後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

弥彦神社と十日町あじさい

2015年07月18日 | 旅行

 15日日帰りツアーで十日町市のあじさい公園と弥彦神社参拝・弥彦山頂の散策に行って来た。7時長野東口を定員44人のバスに乗客42人で、観光会社の添乗員の案内で出発し、十日町あじさい公園に9時半到着した。
このあじさい公園は昭和55年に十日町市八箇地区の若者達が地域興しの一環として、「後世に遺る財産ずくり」という発想から観光を兼ねた市民の憩いの場となるよう計画されたものだそうだ。5.8haの斜面に14,000株のあじさいが植栽されているという。

         

        

                      

十日町あじさい公園を10時半過ぎ出発。途中旧吉田町から弥彦神社へ向かう途中にある大鳥居が有名だが生憎修理中で全面覆われており 
見ることが出来なかった。弥彦へは12時過ぎ到着、弥彦の街並の割烹で大人気と言われている「わっぱ飯膳」を食した。昼食後弥彦神社を参拝する。
弥彦神社の御祭神は天香山命(あめのかごやまのみこと)で天照大御神の御曾孫にあたられる。
明治45年門前からの大火により本殿以下の殆んどが焼失、その後大正5年現在の社殿が再建された。今年は大正の再建から百年となり
「御遷座百年記念事業」が計画されている。

      
                        随 神 門                               本   殿

参拝後ロープウェイで弥彦山頂に行く。山頂には弥彦神社の御神廟・新潟県各TV会社のアンテナが林立・山頂公園のあじさい・パノラマタワーがある。御神廟までは山道で往復30分かかるというので止めた。

          
            後がパノラマタワー                         展望食堂、右側白いあじさいが綺麗

         
          山頂に林立するTV送信アンテナ                        パノラマタワーから山頂駅

         

山頂までは日本海側から弥彦スカイラインがあって、バスが山頂駐車場に来ておりそこから帰路に就いた。
途中魚のアメ横と言われる寺泊の魚市場に立ち寄り、長野駅東口には19時帰着した。

 

 

 

 

 


長盛会の旅行

2015年06月28日 | 旅行

長盛会とは居住地「長野市大字稲葉日詰」の日詰地区の老人クラブである。大方の老人クラブでは春秋年2回の研修旅行を実施している。
何が研修なのか良く理解できないが、名前はどうでも年寄りが楽しく親睦・懇親を深めるには良いことだろうと思う。

さて今回の27年度春季研修旅行は、湯田中渋温泉郷の穂波温泉某ホテルに6月23・24日1泊の旅行である。参加者27名で30名以下は珍しい。もっとも過去には20数名というのも多々あったと記憶している。

23日午後2時日詰稲葉公園をホテルの送迎バスで出発、途中小布施町の北斎の天井絵・蛙合戦で名高い岩松院に立ち寄った。

岩松院は、曹洞宗の寺院で、山号は梅洞山・本尊釈迦如来小林一茶ゆかりの寺でもある。又、1619年(元和5年)広島城無断改築を理由に信濃国高井野藩に改易された福島正則菩提寺で境内には霊廟がある。
本堂の大広間には天井絵がある。 葛飾北斎最晩年の大作「八方睨み鳳凰図」で、21畳敷きの天井いっぱいに翼を広げた鳳凰の画で、葛飾北斎最晩年の作品だそうだ。裏庭には小さな池があり、桜が満開を少し過ぎた頃、たくさんのアズマヒキガエルが集まって産卵をする「蛙合戦の池」がある。一茶が産卵の様子を見て「やせ蛙まけるな一茶これにあり」という句を詠んだと言われている。小林一茶の句碑も池のそばに立っていた。

      
           岩松院 本堂                              蛙合戦の池

       
          福島正則公霊廟入口                           福島正則公霊廟

午後四時頃穂波温泉「おもだか屋」に到着、六時から宴会が始まった。
宴席で正面の席(四人)に座らせられたのには唖然とした。従来からの慣例で正面に高齢者が座ることになったおり、84歳の私も該当したらしい。会員には88歳(今回の最高齢者)以上の方々もいらっしゃるが今回参加されなかったので止むを得なかったのだろう。宴会が終わり部屋に戻り雑談、同室者全員で3名、年寄りばかりで話は病気のことばかりである。

