こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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見方次第で、視界は変わる。

2013-03-08 23:50:21 | 訪問看護、緩和ケア
今日は定例カンファレンスでしたが、大きなテーマがなかったので、スタッフ講師による実技勉強会と、先日スタッフ数人が行ったALSの伝達講習を行いました。

スタッフ講習会は、整体師でもあるSAさんにより、「訪問看護に活かすマッサージ」の実技指導となりました。

彼女の整体とリンパマッサージは、ちょっと変わった流派?のものですが、彼女はずっと勉強して、整体師としても免許皆伝の腕前です。

私などは、時々彼女の施術を受けているから何とか生きてるようなもので、その施術方法は独特ですが、本当に楽になります。

なので、今日も率先してモデルに立候補して、彼女にワシっと筋肉を掴んでいただき、骨から引き剥がすように揺すっていただきました。

みんなも、二人ひと組になって、ワーワーキャーキャー言いながら、ツボを押したり筋肉を掴んだりしていました。

実際、軽く揺すったり、そっとお肉を動かすだけで、患者さんもとても喜んでくれるので、ほんのひと時でも楽になってくれればと、みな熱心に練習をしています。

そして、ALS勉強会に出たスタッフYの報告にも、あらためて感心しました。

講師の先生が言われていた事のなかに、気管切開のイメージについて言及されていたそうです。

昨今の流れでは、呼吸がしづらくなったら、もう気管切開か死を選ぶしかなく、気管に穴を開けたらもうそれで人生が終わったような感覚になってしまっていると。
けれど、実際は四肢麻痺より呼吸筋の麻痺が早く来てしまっただけで、呼吸さえ確保できれば、まだまだ十分に動ける人だってたくさんいるわけです。

呼吸器をつけたからといって、動くことも考えることも、機器を使ってコミュニケーションをとることも、何かを創造することだってできるわけです。

だから、気管切開か死をえらぶか。というような選択の仕方ではなくてもっと、多角的に考えられるような受け止め方をする必要があるとのことでした。

たしかに、どうも気切を拒否=死みたいな受け止め方をしていましたし、気切をする=呼吸器=何もかも出来なくなる。というようなイメージを、知らず知らず持っていたような気がします。

もちろん、ホーキンス博士のように、最新の機器を使って論文を書き、コミュニケートし、結婚までしたことは知っていますが、そういうことが目の前の患者さんの現実となかなか結びつきづらくなっていました。

現実には、療養のためのお金や、マンパワーや、吸引をどうするかなどの問題は山積みですが、だからといって実現可能な活動する未来を諦める必要なんて、どこにもありませんよね。
うーん、またも考え込んでしまいます。

とまあ、ほかにもいろんな話をしてくれました。

カンファレンス自体でも、生保に関する話もあり、この辺はまた後日書いていきたいと思います。

自分のための言葉

2013-03-07 23:09:51 | 読書、漫画、TVなど
訪問看護という仕事は、人の生き様を目の当たりにする仕事でもあります。

理不尽な苦しみの中で、もがいて苦しんで、泣いて叫んで・・
その中から、みなそれぞれ思うところがあって、とてつもなく大きな心で周囲を包んでくれたりもします。

苦しみの中から、なぜそんなに優しくなれるのかと思うくらい、穏やかな笑みを浮かべる人もいれば、最後まで険しく戦う人もいる。

そんな人たちの言葉に、私たちは何度も救われたし、心が震えたりしてきました。

何度もブログに書きましたが、私がいつも凹んだ時に読み返す言葉があります。

私は、なんでこんなに苦しんだろう?
なんで私なんだろう?
なんで今なんだろう?

