私たちが自由人と呼んでいる人たちがいます。
いわゆる、好き勝手に人生を謳歌されてきた方たちです。
自分のやりたい仕事をえらび、嫌になったら喧嘩してでもやめて、お金があればあるだけ飲んで、周りにも大判ふるまいをするので、家族を持っても去ってしまう・・。
病気になっても、したいようにするのが鉄則で、時々関わる私たちも腹が立ったり呆れたりしますが、どこか憎めない方が多いような気がします。
以前にも書いたけれど、人のレールに乗るのは絶対嫌なので、相手が「こうあるべきです。」なんて言おうものなら、「なんだバカやろー」になってしまいます。
昨日の記事でも書いたけれど、このところかなり状態が悪化されている自由人Aさん。
今日は、朝から念願の腹水穿刺をしてもらいました。
巨大なお腹ですが、抜いたのは2リットルだけ。
Aさんは、抜いても抜いてもすぐに溜まってしまいます。
腹水の成分は、身体に必要な栄養がタップリ入っています。
アルブミンやグロブリンなど、栄養のジュース状態なので、これを抜けば抜くだけ、身体の栄養もぬかれてしまいます。
ですから、抜けばいいというものではなくて、間隔や抜く量は先生が慎重に決めます。
それでも、在宅では初めて腹水穿刺をしてもらえて、とてもうれしそうな表情をしていました。
主治医のK先生も、Aさんの性格は良くわかっていて、決して勝手に決めたり強要したりはしません。
今回も、ベースとなるオピオイドをお勧めするかと思いきや、やはり「2ℓの腹水を抜いてみて、それで生活してみないと、痛いかどうかわからない。」ので、すぐに処方箋を切るのではなく、明後日の往診まで待って、ご本人との相談で決めるという話になりました。
彼は、たとえすごく痛くても、納得いくまで薬を飲もうとはしないのです。
腹水穿刺をしているときに聴いてみました。
どうして、看護師がケアのお手伝いをするのが嫌なのかと。
「おれは、まだ家の中は歩ける。だからこの前も久しぶりに風呂入るつもりで、自分で沸かしたんだ。でも、途中で寝てしまって、もうお風呂入るの嫌になっちゃったので、ガスを止めて入らなかった。
だけど、あんたたちが来て入れてもらうとなると、時間を決められてその時に入らなきゃならないだろ。しかも、あんたたちの スケジュールにふり回されて、俺がそこに合わせないといけない。そんなことは絶対嫌だね。俺が寝たきりになったら、頼むから、今はほっといてくれ。友達がいるんだよ。」との事。
なるほど、確かにその通りではありますが、人によっては「同じ曜日の同じ時間に来てもらった方が、いい。確実にやってもらえることがわかって安心。」と言われる方もいます。
一般的には、ある一定の社会的なルールの中で、自分を当てはめて私たちは生きていますし、それが苦痛とも思わない自分がいます。
でも、それは確かに安心とは裏腹のうっとうしさなのかもしれませんね。
こういう場合は、私たちはひたすら待つしかないですね。
着きつ離れつ、距離を保ちながら、彼がヘルプを出した時に、すぐに手助けをするということです。
今日、いやいやではありましたが、区分変更の認定調査も行われ、「何でもできるよ。」と言っていしまっているAさんの介護度がいくつになるか、ちょっと楽しみです。
いわゆる、好き勝手に人生を謳歌されてきた方たちです。
自分のやりたい仕事をえらび、嫌になったら喧嘩してでもやめて、お金があればあるだけ飲んで、周りにも大判ふるまいをするので、家族を持っても去ってしまう・・。
病気になっても、したいようにするのが鉄則で、時々関わる私たちも腹が立ったり呆れたりしますが、どこか憎めない方が多いような気がします。
以前にも書いたけれど、人のレールに乗るのは絶対嫌なので、相手が「こうあるべきです。」なんて言おうものなら、「なんだバカやろー」になってしまいます。
昨日の記事でも書いたけれど、このところかなり状態が悪化されている自由人Aさん。
今日は、朝から念願の腹水穿刺をしてもらいました。
巨大なお腹ですが、抜いたのは2リットルだけ。
Aさんは、抜いても抜いてもすぐに溜まってしまいます。
腹水の成分は、身体に必要な栄養がタップリ入っています。
アルブミンやグロブリンなど、栄養のジュース状態なので、これを抜けば抜くだけ、身体の栄養もぬかれてしまいます。
ですから、抜けばいいというものではなくて、間隔や抜く量は先生が慎重に決めます。
それでも、在宅では初めて腹水穿刺をしてもらえて、とてもうれしそうな表情をしていました。
主治医のK先生も、Aさんの性格は良くわかっていて、決して勝手に決めたり強要したりはしません。
今回も、ベースとなるオピオイドをお勧めするかと思いきや、やはり「2ℓの腹水を抜いてみて、それで生活してみないと、痛いかどうかわからない。」ので、すぐに処方箋を切るのではなく、明後日の往診まで待って、ご本人との相談で決めるという話になりました。
彼は、たとえすごく痛くても、納得いくまで薬を飲もうとはしないのです。
腹水穿刺をしているときに聴いてみました。
どうして、看護師がケアのお手伝いをするのが嫌なのかと。
「おれは、まだ家の中は歩ける。だからこの前も久しぶりに風呂入るつもりで、自分で沸かしたんだ。でも、途中で寝てしまって、もうお風呂入るの嫌になっちゃったので、ガスを止めて入らなかった。
だけど、あんたたちが来て入れてもらうとなると、時間を決められてその時に入らなきゃならないだろ。しかも、あんたたちの スケジュールにふり回されて、俺がそこに合わせないといけない。そんなことは絶対嫌だね。俺が寝たきりになったら、頼むから、今はほっといてくれ。友達がいるんだよ。」との事。
なるほど、確かにその通りではありますが、人によっては「同じ曜日の同じ時間に来てもらった方が、いい。確実にやってもらえることがわかって安心。」と言われる方もいます。
一般的には、ある一定の社会的なルールの中で、自分を当てはめて私たちは生きていますし、それが苦痛とも思わない自分がいます。
でも、それは確かに安心とは裏腹のうっとうしさなのかもしれませんね。
こういう場合は、私たちはひたすら待つしかないですね。
着きつ離れつ、距離を保ちながら、彼がヘルプを出した時に、すぐに手助けをするということです。
今日、いやいやではありましたが、区分変更の認定調査も行われ、「何でもできるよ。」と言っていしまっているAさんの介護度がいくつになるか、ちょっと楽しみです。