翌24日は山の内町の名勝「地獄谷」・野猿公苑へ希望者だけが散策に出かけた。入口の上林温泉まではホテルのバスが送迎してくれた。入口から平坦な山道を約1.5Km凡そ30分で地獄谷、そこからさらに2~30段の階段をのぼり野猿公苑入口に到着した。
管理人の話によると、丁度猿に餌を与えた後なので、殆どの猿は山に戻って園内の猿の数は少ないという。

      
                          天 然 記 念 物 地 獄 谷 噴 煙

      
         野猿公苑の猿用の野天温泉池                           くつろぐ親子猿

ホテルに11時頃帰り昼食後13時帰途につく。途中、中野市のサクランボ園の直営販売店に立ち寄り15時日詰稲葉公園に帰った。

 

 


奥びわ湖もみじ回廊

2014年12月06日 | 旅行

11月27日~28日1泊2日で奥琵琶湖紅葉回廊というツアーに行ってきた。
紅葉もさることながら清瀧寺徳源院・近江孤篷庵・鶏足寺・石道寺の参拝と、寺宝の収蔵庫 己高閣・世代閣の数々の仏像などの寺宝を拝見
する旅である。滋賀県米原市と長浜市に点在する寺院の庭園・参道の紅葉は26日の雨で若干散り始めていたが見事であった。
湖南三山・湖東三山の紅葉は名高いが、今回はあまり知られていない所で,旅行会社も初めての企画だという。
紅葉も前者の三山より若干見劣りはしたが,紅葉の名勝で綺麗だった。

参加者は夫婦連れが多く、他に女性のグループなど33人の参加であった。長野駅ユメリア駐車場を6時出発、伊吹山山麓のレストランで昼食、
27日最初の目的地米原市の清瀧寺徳源院に向う。清瀧寺を参詣散策後、長浜市の近江孤篷庵へと回り、3時半頃今日の宿、琵琶湖湖畔の
「長浜ロイヤルホテル」に到着する。早く着いたのでホテル前の公園を散策する。

2日目は寺宝の収蔵庫「己高閣・世代閣」と鶏足寺~石道寺と回り、日本海沿岸の敦賀市に行き「日本海さかな街」で昼食、散策後14時半
帰途につく。

*清瀧寺徳源院  天台宗 比叡山延暦寺派 米原市
  平成23年のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」で馴染みの、信長の妹「お市」の2女「初」が嫁いだ19代京極高次公を中心に祀って
  ある京極家の菩提寺で、墓所は国指定史跡である。池泉回遊式庭園は県指定名勝でもある。

  青瀧寺徳源院 山号;霊通山 宗派;天台宗 本尊;木造聖観世音菩薩 市指定文化財
  鎌倉時代から戦国時代にかけて北近江を支配した佐々木京極氏の菩提寺です。
  初代氏信公の法号から青龍寺と称しました。
  江戸時代初め、京極大二十二代(丸亀藩二代)高豊公は、歴代の菩提寺からその墓石を集
  めて、墓所上段に祀り直されました。その祖先を供養するために三重塔を建立し、本堂を
  墓所の前に移し、十二坊を復活、六百石を寺に寄進して、寺院名も父の法号をとって徳源
  院に改めました。
  *本堂本尊 木造聖観世音菩薩 市指定文化財 *京極家墓所 国指定史跡
  *池泉回遊式庭園 県指定名勝庭園 *道誉桜(エドヒガン桜)市指定天然記念物
  *大般若経六百帖 市指定文化財
  
                                   *三重塔 県指定建造物 本尊木造如意輪観世音菩薩 市指定文化財

                          
               位牌堂の阿弥陀如来像・歴代坐像も並ぶ                  三重塔;県指定文化財 

                       
     下段墓所;19代から当主や分家の墓14基(石廟もある)      上段墓所;始祖氏信から18代孝義まで歴代当主の墓18基

             
                 
                境 内 の 紅 葉

 ←庭園;紅葉の絨毯が綺麗だ 


  

 
*近江孤篷庵 臨済宗大徳寺派 本尊釈迦牟尼如来坐像 長浜市上野町
  京都孤篷庵と同じ円恵霊通禅師(江雲和尚)が開山。遠州候及び小堀家家老家臣の修禅及び菩提道場であったが、江戸後期改易により衰退
  の一途をたどり、その後明治維新の頃以降無住なった。昭和13年再建されたが、昭和43年の伊勢湾台風で全面倒壊、昭和40年本堂を
  再建、境内や庭園も補修整備された。昭和34年庭園の石組等が遠州流庭園ということで滋賀県史跡名勝に指定された。