そんなふうに思うときに、読み返すとまた前を向こうと思うのです。

この本を初めて読んだときは、「ああそうか、うんなるほどね。」くらいだったのですが、二度目に読んで、3度目に読んだ時に、自分の心の痛みとすごく重なったのだと思うのです。

それから、この本は私の支えになっています。


「モリー先生との火曜日」

ALSに侵された老教授と、その教え子であるジャーナリスト ミッチ・アルボムとの対話が淡々と書かれています。

以下、その抜粋です。

「過ぎたことにとらわれるな。ただし、否定も切り捨ても禁物」
「自分を許すこと、そして人を許すことを学べ。」
「もう、チャンスはないと思い込むな。」
「死ぬっていうのはね、悲しいことの一つに過ぎないんだよ。不幸な生き方をするのはまた別のことだ。ここへ来る人のなかには不幸な人が随分いる。」
「自分の文化を創ること。多くの人はそれができない。私よりよっぽど不幸だよ。こんな状態の私よりも。」
人生は、前に引っ張られたり後ろに引っ張られたりの連続なんだよ。」
「我々のこの文化は、人々に満ち足りた気持ちを与えない。文化がろくに役に立たないのなら
そんなものいらないと言えるだけの強さを持たないといけない。」
「人生に意味を与えてくれる道は、人を愛すること、自分の周知の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを作り出すこと」
「人生で一番大切なことは、愛をどうやって外に出すか、どうやってなかに受け入れるか、その方法を学ぶことだよ。」
「・・いろんな人が見舞いに来てはくれるだろうけれど、ここを離れない人がいるのとは同じではない。誰かがこっちに気を配って、終始見守ってくれる人がいるのと同じにはならない。
家族っていうのは、そういうものなんだ。
単に、愛だけじゃなくて、見守っている人がいますよ、とわからせてくれること。
中略「精神的な保護」とでもいうかな。そこに家族がいて見守ってくれているっていうことね。」
「老化はただの衰弱なじゃない。成長なんだ。やがて死ぬのはただのマイナスとは片付けられない。やがて死ぬことを理解するのは、そしてそれによってよりよい人生を生きるのは、プラスでもあるわけだ。」
「死で人生は終わる。つながりは終わらない。」
「いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる。」
「死に直面すれば、すべてが変わる?」
「そうなんだ。余計なものを剥ぎ取って、肝心なものに注意を集中するようになる。いずれ死ぬことを意識すれば、あらゆることにつて見方がガラッと変わるよ。」


私は、私の苦しみの中だけにとらわれてはいけないのだと。
なすべきことは他にもあるし、もっといろんなことを許さなければいけないのだと。
もっと今の問題を受け入れるための方法を学ばなくてはならないのだと。

次々と降りかかる問題は、きっと私を成長させてくれるのだと信じることができる。

自分の為の言葉を、見つけられた時の感動は、なかなか素敵なことですよ。

ブログは難しい。

2013-03-06 23:41:26 | 訪問看護、緩和ケア
今やITという情報通信が当たり前の世代になって、それこそ子供から100歳過ぎたお年寄りまで、やれブログだツイッターだフェースブックだと文字を打ち込んでいます。

私もこのブログを始めて5年以上立ちました。
でも、こういうオープンな形で、自分の意見を言うのって、ものすごく怖いことだなと感じています。

いくら、自分では正しいと思っても、違う方向から見れば、許されざることかもしれないし、特にうっかり個人が特定されて、個人情報が拡散したらそれこそ大変なことにもなります。

本当は、綺麗事じゃない日本の見えざる現状や、タブー視されてきた生活保護の問題なんかも、もっともっと伝えたいのだけれど、これもまた個人のブログに載せるには、いささか問題が大きすぎて、ぐっと飲み込んでしまうしかありません。

それでも、現実の在宅療養のいいところ、悪いところひっくるめて、発信したいと思って書き始めましたが、本当に伝えることの難しさを実感しています。

もし、自分が病気を持つ当事者ならば全く問題なく公表できることも、あくまで関わる支援者のひとりなわけで、へたして患者さんが特定されたら大変なことになってしまいます。

だから言葉を選び、すべて抽象的な内容で、それでもここは伝えたいというところを、クローズアップして書く。
文を書く事に、全く素人の私ですから、とても苦しいことがよくあります。

それでも、こうして自分の思いを伝えられる場があることは、私にとってはこれ以上ない、自分自身の開放になっています。

今日も、神経難病の患者さんの奥さんを交えて、主治医と看護師やケアマネたちとのカンファレンスがありました。

ハンカチで涙を拭きながら、これから起こる辛い未来と向き合う術を2時間近く話し合いました。
それは、とてもみのりある時間であったものの、内容は個人的すぎてとても公開できるものではありません。

