セツブンソウは節分の頃に咲くことからセツブンソウと名付けられ、江戸時代のこの時期には、江戸庶民に人気があって良く出回ったとか。しかし、今の時代、山でも行かなければなかなか見られない。
白い花びらのように見える部分は萼片(がくへん)だが、この部分の直径はわずか1~1,5センチと小さく、見つけにくい。それだけに見つけたときはとてもうれしい。とにかく、写真でもわかるように、可愛らしい花である。
○光となって輝きたい者は笑うがよい。幸福でもないのに笑えないというな。笑わないから幸福が来ないのである。
○植物の葉に緑を与え、その花にいろいろの色彩を賦(あた)え、その果(み)に美しい光沢と美味しい味を与えるものは太陽の光である。それと同じく人間の心にも太陽の光が必要なのである。心に必要な太陽の光とは、光の名に相応しい、生命の自然から湧き起こる明るい歓びである。
○天照大神が岩戸隠れをせられて天地ただ暗黒に満たされたとき、その暗黒の真っただ中にあっても悲観せず、失望せず、陽気な音楽を奏でつつ明るい笑いを笑い、ついにその暗黒を笑いによって吹き飛ばした天宇受売命こそ生粋の古代日本人の標本であり、「生長の家」人の好標本であるのである。苦難に面するとも朗らかに哄笑せよ。やがて諸君はその苦難を征服することができるであろう。
○輝くような明るい笑いは人生の不幸を吹き飛ばし、不治症さえ雲散霧消する不思議な効果をもっているものなのだ。
○自己に宿る「太陽の魂」をその十全の光において輝き出ださしめよ。なんじに宿るキリストを磨き出だせよ。イエスは常に「汝ら歓び勇め」と言っていたのである。
(谷口雅春著『生命の実相』15巻より)