こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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二ツ橋の水辺公園

2013-03-10 22:46:21 | うらら
我が家から歩いて5分ほどのところに、二ツ橋の水辺公園があります。

     
                                 
                                         
もともとは、厚木街道の下を走る川で、15年ほど前にはかなり汚くて、いろんなものが捨てられていたり、臭かったりで誰も遊べるような川ではありませんでした。

それでも、徐々に川辺の整備がされて、うちの子供たちが小学生になった頃には、草ボーボーの川原で、水遊びができるようになっていました。

それから10年。
なかなかの公園になりつつあります。

街中の河川は、水害を防ぐために護岸工事をされますが、この護岸工事を3面コンクリートにしてしまうと、無機質な死のドブ川になってしまうことはよく知られています。

この川辺を公園にしようとした人々が、できるだけ自然に近く、それでいて水害も防ぎ、市民の憩いの場にしようと企画したのだと思います。
(たぶん。)

たとえば、まだ一部残っている護岸工事の途中経過ですが、こんなふうに金網のなかにゴロ石を詰めて土砂が崩れないようになっています。

     

たぶん、ここに土がたまり、そこに草が生え、さらにそこが土手になるのです。
すると、見た目にも自然の小川の土手になりますし、そこに草が生えることに、小動物の住処にもなります。

そして、感心したのが川底の護岸工事です。

川底をコンクリートにすれば、生物は住みづらく生態系は作れません。
でも、ここの川底はコンクリートからこんな人口の川底に変わっていました。

        

枯れ草の生えているこの岩のような中洲は、多分人工の石なのだと思います。
その川底は、溝があったり、凹んでいたり、出っ張っていたり、ところどころわざと深い瀬も作ってあります。


底には、砂が溜まってキラキラしていて、流れがあるので水は淀むことなく浄化されます。

護岸は、ところどころ竹で出来ていたり、草むらのしたがえぐれて穴になっていて、水生生物の絶好の隠れ家になります。

川の中を覗くと、クチボソなどの小魚が群れをなして泳いでいます。
子供たちは、川に入って貝をとっているようです。カワニナかな??

そして、ここにも鴨や白鷺がやってきます。

広場の川を下って歩くと細い水路沿いに散策ができます。

  

この上の道は、やがて川沿いに民家の庭の前を通りながら延々と続き、将来的にはどうやら東山の水辺まで遊歩道になるようです。

それは素敵な散策路となりそうです。

今日は、風が強いせいもあり、公園はほとんど人がいず、暖かい公園の広場は、うららの貸切状態となりました。
ここでは、いい感じに仕切られたスペースがあるので、人がいなければリードをはずして自由に遊ばせられます。

一度ドロに足を突っ込んでびっくりしていたうららですが、鳩を追っかけたりあちこちで川に降りたり、たっぷりと遊んでご満悦でした。

こんなふうに、人口であっても自然に近づけていけば、一度は失った自然は戻ってくるのだと思います。

DASH村やDASH海岸みたいに、こんなところからでも、自然が戻ってきたら嬉しいですね。

昨日は、おじさんが二人、川の中のゴミをすくったり、川底の石をならしたりしてくれていました。
委託されているのでしょうか、ご苦労様です。

ただ、今日には新たなゴミがまた落ちていました。
ビンや缶や、コンビニの袋やお菓子のパックなど、本当に心無い人たちがいるのも事実です。

罰金制度とか作ればいいと思いますが、すごく残念な気持ちです。

とはいえ、これからますますキラキラする季節が待ち遠しいです。

あ、そういえば、帰宅する頃に急に空が黄色く曇りだしたかと思うと、一点すごい風と共に辺りが黄色く霞んでしまいました。
怖いくらいの黄色い靄。

帰宅してからニュースで知りました。
煙霧というのだそうです。
黄砂も混じっているのでしょうが、辺りが埃っぽく、マスクも黄色くなってしまうほどで、窓を開けていたら家の中もじゃりじゃりになりました。
これもまた、自然の成せる技なんですね。

それではまた。

看護学校の同窓会

2013-03-10 21:56:32 | 日々のあれこれ
土曜の夜、看護学校時代の同級生で、主に寮生だった仲間など10人が集まりました。

鹿児島在住の友人K子が、上京するのを機会に、MONちゃんが音頭をとって、所在のわかる友人たちに連絡を取ってくれて実現しました。

青森、富山、静岡、三重、厚木、東京、鹿児島、横浜在住が私を含めて3人。

横浜市大病院の付属看護学校だった私たちですが、卒後は地元に戻ったり、結婚して転居したりと、バラバラになっていました。

卒業後30年立ちましたが、30年ぶりに会った友達もいて、本当に嬉しくて楽しくて、とても元気になりました。

びっくりしたのは、30年経っても、みんな全然変わっていないことです。

会うたびにすぐにわかって、笑顔も喋り方も、訛りも癖も、性格も仕草も、もうあの頃のままで、すぐに時間は30年前にタイムスリップしました。

思い出話は次々と溢れ出て、本人が忘れていることをみんなが覚えていたりして、悪いことも良いことも、キラキラ輝いた思い出に変わっていました。

今は某病院副部長のTORO子は、30年前の瀬谷区役所でなんとタバコを吸っているところを目撃されて、それは大目玉をくらったのに、すっかり忘れていました。
今の実習生がそんなことしたら、即退学ですね。

静岡のS病院の副部長のC子は、相変わらず面白い家族に囲まれていて、びっくりするような生活をしていますが、なんともうすぐおばあちゃんになるそうです。
三重県からやってきたEriも、今は介護福祉士の学校で講師をやっているとか、夫婦で産婦人科病院をやっている友人や、歯医者さんの奥さんで切り盛りしているとか、シングルで子供を女手一つで育てているとか、みんなそれぞれの人生を精一杯歩んでいるんだな、と感動しました。

いつも取りまとめてくれるMONちゃんも、市内病院で副部長をしているし、みんな偉くなっちゃって、それにもびっくりです。

30年ぶりにあった厚木のACCHIも、学生の頃と全く変わらず、帰りはずっと一緒の電車でしたが、私に一番近い在宅の仕事を始めたばかりだといっていて、これからもきっとどこかでつながっていくのだろうなと思いました。

そして、それぞれがそれぞれの問題を抱えていて、それでもそれをパワフルに乗り越えて、笑い飛ばしているのを知って、なんだかすごく嬉しくて、自分も頑張らなくちゃと、元気を山盛りもらうことができました。

中華街の聘珍樓で夕食後は、関内のカラオケで2時間、ずっと喋って終わりました。

「きっと、来年もまた会おうね!!」って、「またあした、仕事場で合いそうだね。」っていいながら、あっさりとバイバイをして帰ってきました。

さてさて、これからもまだまだ大きな山や谷がありそうですが、なんだか一人じゃないと思えます。

また、みんなに会える日まで、私も楽しいエピソードをたくさん作っておきたいと思います。