でも、きっとその内容を知れば、一緒に理解し、考え、自分なりの受け止め方をするための、指標になる人がいるかもしれない・・。

難しいですね。

今は、自分の読んだ本や、映画などからそれに近いものを借り受けてお伝えするようにしています。

本当にちょっとした一言が、人を激しく傷つけてしまうことも、ものすごく前向きにすることもできます。

だから、ゆっくりでもボログは続けようと思います。

耳鼻科往診にて

2013-03-05 23:05:55 | 訪問看護、緩和ケア
月曜日に、久しぶりに耳鼻科往診がありました。
大好きな木村信至(しのぶ)先生との往診です。

以前は、もっと頻回に耳垢除去などの患者さんがいたのですが、患者さんも随分と変わり、今は対象の患者さんが少なくなっています。

お年寄りの一番の訴えは「耳が遠くなった。」「聞こえるようにして欲しい。」などですし、ご家族も「話が通じなくて困ります。」というものが多いです。

今回も、「筆談でないと伝わりません。」という言葉が、ご家族から聞かれました。

こういう時、先生はにっこり笑顔でこう言います。

「聞こえることが、いいことばかりとは限りませんよね。聞かないほうがいいこと、聞かせたくないこともありますよね。年を取れば自然聞こえは悪くなります。特に高い音は聞き取れません。大事なこと、必ず伝えたいことは低い声で、ゆっくり一言ずつ切って伝えてくださいね。」そういうと、「○○さん、また伺いますね。お元気でいらしてください。」と、低めの声でゆっくり話しかけました。
患者さんは「はい。わざわざどうもありがとうございました。」と、しっかりお返事をくれました。

そして、「筆談になってしまう。」ということに対しては、書く事の大切さもお話してくれました。

認知症もあるということで「書いて伝えることもいいことですよ。ご本人が、何を希望しているのか、何を訴えたいのかを、ちゃんと書いてもらう。そして、それを一緒に確認して行動する。大切なことを忘れないために、やってみてくださいね。」

毎回、しのぶ先生の診察はとても優しくて、患者さんに対していつも真摯に向き合っています。

単発で、二度と会わない患者さんかもしれないのに、本当に思いを感じます。

いつも同じスタンス。

この往診で、元気をもらう患者さんはたくさんいらっしゃいます。
一度診てもらってからは、元気をもらうためにご家族が頑張って通院されていた方もいました。

そんな患者さんの一人が、昨年末亡くなったことを伝えました。
先生にとっても、とても心象に残っている患者さんでありましたし、特にお嫁さんの献身的な介護を思い出して、「あのお嫁さんは、絶対に幸せになる人。きっといいことがある!」って言っていました。
こんなふうに感じるられる感性が、私たちと一緒なのもすごく嬉しくて、やっぱりしのぶ先生は大好きです。

耳鼻科というと、あまり命に直接関係はないように思われがちですが、実は耳の中にもお別れのサインはあるのだと、しのぶ先生との往診で知りました。
年をとり、死期が近づくと耳垢はたまらなくなってくるそうです。
とても綺麗な外耳道。
その色は真っ白で血の気がなく、代謝も低いために耳垢はたまらず、痩せていくのだそうです。

以前も往診のあと「お別れ、お近いわね。」と言っていた患者さんが、やはり数日後にすっと逝かれました。
体のいろんな部分で、小さなお別れのメッセージがあるのだと思うけれど、耳の中っていうのが、なんともわかりにくいところからのメッセージですよね。(^_^;)


その先生の木村信至バンド ツアーファイナルが3月16日関内ホールであります。
「ちゃんと泣けばよかった」は、「主治医の見つかる診療所」のエンディングテーマ曲でもあります。(すごく小さくしか聞こえないけど(^_^;))

