郷が杜備忘録

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ロシアについて 北方の原形(司馬遼太郎著)

2023-01-04 | 日記

文藝春秋 新年特大号の記事にあった司馬遼太郎の「ロシアについて」を読んでみた。

この本は1986年に書かれたので、もちろん今のロシアのことではない。
今のロシアの辺りにできた国からロシア帝国になり、ソビエトになったあたりまでである。
ロシアになる前は、中国から侵出してきたモンゴルとその後継のキプチャク汗国により支配されていた。
司馬さんの本は、いくつかの章に分かれて書かれている。
・ロシアの特異性について
・シビル汗の壁・・・・・・・・ウラル山脈以東のシベリア平原のこと
・海のシベリア・・・・・・・・今でいうアラスカやベーリング海、昔はロシア領
・カムチャツカの寒村の大砲・・江戸時代の日本とロシアの関係
・湖と高原の運命・・・・・・・今のモンゴルの運命、ロシア帝国と中国清朝との間で
最初の章以降は、右側に記したようなことを述べている。ロシアにとってシベリア高原を獲得したことがよかったのか?
「ロシアの特異性について」の章では、
❲外敵を異様におそれるだけでなく、病的な外国への猜疑心、そして潜在的な征服欲、また火器への異常信仰❳
❲それらすべてがキプチャク汗国の支配と被支配の文化遺伝だと思えなくはない❳
と述べている。
キプチャク汗国とは、13世紀にロシア平原を支配したモンゴルの遊牧民国家である。軍事力で脅し、農民から徹底的に税を搾りとった。
遊牧民族は草のある大地で羊を飼い、そのほかは農民から巻き上げるのが主で、従わないものは軍事力、暴力で締め上げる。
遊牧民族が去ったあと、ロシア人のロシア国家ができてきた。ロマノフ朝という専制国家ができたのは、17世紀のはじめといいます。
日本でいえば、江戸初期、大阪城落城のころだそうです。
ロマノフ朝は、地主貴族が農奴を私有することが基礎になっていました。時代を経るにつれ農奴制は重くなってゆきました。
王朝末期のウィッテ伯爵は「ロシアは全国民の35%の異民族を抱えている。ロシアの最善の政体は絶対君主制だ。
ロシア帝国を作ったのは、無制限の独裁政治であった。」と言っています。
キプチャク汗国も、ロシア帝国も、そしてソビエトも軍事力による絶対支配を下地に持っていたのだと思います。
今もプーチンは軍事力を誇示しています。
この本はロシアの特異性を書いているだけではなく、シベリアやモンゴル、北東アジアやカムチャツカ半島までをも書いていて、
それは日本との関係では江戸時代にロシアが早いうちから日本との接触を図ってきたからです。
ロシアは日本へロシア船団への食糧補給や毛皮の供給先として考えていたようです。
しかし、江戸時代は徳川幕府が頑なに拒否していたため、ロシアの接近は実現しませんでした。そのうえ当時の蝦夷地に暴力的に
接近したため、日本へ恐怖心を与えたようです。それが後々も北方の脅威とされたようでした。
最後に、今のモンゴル高原のことがかかれていて、モンゴル高原のモンゴル人は中国の漢人が入ってきて高原の草を焼き払って
畑にしてしまったため、生計維持の基盤がなくなり貧窮化したという。こういうこともあり、モンゴル人には中国人に対する忌避感が
あるのだという。
今の中国はかつての最大版図の奪回を目指しているようだが、その版図を拡大したのは北方異民族であった清朝の獲得したものであった
ということである。
司馬さんの著作を読むと、いろんなことを知ることができありがたいと思った。

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