  滋賀県指定名勝 孤篷庵庭園
                      昭和36年4月26日
  この寺は、小室城主であった小堀家の菩提寺として、承応二年(1653)遠州没後に
  建立された。当初は少し離れたところにあったが、三代政房の宝永六年(1709)に
  現在地へ移された。庭園もその頃の築造と考えられる。
   庭は、本堂の東側にせまる山裾を利用した池庭と、南側に開けた枯山水とからなって
  いる。池の護岸及び築山の石組も小ぶりに穏やかで自然にとけこみ、枯山水は五老峰と
  称する山岳、枯滝を眺めの焦点に、全面を水面に見立てて舟石を配する。本堂縁先の礎石
  を転用した手水鉢も名品である。遠州の菩提所である。同盟の京都大徳寺塔頭に対し
  近江孤篷庵とよばれている。

                                          平成二年三月          滋賀県教育委員会

        
         近江孤篷庵 参   道                                  山   門         

        
            本   堂                                  本尊;釈迦牟尼如来坐像

        
          本堂東側せまる山裾を利用した池庭                   南側に開けた枯山水                      

  ◯参道入口手前に素盞烏命神社があった。神社一覧表にも掲載されていない。Wikipedia百科辞典では同名の素戔嗚尊(字が違う)は古事記
   による日本神話神で伊奘諾尊(いざなぎのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこと)の子、天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟とある。
   又別資料によれば素盞烏神社(命がない)は牛頭天王スサノオを祭神とする祇園信仰の神社とある。命・尊の有無や、字が違うことも
   あって、いかなる神社か全く解らない。立派な鳥居と神社名の石塔があって参道の紅葉は綺麗だった。     

        
                            素盞烏命神社 鳥居と参道
*己高閣・世代閣
  己高閣はかつて己高山に構えていた寺々の寺宝を納めるため、昭和38年に建てられた滋賀県最初の文化財収蔵庫で、延喜式々内社與志蠟
  神社の境内地に建立された。鶏足寺の十一面観音をはじめ、数々の重要文化財が納められている。

  世代閣は、村人たちによって当地区の石器時代以降の文化財や世代山戸岩寺の寺宝等の保存の為、区民の浄財のみによって収蔵庫を建設し
  山号に因み「世代閣」と命名し、平成元年秋に開館された。戸岩寺の薬師如来像立像をはじめ多くの仏像仏画や古文書類が収納されている。
  
  ◯世代山戸岩寺;僧行基が栗谷山五ッ岩に薬師如来像を自ら彫刻し、岩にちなんで「世代山戸岩寺」となずけ建立した。以来弘法大師が大日 
   如来や魚籃観世音を又、恵心僧都も阿弥陀如来を祀った。以来政情の変化などにより廃寺となったが村民の努力により寺宝が守り続けられ
   てきたという。

        
            與志蠟神社                                 旧戸岩寺

       
               己高閣                            孤高閣入口左にある写真

*鶏足寺
  無住となっており寺宝は己高閣に納められている。

   飯福寺 現鶏足寺
   当寺は、古く奈良時代に行基上人が草創されたと伝えられており、その後一時南都興福
   寺の末寺となりました。また興福寺官務牒疏には、己高山観音寺の別院としてその名が
   記されています。
   中世の延徳年間(一五世紀)には、法印実盛上人により飯福寺はおおいに隆盛を誇り
   実盛上人は、中興の名僧と呼ばれました。さらに戦国時代には、浅井氏、京極氏から
   庇護を受け特に浅井氏三代の祈願所として隆盛を極めてきました。
   江戸時代においても幕府から寺領を与えられ大寺として格式を誇ってきましたが、明治
   時f代に入り廃物希釈などによって寺院の規模は縮小されてしまいました。しかし、そ
   の後村里の人々の努力により現在のように整備され「幽遠の仙境遠く俗塵をはなれたる
   の古刹」の面影を残しつつ大切に守られています。
                                                       木之本町教育委員会

        
             参 道 入 口                                  参  道 

        
             鶏 足 寺(無住)                            己高閣界隈の紅葉  

*石道寺
  鶏足寺から5~10分石道寺に到着。
 
  石道寺
                 「国指定重要文化財」
       木造十一面観音菩薩    一躰  像高  173cm
       木造持国天立像      一躰  像高  184cm
     木造多聞天立像        一躰  像高  184cm             
                  「県指定文化財」 
     木造十一面観音立像    一躰      像高  102cm 
  本寺は、神亀三年(726)延法上人が草創され、その後、延暦二十三年(804)に伝教大師
  が十一面観音をまつり再興されたと伝えられています。
  (後世、天台宗を廃して現在のように真言宗に移行されました。)