お近くのかたは、一度ライブを見てください。
その日から、大ファンになると思います。
私はもちろん、大ファンの娘と息子と一緒にいってきます。

子ども自然公園

2013-03-03 16:04:17 | うらら
朝からどんよりと曇り空です。
昨日とは打って変わって、妙に肌寒い・・・

そういえば、今日はひな祭りですが、娘は昨日から友達の家に泊まりに行ったままで、うちには関係ないかと思いきや、いました娘が。
うららさん、女の子でした。
             

とはいえ、やっぱりひな祭りは関係なく、朝からうだうだしていたら、うららの散歩行こうよ攻撃があり、夫を誘って二俣川の子供自然公園に散歩に行ってきました。

こんな曇でも、結構人が出ていて、散歩する人、釣りをする人、バードウォッチングの人、写真を撮る人、走る人とそれぞれ楽しんでいました。

公園の池なのに釣りって、何を釣っているのかとおもったら、「クチボソ」という小魚でした。
メダカの2倍くらいの細長い魚で、別名「モツゴ」とも言うらしく、釣りをしている家族に聞いたら、飼育して観察したり、お父さんの本格的な川釣りの時の餌にしたりするという話でした。
調べてみると、佃煮の材料にもなるようですが、この池の魚で佃煮はちょっと抵抗がありますね.(^_^;)

とはいえ、そういう小魚がいるということは、それを捕食する生き物のいると言うわけです。
池の端っこに、アマチュアカメラマンが高そうな望遠レンズをセッティングして、何人か集まっていました。

なんだろうかとそっと近寄ってみると、石垣の上に瑠璃色の小さな鳥が、ちょこんと留まっています。

「カワセミ」でした。

綺麗!     
もっと近寄りたかったのですが、下手に近寄って逃げられたら、カメラマンのおじさんに怒られそうなので、遠くからそっとシャッターを押しました。

カワセミは翡翠とも書きますが、それほどにきれいな鳥で、マニアのおじさんたち垂涎の被写体ですね。
瀬谷区でも、宮沢の和泉川あたりで見られるため、カメラを担いだおじさんをよく目撃します。

池を離れると梅林があり、数本の梅が咲き始めていました。

          

でも、まだまだ寒そうな感じですね。

そのあいだをうららはクンクンしながら楽しそうに歩いていました。
  
                
                    

最後に森の中の原っぱで、枝を投げてたっぷり遊んで帰ってきました。

そのあとは、すっかりこたつ犬になりました。

うららのおかげで、私も嫌でも歩くようになり、ちょっとは健康的になったかな?
こんどは、四季の森公園あたりに行こうかと思います

緊急当番じゃないお休みは、のんびりうららと過ごすことが、今一番のストレス解消法になっています。


和泉川散歩

2013-03-02 23:33:43 | うらら
今日は天気が良かったので、和泉川に散歩に行ってきました。

昼間はかなり暖かくて、コートはいらないぐらいの陽気。

まだ、一面枯れ草色の川辺ですが、よく見ると小さな雑草には、もう可愛らしい花が咲いていました。

この時期にまっさきに咲く、この緋色の花を咲かせる木は、梅なのか緋寒桜の種類なのかよくわかりませんが、青い空にぐんぐん枝を伸ばして、緋色の花をたくさん咲かせていました。

        

そして、視線をずらすと、もう菜の花まで全開で咲いています。

   

もう、春なのだなぁ・・と実感します。

初めての川べりで、うららはとても嬉しそう。

ぴょんぴょんはねたり、くんくん匂いを嗅いだり、鳥を追っかけまわしたりと、夢中で遊んでいました。

この川は、カワセミもやって来る川です。
コンクリートで固めることなく、自然形になるように、護岸を作ってあります。

ですから、水面ギリギリのところには、どんな生き物が作ったのか、無数のトンネルみたいな穴が、いっぱい空いています。
夏には、ここで子供たちがザリガニをたくさん釣り上げます。



ここは、春になるとずっと鶯やら雲雀やら、たくさんの野鳥の鳴き声が聞こえます。

今日いたのは、真っ白なサギ。

ウーちゃんは、遊んで欲しくて近寄りますが、サギは迷惑そうに飛び上がってちょっと離れたところに行ってしまいます。

ほかにも、たくさんのカモがいます。
川辺の草むらから、たくさん出てきて、家族でスーイスーイと浮かんでいます。
                   

かもにも、鳩にも逃げられて、うーちゃんはちょっと寂しそうでしたが、それでもお外遊びが大好きなうーちゃんは、水に落ちそうになりながら、本当に楽しそうでした。