在宅で緩和ケアをしていて、いつも辛いさせてしまうのが、癌性腹膜炎による腸閉塞状態で起こる激しい吐き気と嘔吐です。
消化管の癌や転移などで、腹膜播種があったり腫瘍による通過障害が起こると、まず食べられなくなるし、そのあとには吐き気と嘔吐で眠ることさえできなくなります。
この頃から、経口での服薬も厳しくなるし、体力的にも厳しくなってくるので、ご家族の不安や心配もピークになってくるのです。
もちろん一番辛いのはご本人なわけで、吐いて、吐いて、吐いて、何も出るものがなくて黄色い胆汁だけがこみ上げてきたりします。
眠りたいのに、吐き気が続くので、みるみる痩せてきますし、動くのも辛くなります。
A子さんも、そんな状態が週末から続いていて、ナウゼリン座薬をいれてもあまり効果がありません。
一度マーゲンチューブを挿入して減圧を図りましたが、チューブの違和感はとても耐え難く抜去しました。
点滴にプリンペランを入れて落としている時だけ、少し楽になるようです。
そんなA子さんの訪問から帰ってきた担当ナースから相談がありました。
「週末、とても苦しんでしまって、どうやっても吐き気が止まらないんです。ご家族が『在宅療養で緩和ができるって聞いていてのに、ちっとも楽にならないじゃないですか!?なんにもしないでただ苦しんでいるのを見ているだけなんて、耐えられない。なんとかならないのなら、入院させてください!!』といって、泣いて訴えられたんです。私はどう答えていいかわからなくて、何もしてあげられないし、すみませんって言って、帰って相談しますって言って帰ってきたんです。もう、私もどうしてあげればいいのか・・。何もしてあげられなくて・・」
目に涙をためて話す担当ナースは、まだ訪問看護師になって半年ほどのスタッフです。
いつも一生懸命で、訪問看護をやりたくて入植したスタッフなので、同年代のこの患者さんに対しての思いもかなり強いものがあります。
<そばにいても、何もしてあげられない。訪問看護師だなんて言っても、全然楽にしてあげれれないじゃない。>
看護師なら誰もが思うことだし、特に訪問看護師は在宅という環境の中で、1対1で向き合う時に自分の無力感を思い知らされる瞬間でもあるのです。
けれど、「あなたに、そういう辛さをぶつけてくれたのだからよかったじゃない。この週末は、それほど本人も、ご家族も辛かったのね。うん、話してくれてよかった。」
言われてしまったことにうまく答えられず、落ち込んでいた彼女ですが、きっと辛さをぶつけられる人として受け入れてもらえたのだと思います。
ただ、「すみません。」は違うよ。あなたが悪いわけではないし、すみませんは何も出来ませんと同じになっていまうから。そんな話をしました。
そばにいるのって辛いね。向き合うって辛いね。
今出来そうなことを整理して、もう一度そのことをご家族に伝えてみることにしました。
「本人は、どこにいたいのか。」は再度確認すること。
スタッフのそばで、ご家族に電話をしてみました。
がん性腹膜炎の吐き気はとてもコントロールが難しいけれど、先生にどうしてもらいたいかを、ちゃんと伝える必要があるということ。
病院では、一般的にはイレウス管という太くて長いチューブを十二指腸の先まで入れて、減圧をすること。
けれど、これはとても辛い処置だということ。中には、慣れて自分でピストンで内容物を吸引する人もいること。
がん性イレウスに対して持続的に使う薬があるけれど、その適応になるかどうかは医師が判断するので、点滴による緩和治療を主治医に希望してみること。
また、ここ数日で経口摂取ができなくなったけれど、今後ポートなどを造設して栄養と水分の管理もしながら、少しでも長く生きる道を選ぶのか、そういうことはしたくないのかを、本人と話し合って主治医に伝えること。
などをゆっくりと伝えました。
ご家族は、イレウス管の経験者で「あれは絶対だめ!辛すぎる!」とのこと。
内容はもう一度本人と話し合って、ちゃんと伝えるということになりました。
事前に、往診医にも流れを伝えてあり、夕方には行ってもらえるようになっていたので、そこで主治医とも話し合いが持てることになりました。
結局、ポートを造設するために、数日後に1日入院をすることとなり、それまでにサンドスタチンの皮下中が開始になりました。
翌日、持続的だった吐き気が止まり、まとまった時間ぐっすり眠ることができました。
さらに、シャワーにも入ることができて、久々に彼女に笑顔が戻りました。
担当な看護師も、ほかのスタッフもみんな「よかったー!!」と喜び合いました。
これも、長くは続かないことは分かっているけれど、まだ諦めてしまうには若すぎて、残す思いが強すぎて、なにより生きていたい思いが強い患者さんに、「なにもしない。」選択はないと思うのです。
残された時間は僅かです。
だからこそ、少しでも穏やかに、そして今しかできないことをやり遂げて欲しいと思っています。
「今回、私たちに辛い思いを話ししてくれてありがとう。何もしてあげられないかもしれないけれど、先生への橋渡しぐらいはできるし、そばにいることはできるから、また苦しかったいつでも話してくださいね。」というと、ご家族が言ってくれました。
「ありがとう。先生にはやっぱりうまく話せないのよね。忙しそうだし、身構えちゃう。でも看護師さんなら言えるの。本当に大変な仕事よね。私ならできない。とても向き合えない。これからもよろしくお願いします。」と。
今回のことで、担当ナースも随分と悩んだし、凹んだし、泣いたし・・
でもきっと、ここを乗り越えて、逃げずに向き合うことを学んでくれたと思います。