また、大和興福寺文書によると本寺は己高山五箇寺の一寺で、僧房三十八宇、衆徒二十口、本尊観世音、延法上人開基と記されており、往時は壮大な寺院であたと考えられます。 
(現在の観音堂は、明治年間に現地点から約一km離れた山間から移築されました。)
十一面観音立像は一本造りで、彩色や面相並びに衣文から平安時代中期の作とみられます。持国天立像、多門天立像は檜材の寄木造りで、面相や衣文から鎌倉時代の作とみられます。
                                                木之本町教育委員会 

                    
                          石 道 寺                               石道寺界隈の紅葉

                                                                                                石 道 寺 界 隈 の 紅 葉     

2日目28日予定の寺宝の収蔵庫・寺院・紅葉狩りを終えて敦賀市に向かい日本海魚待を散策昼食を摂り午後2時半帰途に就く。
交通渋滞もなく予定より早目に到着20時前に帰宅出来た。
 

 

 


草津温泉

2014年11月09日 | 旅行

毎年嫁いだ娘2人と旅行する事にしており、今年は長女の希望もあって草津温泉となった。娘2人は1日東京から車で帰省し、3日娘2人と4人,次女の運転で志賀高原回りで草津温泉に向う。途中、中野市の農産物直売所(おらんち)に立ち寄り、その後湯田中の「道の駅信州湯田中」で昼食をとる。

普段運転しない次女にはカーブの多い国道299号は大変だが頑張ってもらう。志賀高原にはいると横手山に霧がかかっている。渋峠に近かずくと濃霧に包まれた。峠の草木は霧氷がつき真冬の景色になっていた。峠からの展望は国道の中で有名な所だが残念ながら全く見えない。少し下ると徐々に霧も晴れ、万座温泉入口では全く霧も消えた。白根山が警戒レベル2で国道も駐停車禁止、湯釜には登れない。登山口の駐車場もレストハウスも閉鎖中だった。

       
                                 峠  の  霧  氷                                                     

      
                                         国道299号線からの草津方面の展望 
 
 草津に入って「西の河原」を散策、入口に片岡鶴太郎美術館がある。
 片岡鶴太郎美術館は片岡氏の44歳の誕生日にあたる 平成10年12月21日に草津ホテルの付帯施設として開館している。管内の
 グッズコーナー売店の人によると、館長が片岡氏のファンで、毎年宿泊して頂いている縁もあり、収集した作品の展示を考えてのことらしい。
 

       
                                                  西  の  河  原 

                           
 ベルツ・スクリバ両博士之胸像
     明治時代、東京帝国大学(現在の東京大学)に、「内科にベルツ、外科にスクリバあり」といわれて日本近代医学の
     基礎を築いたのが両博士です。両博士とも無二の親友で、共に草津温泉を科学的に研究し、その医学的効能を世界に
     知らしめ、又スクリバ博士は、町民に無料で診察を施し、町民から深く親しまれました。この胸像は、東京大学構内の
     両博士の胸像が、戦時中、供出されるときコンクリートでコピー(ベルツ記念館に展示)したもので、戦後草津町に
     贈るれたものを、1992年(平成4年)5月に姉妹都市締結記念事業にて建て替えられたものです。
                         草  津  町                       
                         草津町教育委員会 

    他にベルツ先生記念碑・斎藤茂吉記念碑・俳人水原秋桜子碑があった。

    西の河原を散策後、今晩の宿に午後3時ごろチェックインする。旅装を解いて草津温泉の名所、湯畑を散策する。
    草津温泉には源泉が9か所あるというがその一つで、宿の風呂も源泉が湯畑だと表示されていた。

          
       

          
                                                草  津  温  泉  湯  畑

  翌4日9時頃宿を出発長野原に向かい浅間酒造観光センターに立ち寄る。観光バスの観桜客が大勢いた。40分ほどショッピング、
  国道146号で軽井沢に向かう。登りの坂急カーブが続き運転者に苦労を掛ける。北軽井沢を過ぎ峰の茶屋から白糸ハイランドウェイを下り、
  名勝「白糸の滝」に立ち寄る。観光客が多いのには驚いた。
  
