41歳)スペイン無敵艦隊はイギリス艦隊により撃破され、これがスペイン帝国
凋落の契機となる。そしてセルバンテスも職を失う。その後滞納税金の徴収吏の職につくが、
不運に見舞われ、セビーリャの牢獄につながれる。1597年(50歳)
その頃はカトリックによる世界制覇という願望に翻弄され、むちゃな戦争を繰り返していた
スペインが衰えつつある時期であった。セルバンテスも祖国と時を同じくして上げ潮と
引き潮を体験したのである。こうした中で自分の生涯とスペインの盛衰を重ね合わせ
「ドン・キホーテ」の構想を練り上げたと考えられる。
そこで複雑な感情を表現するに際し、騎士道物語を利用するという発想を得た。
ドン・キホーテという遍歴の騎士のパロディーを創造することにより、表向きは自分とスペイン
の過去を否定するかのごとき体裁をとりながら、一方では、その純粋な熱情の美しさを
微笑みながら認めている。
ドン・キホーテは騎士道物語のスーパーマンに対する風刺であると同時に、背伸びしすぎた
スペインと自身に対する愛情のこもった風刺であった。
1602年当時の首都バリャドリードに居を定め「ドン・キホーテ」執筆に専念していた。
1605年(58歳)マドリードの印刷屋から出版されると発売直後から大評判となった。
フランスでは高く評価されていたが、貧しい生活であった。また社会的評価も高くはなかった。
1616年(69歳)病に倒れ、「機知よさらば、洒落よさらば、愉快な友よさらば」と言って別れを
告げた。
〔第2章 どんな小説なのか〕
チェコの作家ミラン・クンデラによれば、神の死とともに始まる近代の歩みを、愛馬ロシナンテに
またがった騎士ドン・キホーテになぞらえ、「ドン・キホーテ」を近代小説の出発点とみなして
いる。
「ドン・キホーテ 前編」の正式の題名は「機知にとんだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」で
「後編」では「郷士」が「騎士」に変わる。
前編52章、後編74章の長大な小説。その中に騎士ドン・キホーテの遍歴と直接関係のない
物語が、いくつも挿入されている。
「ドン・キホーテ」は一貫した話の筋の面白さで読ませる、あるいはそれを求めて読むような
小説ではない。
セルバンテスは「ドン・キホーテ」執筆の表向きのねらいを「騎士道物語が世間と大衆の間で
享受している権勢と名声を打倒すること」としているが、その目的を達成するためにとられた
のが、物語に描かれている超人的な英雄の騎士を、ずっこけた反英雄(=ドン・キホーテ)
によって笑いのめし、風刺するというパロディーの形式であった。
ドン・キホーテの旅は、前編2回、後編3回ある。
第1回目の旅は5章まで、第7章から第2回目の旅で、サンチョ・パンサが従士となる。
この第7章からは対話の書となる。
ところが後編の3回目の旅においてはドン・キホーテの狂気は大きく様変わりする。
3回目の遍歴においてはドンキホーテは自分の妄想にうかされた感覚によってではなく
彼を取り巻く者たちによって欺かれるのである。したがって現実との相克に悩み、
思索する、懐疑的なドン・キホーテになっている。
一般に「ドン・キホーテ」は、17世紀は高笑いにより、18世紀には微笑みにより、19世紀には
涙によって迎えられたといわれる。
この作品はドイツロマン派により近代小説の典型とみなされ、ドン・キホーテ主従のなかに
人間精神の相反する傾向と感情の劇的な総合を認められている。
いずれにしろ、徳川家康と同じ時代の人がこのような小説を書いたということで驚くとともに
面白そうだが、難しい小説のようだ。現物は読んでいないので、今度図書館で探してみたい。