先週行った、矢指の森から追分の森のルート。
まだ桜は早く、菜の花も7分咲きくらいだったので、今日もう一度行ってきました。
いつもは、近くまで車で行って、聖マリアンナ横浜西部病院の裏から歩き始めるのだけれど、今日は東野まで車で送っていもらい、そこから瀬谷市民の森に入り、瀬谷高校のあたりに出て、さらにいつもの森に入っていくルートを取りました。
瀬谷市民の森も、気持ちよく整備されていて、木立がとても綺麗だったし、ほとんど貸切状態の森を、ストレスなくうららとあるいてました。
森の中は、ところどころお日様が陽だまりを作っていて、鳥の声が空高くから降ってくるようで、とても神聖な気持ちになります。
近くに住んでいても、森の中を歩く機会は少なくて、瀬谷市民の森の中も、こんなにあちこち探検しながら歩いたのは初めてです。
瀬谷市民の森を出て少しすると、野境道路に出ます。
西部病院前の野境道路は、既に満開の桜トンネルになっていました。
そして、矢指市民の森を抜けて追分市民の森に出ると、そこはもう春爛漫の山里の風景です。
以前より菜の花畑は少なくなっているような気がしますが、季節ごとの花を植えているので、順番があるのかもしれません。
いずれにせよ、とても気持ちの良い、美しいのどかな風景がそこにありました。
菜の花もすでに満開で、黄色い色はさらに輝いて、菜の花の絨毯が広がっています。
ソメイヨシノも満開で、山桜や緋寒桜や桃の花がピンクのグラデーションになっています。
そのピンクのグラデーションの後ろには、黄色の絨毯が見え隠れしているのです。
少し農家の方のに歩いていくと、もうひつつ小さな菜の花畑があって、そこからは逆に菜の花越しに緋寒桜や桃の花が見えます。
さらに真っ白な雪柳も植えられていて、そこに腰をおろしてしばらく風景を見ていました。
うららは何を見ているのか、何を感じているのか、気持ちよさそうに遠くを見ていました。
ふとしたに目をやると、つくしもたくさんで得いました。
やっぱり春ですね。
桜は、たくさん咲いているのもきれいだけれど、畑の端っこや、山の中腹や、丘の上にぽつんと一本だけ咲き誇っているのも大好きです。
何というか、凛として美しい立ち姿でありながら、どこか遠いところに来たような郷愁を誘います。
ちなみに、これは緋寒桜だと思って見ています。(奥はソメイヨシノだと思います。)
で、これは桃でしょうか?
そのへんの違いが今ひとつよくわかりません。
帰りは、再び矢指の森を抜けましたが、そのあとは瀬谷市民の森を道路沿いに出たり入ったりしながら、東野に抜ける道を歩きました。
この道は、車で走っていても気持ちのいい道です。
結局帰りは家まで歩いて帰り、約7500歩のお散歩となりました。
これから、新緑の季節もまた綺麗ですよね。
嫌なこと、気に病むこと、イライラすること、どうにもならないこと、そんなことがってもこんなふうに木々のあいだを歩いたり、花をみたり、遠くの山を眺めたりしていると、自然に心が穏やかになってきます。
森の中にいると、そういう悪い気みたいなものが、浄化されようような気がするのです。
ナウシカのように、強い命の鼓動を大樹の幹から感じられたらと、いつも思ってしまいます。
春は、命の始まりです。
これからまた、新たな困難にも立ち向かう、勇気とパワーをもらえた気がします。
まだ桜は早く、菜の花も7分咲きくらいだったので、今日もう一度行ってきました。
いつもは、近くまで車で行って、聖マリアンナ横浜西部病院の裏から歩き始めるのだけれど、今日は東野まで車で送っていもらい、そこから瀬谷市民の森に入り、瀬谷高校のあたりに出て、さらにいつもの森に入っていくルートを取りました。
瀬谷市民の森も、気持ちよく整備されていて、木立がとても綺麗だったし、ほとんど貸切状態の森を、ストレスなくうららとあるいてました。
森の中は、ところどころお日様が陽だまりを作っていて、鳥の声が空高くから降ってくるようで、とても神聖な気持ちになります。
近くに住んでいても、森の中を歩く機会は少なくて、瀬谷市民の森の中も、こんなにあちこち探検しながら歩いたのは初めてです。
瀬谷市民の森を出て少しすると、野境道路に出ます。
西部病院前の野境道路は、既に満開の桜トンネルになっていました。
そして、矢指市民の森を抜けて追分市民の森に出ると、そこはもう春爛漫の山里の風景です。
以前より菜の花畑は少なくなっているような気がしますが、季節ごとの花を植えているので、順番があるのかもしれません。
いずれにせよ、とても気持ちの良い、美しいのどかな風景がそこにありました。
菜の花もすでに満開で、黄色い色はさらに輝いて、菜の花の絨毯が広がっています。
ソメイヨシノも満開で、山桜や緋寒桜や桃の花がピンクのグラデーションになっています。
そのピンクのグラデーションの後ろには、黄色の絨毯が見え隠れしているのです。
少し農家の方のに歩いていくと、もうひつつ小さな菜の花畑があって、そこからは逆に菜の花越しに緋寒桜や桃の花が見えます。
さらに真っ白な雪柳も植えられていて、そこに腰をおろしてしばらく風景を見ていました。
うららは何を見ているのか、何を感じているのか、気持ちよさそうに遠くを見ていました。
ふとしたに目をやると、つくしもたくさんで得いました。
やっぱり春ですね。
桜は、たくさん咲いているのもきれいだけれど、畑の端っこや、山の中腹や、丘の上にぽつんと一本だけ咲き誇っているのも大好きです。
何というか、凛として美しい立ち姿でありながら、どこか遠いところに来たような郷愁を誘います。
ちなみに、これは緋寒桜だと思って見ています。(奥はソメイヨシノだと思います。)
で、これは桃でしょうか?
そのへんの違いが今ひとつよくわかりません。
帰りは、再び矢指の森を抜けましたが、そのあとは瀬谷市民の森を道路沿いに出たり入ったりしながら、東野に抜ける道を歩きました。
この道は、車で走っていても気持ちのいい道です。
結局帰りは家まで歩いて帰り、約7500歩のお散歩となりました。
これから、新緑の季節もまた綺麗ですよね。
嫌なこと、気に病むこと、イライラすること、どうにもならないこと、そんなことがってもこんなふうに木々のあいだを歩いたり、花をみたり、遠くの山を眺めたりしていると、自然に心が穏やかになってきます。
森の中にいると、そういう悪い気みたいなものが、浄化されようような気がするのです。
ナウシカのように、強い命の鼓動を大樹の幹から感じられたらと、いつも思ってしまいます。
春は、命の始まりです。
これからまた、新たな困難にも立ち向かう、勇気とパワーをもらえた気がします。