とっても頼りになるスタッフがちゃんと育っているなぁ・・。(#^.^#)
消化管の癌や転移などで、腹膜播種があったり腫瘍による通過障害が起こると、まず食べられなくなるし、そのあとには吐き気と嘔吐で眠ることさえできなくなります。
この頃から、経口での服薬も厳しくなるし、体力的にも厳しくなってくるので、ご家族の不安や心配もピークになってくるのです。
もちろん一番辛いのはご本人なわけで、吐いて、吐いて、吐いて、何も出るものがなくて黄色い胆汁だけがこみ上げてきたりします。
眠りたいのに、吐き気が続くので、みるみる痩せてきますし、動くのも辛くなります。
A子さんも、そんな状態が週末から続いていて、ナウゼリン座薬をいれてもあまり効果がありません。
一度マーゲンチューブを挿入して減圧を図りましたが、チューブの違和感はとても耐え難く抜去しました。
点滴にプリンペランを入れて落としている時だけ、少し楽になるようです。
そんなA子さんの訪問から帰ってきた担当ナースから相談がありました。
「週末、とても苦しんでしまって、どうやっても吐き気が止まらないんです。ご家族が『在宅療養で緩和ができるって聞いていてのに、ちっとも楽にならないじゃないですか!?なんにもしないでただ苦しんでいるのを見ているだけなんて、耐えられない。なんとかならないのなら、入院させてください!!』といって、泣いて訴えられたんです。私はどう答えていいかわからなくて、何もしてあげられないし、すみませんって言って、帰って相談しますって言って帰ってきたんです。もう、私もどうしてあげればいいのか・・。何もしてあげられなくて・・」
目に涙をためて話す担当ナースは、まだ訪問看護師になって半年ほどのスタッフです。
いつも一生懸命で、訪問看護をやりたくて入植したスタッフなので、同年代のこの患者さんに対しての思いもかなり強いものがあります。
<そばにいても、何もしてあげられない。訪問看護師だなんて言っても、全然楽にしてあげれれないじゃない。>
看護師なら誰もが思うことだし、特に訪問看護師は在宅という環境の中で、1対1で向き合う時に自分の無力感を思い知らされる瞬間でもあるのです。
けれど、「あなたに、そういう辛さをぶつけてくれたのだからよかったじゃない。この週末は、それほど本人も、ご家族も辛かったのね。うん、話してくれてよかった。」
言われてしまったことにうまく答えられず、落ち込んでいた彼女ですが、きっと辛さをぶつけられる人として受け入れてもらえたのだと思います。
ただ、「すみません。」は違うよ。あなたが悪いわけではないし、すみませんは何も出来ませんと同じになっていまうから。そんな話をしました。
そばにいるのって辛いね。向き合うって辛いね。
今出来そうなことを整理して、もう一度そのことをご家族に伝えてみることにしました。
「本人は、どこにいたいのか。」は再度確認すること。
スタッフのそばで、ご家族に電話をしてみました。
がん性腹膜炎の吐き気はとてもコントロールが難しいけれど、先生にどうしてもらいたいかを、ちゃんと伝える必要があるということ。
病院では、一般的にはイレウス管という太くて長いチューブを十二指腸の先まで入れて、減圧をすること。
けれど、これはとても辛い処置だということ。中には、慣れて自分でピストンで内容物を吸引する人もいること。
がん性イレウスに対して持続的に使う薬があるけれど、その適応になるかどうかは医師が判断するので、点滴による緩和治療を主治医に希望してみること。
また、ここ数日で経口摂取ができなくなったけれど、今後ポートなどを造設して栄養と水分の管理もしながら、少しでも長く生きる道を選ぶのか、そういうことはしたくないのかを、本人と話し合って主治医に伝えること。
などをゆっくりと伝えました。
ご家族は、イレウス管の経験者で「あれは絶対だめ!辛すぎる!」とのこと。
内容はもう一度本人と話し合って、ちゃんと伝えるということになりました。
事前に、往診医にも流れを伝えてあり、夕方には行ってもらえるようになっていたので、そこで主治医とも話し合いが持てることになりました。
結局、ポートを造設するために、数日後に1日入院をすることとなり、それまでにサンドスタチンの皮下中が開始になりました。
翌日、持続的だった吐き気が止まり、まとまった時間ぐっすり眠ることができました。
さらに、シャワーにも入ることができて、久々に彼女に笑顔が戻りました。
担当な看護師も、ほかのスタッフもみんな「よかったー!!」と喜び合いました。
これも、長くは続かないことは分かっているけれど、まだ諦めてしまうには若すぎて、残す思いが強すぎて、なにより生きていたい思いが強い患者さんに、「なにもしない。」選択はないと思うのです。
残された時間は僅かです。
だからこそ、少しでも穏やかに、そして今しかできないことをやり遂げて欲しいと思っています。
「今回、私たちに辛い思いを話ししてくれてありがとう。何もしてあげられないかもしれないけれど、先生への橋渡しぐらいはできるし、そばにいることはできるから、また苦しかったいつでも話してくださいね。」というと、ご家族が言ってくれました。
「ありがとう。先生にはやっぱりうまく話せないのよね。忙しそうだし、身構えちゃう。でも看護師さんなら言えるの。本当に大変な仕事よね。私ならできない。とても向き合えない。これからもよろしくお願いします。」と。
今回のことで、担当ナースも随分と悩んだし、凹んだし、泣いたし・・
でもきっと、ここを乗り越えて、逃げずに向き合うことを学んでくれたと思います。
とっても頼りになるスタッフがちゃんと育っているなぁ・・。(#^.^#)