先に投稿した松阪市に旅行した時に、本居宣長記念館で購入した本である。
この本の最初のページには「宣長の不思議な世界へ ようこそ norinaga・world 2013 」
と書いてありました。
次のページの館長のあいさつに、その説明がありました。
本居宣長は江戸時代の国学者です。
伊勢松阪の商家に生まれ、34歳で賀茂真淵との出会いを契機に「古事記」研究を本格化させ、
35年の歳月をかけて「古事記伝」44巻を執筆し、72歳でこの世を去りました。
その生涯には、一見すると何も謎はない。本居宣長記念館は多数の資料があり、宣長の家庭環境や少年時代の様子、
古事記研究の動機など、その行動や考えを教えてくれる資料があります。
でも立ち止まって見ると、なぜ200年以上も前の人のことがわかるのでしょうか。
記念館にある「古事記伝」の宣長の筆跡に驚く子供たちがいます。家計簿からメモ、遺言書まで残っています。
ごく普通の生活を営む宣長がいる一方、「物まなびの力」に駆り立てられた、学ぶ歓びに満ちた人生がありました。
この二つを融和させる工夫こそが不思議の正体なのかもしれません。
宣長の不思議は、私たちの人生の不思議でもあるのです。
以上が、館長あいさつの概要でした。
この資料には、宣長の日記や手紙、絵や図など詳細に載っていました。
宣長の生きた時代は18世紀でした。時代は国内も海外も大きな転換点の時代だったようです。
全てを熟読したわけではありませんが、先達の業績の素晴らしさを感じることができました。
この記念館でお土産に「駅鈴」というものを買ってきましたの。
宣長の学者としての象徴ともなった「鈴」は、今も松阪のシンボルとして愛されています。
この「鈴」は宣長が鈴が好きなことを聞いた石見国浜田藩主松平康定公の心尽くしのプレゼントだったということです。
「駅鈴」とは、古代、地方に派遣される役人が身分の証としたもので、隠岐の国造家に伝存したものを模しているといいます。
この像は、「本居宣長六十一歳自画自賛像」といい、宣長61歳の時(1790年)自分で写した肖像だといいます。
この絵に「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」の歌が添えられています。