郷が杜備忘録

旅行や読書と日々の行動の記録。
日常のできごとや思い出の写真が中心。 たまに旅行の記事も投稿します!

大隈重信旧宅(佐賀県)

2021-08-16 | ミュージアム

2010年、長崎出張の帰り、佐賀市に立ち寄った。

JR佐賀駅からタクシーで佐賀城跡に立ち寄り、大隈記念館に向かった。

記念館の隣に大隈重信旧宅(生家)があった。

生家の前に、大隈重信の銅像が立っていた。

大隈重信は世界的政治家として、また早稲田大学の創設者として知られる。

 

 

大隈重信誕生の地の記念碑

 

大隈重信は、天保9年(1838)この生家で生まれ、この生家は国の史跡にも指定されている。

大隈は日本初の政党内閣を組閣、早稲田大学の創始者で、佐賀の七賢人の一人でもある。

他の6人は副島種臣、鍋島直正、江藤新平、島 義武、大木喬任、佐野常民である。

 

大隈は、明治元年徴士として政府に召し出され、外国事務局判事となって長崎に勤務する。30歳であった。

翌月、イギリス公使パークスと論争して名を上げたという。12月外国官副知事となる。

明治2年大蔵大輔、明治3年参議、明治6年大蔵卿となる。

明治14年国会開設問題で伊藤博文と対立、10月政変により参議を辞任する。

明治15年立憲改進党を結成し、その総理となる。東京専門学校(のちの早稲田大学)を開校する。

明治21年外務大臣となり、条約改正に取り組む。

明治22年玄洋社員来島恒喜に爆弾を投げられて負傷し、右足を切断する。

明治31年憲政党を結成、第一次大隈内閣をつくる。(日本初の政党内閣)

大正11年1月10日死去、84歳、日比谷で盛大な国民葬が行われた。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

坂本龍馬之像(長崎県)

2021-08-15 | 思い出の国内旅行写真ー九州・沖縄

2010年4月、長崎出張の時です。稲佐山から向かい側の街中の山にある風頭公園まで

バスに乗って行きました。

終点の風頭町バス停で降りて、歩いて風頭(かざがしら)公園にある坂本龍馬之像を見て、

記念写真を撮りました。

ここからお寺のある町へ下りてゆく途中に、亀山社中跡があります。

近くに龍馬のブーツ像がありました。

大きいブーツで、履いてみました。

 

向かい側の稲佐山です。

長崎港とその先に女神橋も見えました。

長崎駅からJRの特急電車で佐賀方面に向かいました。

長崎駅には「長崎龍馬ライナー」も停まっていました。

長崎市にも何度か行っています。

グラバー邸や大浦天主堂、孔子廟、オランダ坂なども行きました。

宿泊してゆっくり街巡りをしてみたい良い街です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長門湯本温泉・萩・山口めぐり

2021-08-13 | 思い出の国内旅行写真-四国・中国

仙崎観光の後、当日の宿泊は長門湯本温泉をとっていたので、仙崎駅前からバスで長門湯本温泉まで行きました。

長門湯本駅前でバスを降り、旅館の送迎車を待ちました。

旅館の窓から、手前の川は音信川(おとずれがわ)というそうです。雨のため水量が増していた感じです。

翌日、長門市駅までJR美祢線で出て、長門市駅からバスで萩に向かいました。

東萩駅で、山口までのバスに乗り換え、山口市に向かいました。

JR萩駅です。山口市行きのバスが途中寄ってゆきましたので、バスの中から駅の写真を撮りました。

なかなか古風でいい感じの駅舎ですが、中は見れませんでした。

山口市に入り、山口駅前で降りて、タクシーで瑠璃光寺に行きました。

国宝 瑠璃光寺五重塔です。

大内氏により建立され、大内文化の最高傑作、日本3名塔の一つに数えられています。

瑠璃光寺の庭にあった「知足の手水鉢」です。

 

「吾唯足知」(われ ただ たるを しる)

「現実に感謝し不平不満を云わず、より前進を誓う言葉」ということで、よい言葉なので

よく覚えておいて、これからに活かそうと思いました。

瑠璃光寺から帰る途中、タクシーの運転手さんに教えられ、香山墓地とうぐいす張りの石畳

にも立ち寄りました。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青海島島巡り

2021-08-11 | 思い出の国内旅行写真-四国・中国

2012年7月、山口県金子みすゞ記念館訪問関連の旅

仙崎について、金子みすゞ記念館を見てから、青海島観光汽船乗り場から遊覧船に乗りました。

本来は島一周コースなのですが、当日は海が荒れていて半分くらいのところまで行って、

折り返して帰ってきました。

青海島は別名「海上アルプス」と称され、大自然が削り上げた洞門や断崖絶壁、石柱など

数多くの奇岩・怪岩などが連なる景勝地です。

青海大橋をくぐって港に戻ってきました。

港のそばには、金子みすゞの「大漁」の詩碑がありました。

有名な「わたしと小鳥とすずと」の詩碑もありました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「みすゞ潮彩」乗車

2021-08-02 | 思い出の国内旅行写真-四国・中国

2012年7月、山口県に旅行する機会があり、山陰観光列車「みすゞ潮彩」に乗った。

広島にいた息子のところに寄った翌日、広島から「さくら545号」鹿児島中央行きに乗って、新下関まで行った。

新下関駅から乗車、下関駅で山陰本線に入り、海岸沿いに仙崎まで向かう。

下関駅からの港の眺め

みすゞ潮彩の車両は、装飾がきれいだ。色といい、模様といい良い雰囲気をだしている。

車内では「金子みすず」の紙芝居も上演された。

途中のビューポイント、小串~湯玉駅間と思います。

水のきれいな山陰の海岸がすぐ近くに見られます。

 

2時間半ほどの旅で、終着仙崎駅に着きました。

この後、「金子みすゞ記念館」に行きましたが、その記事はカテゴリー「ミュージアム」の中に載っています。

記念館の後、青海島観光汽船にも乗りましたが、そちらは次回に投稿します。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする