郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

「定年後のリアル」他、勢古浩爾さんの本

2021-09-12 | 読書

今日は良い天気になった。

前週に予定されていた町内会の早朝掃除が雨のためなかったので、今日に延期になっていると思って早起きした。

いつもの集合場所に行ったが誰もいない。時間を間違えたかと思い、30分後に外を見てみたが、だれも出ていない。

不思議に思って、年度版の予定などを見たが、9月実施ということだけで、詳しくは出ていない。

市の行事と一緒にやるはずなので、市報を見たら・・・・・・ありました!

8月末に緊急事態宣言対象地域に宮城県が指定されて、市内のそのような行事は中止になっていました。

知らなかったのは私だけでした。

道理で朝町内を歩いても、だれも出ていないわけです。人っ子一人いなかったのですから。

 

仕方がないので、部屋の中の片づけをしました。いつもやっていますが、なんぼやっても片付きません。

そんななかに、昔読んだ文庫本が出てきました。

勢古浩爾さんの「定年後のリアル」をはじめとする草思社文庫の数々です。

1、「定年後のリアル」

2、「定年後7年目のリアル」

3、「結論で読む人生論」

4、「定年後に読みたい文庫100冊」

 

定年になった年に読んだと思うので、もう7年になります。

「定年後7年目のリアル」になりました。

 

1冊目に載っていました。「定年後は、あなたの老後であり、あなたの人生である。自分で考えるしかないのである。」

その通りです。

何か参考になったかどうかはわかりませんが、そういう考え方もあるし、そういう生き方もあるな、と思って、

自分の好きなことをやろうとしてきました。

しかし、ここにきて昨年からですが、コロナという未曽有の危機に直面して事態が変わりました。

何もできないのです。出かけられない、友人と会えない、酒も飲めない(家では軽くビール1本程度です)

興味のあるイベントにも行けない、もちろんリモートというのもあるのか知れませんが、そんなのつまらなそう。

それで、毎日家の中の本や雑貨、もろもろの過去の遺物の片づけですが、なかなか捨てられないのですね。

少し捨てて、あとはまた仕舞い込みました。

 

7年たっても何も変わらないといいましたが、少しは変わったような気もします。

いろんな人の本を読み、いろんなイベントに行ってみて、変わったこともありました。

一つは、「良寛さん」の後援を聞きに行き、宗教に興味を持ったことです。

曹洞宗、道元、禅などです。これは今も本を読み続けています。

研修の中身は、一度ブログに書きましたが、その後延び延びになっています。

二つ目は、地元の歴史とキリスト教にも関心を持ったことです。

これも、島貫兵太夫の本を読んで、中途半端になっています。

三つめは、父や母の歴史、といってもだいそれたものではありません。

どんな生涯だったのかとか、昔の写真や残したものを見て整理することです。

自分も親になり、年も取ってきて、今になって親の気持ちがわかるようなことがあります。

毎日仏壇に線香をあげていますが、両親には感謝しかありません。

 

「結論で読む人生論」は、いろんな方の人生論が出ていました。

トルストイやたくさんの哲学者、宗教者、科学者、実業家、作家、勢古さん流のまとめ方で

いろんなことが知れました。

今思うとその中にあったことが、自分の頭の中にも残っているようです。

ヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」という本のことが、今でも関心を持っています。

また、勢古さんがあとがきに書いている三つの「人生の不文律」が参考になりました。

・他人のまっとうな人生を邪魔するな。

・望まれてもいないのに介入するな。

・自分で自分の人生をバカにしないこと。

以上のことを肝に銘じて、あと十年以上は頑張っていきます。孫の成長も見たいしね。

 

最後に「定年後に読みたい文庫100冊」

526ページにわたる厚い本です。

知らない本ばかりです。これに載っている本以上に他の本があるので、まず読めないでしょう。

でも参考にして、読書の量を増やしていきましょう。(願望です)

 

 

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会津若松城(鶴ヶ城)

2021-09-12 | 

(2012年撮影)

所在地    福島県会津若松市追手町1番1号

城の種別   平山城

築城者    葦名直盛

築城年    至徳元年(1384)

歴代城主   葦名氏、伊達氏、蒲生氏(92万石)、上杉氏(120万石)、蒲生氏(60万石)、加藤氏(40万石)、保科氏‐松平氏(23万石)

遺構     城跡(史跡)

天守閣の構造 鉄筋コンクリート造り鉄骨一部木造、5層7階、基礎/特殊井筒基礎 

至徳元年(1384)、葦名直盛によって東黒川館として築城され、天正18年(1590)会津に移封となった

蒲生氏郷により本格的天守閣が築かれた。このとき「鶴ヶ城」と命名された。

その後歴代城主が整備拡充を図り明治維新を迎えたが、明治7年惜しくも取り壊された。

現在の天守閣は、昭和40年(1965)に再建された。

平成22年(2010)には天守閣全体の屋根瓦を戊辰戦争当時の色である”赤瓦″へ葺き替え、翌年には

外壁の化粧直しも終えて、まさに戊辰戦争直前の姿が蘇った。

 

 

天守閣から眺めた磐梯山(頭が雲に隠れてしまった)

 

この時は、鶴ヶ城を見てから福島市で行われるイベントを見に福島市に戻ってきた。

福島市から眺めた吾妻小富士

松川を渡って、飯坂温泉へ。

 

翌日は、福島競馬場で行われていたイベントを見学。

名物の円盤餃子を作っていたので、並んで購入。

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