          
                                                   白   糸  の  滝
  
   白糸ハイウェイを一路下り軽井沢駅に11時15分ごろ到着する。ここで娘2人と別れ久しぶりに軽井沢から信濃鉄道で車窓からの
   景色を眺めながら長野に戻った。

 

 


苗場ー田代ゴンドラ紅葉の旅

2014年10月30日 | 旅行
25日日帰りツアーで、「苗場の紅葉・ドラゴンドラ・田代ロープウェイ」に行って来た。長野駅東口7時10分出発、参加者40人10時半頃
国道17号湯沢町二居の、標高806mの田代ロ-プウェイ山麓駅に到着、行楽シーズンの土曜日とあっての賑わい、定員91人のロープウェイでも約30分待ちだった。

標高1,413mの田代高原山頂駅まで全長2,175m、10分の空中散歩。ロープウェイには床面2ヵ所に真下が見える様約1m四方のガラス窓があった。最高地上高230mの日本一高い地点の通過を覗けるように作ったという。紅葉は丁度見ごろであった。田代高原には田代湖と、スキー場が数箇所あった。
標高1,346mnのドラゴンドラ山頂駅までおよそ2kmを散策する。

ドラゴンドラは別名「苗場 - 田代ゴンドラ」で、全長は5,481m日本最長のゴンドラである。「ドラゴンドラ」の名称は松任谷由実によって名付けられたとういう。ゴンドラは8人乗り12時前山頂駅で乗車山麓駅まで25分空中散歩、アップダウンがあって珍しいゴンドラだ。8人の少人員のゴンドラでゆっくり展望出来、紅葉も見頃で十分堪能出来た。

  
 ←ドラゴンドラ・田代ロープウェイの案内図
 右下が田代ロープウェイ山麓駅(標高806m)、上部右側が田代高原で田代ロープウェイ
 山頂駅(標高1,413m)、その左がドラゴンドラ山頂駅(標高1,346m)で、徒歩20分程度下
 ったところにあ
る。左側に苗場プリンスホテルでその右にドラゴンドラ山麓駅がある。
 ドラゴンドラ山麓駅と田代ロープウェイ山麓駅間はシャトルバスが運行されていた。
 紅葉シーズンで苗場プリンスホテルの広大な駐車場はドラゴンドラ・田代ロープウェイに
 乗る行楽客のマイカーで70~80%の入りのようだった。  

 

 

 

         
       田代ロープウェイからの山麓駅                         床面からの最高地点付近


         
       田代ロープウェイからの二居ダム湖                    田代ロープウェイからの山麓駅方面

           

  ← 田代高原
  田代湖と左が苗場山(2145,3m)、中央が神楽ヶ峰(2029,6m )

 

 

 

 

 

                      
             ドラゴンドラ山頂駅の乗客、8人乗りで1分足らずの                  ドラゴンドラからの紅葉
        間隔なので流れが良く待ち時間も10分程度
   
          
          アップダウンのあるゴンドラ                                  二居ダム湖

 ドラゴンドラ山麓駅に12時40分集合出発、湯沢町湯沢温泉街で昼食後南魚沼市石打「ハッカ石温泉・石打ユングパルナス」で入浴
 帰途についた。19時長野駅東口に到着する。カタカナ語に弱くハッカ石やユングパルナスの意味は解らない。                     
 

 

 

 

 

 


東京湾一周と鋸山

2014年07月07日 | 旅行

鋸山には日本寺がある。御影石で2,639 段の参道は日本で2番目の長さで、鋸山全体を境内にもつ、曹洞宗の寺院である。しかも日本一を
誇る大仏がある。奈良大仏14.38m 鎌倉大仏11.3mだが、日本寺大仏は31.05mで日本最大の大仏である。鋸山の岩肌に彫られた高さ30.3mの観音石像「百尺観音」や千五百羅漢などもある。

兼ねたから行ってみたいとい思っていたところ、よく利用している旅行会社に鋸山ロープウェイが組み込まれている日帰りバスツアーの企画があったので参加した。ロープウェイで山頂に行けば少なくとも大仏は拝顔できると思って参加したが、行程を調べなかったのがうかつだった。山頂で展望しただけで下山することになって、全く境内は散策できず誠に残念だった。大失敗でいずれゆっくり訪れたいと思っている。

ツアーは次の行程で25名(男性6名)参加。
  長野駅東口―→東京湾アクアライン・海ほたる―→鋸山ロープウェイ―→金谷港~カーフェリー~久里浜港―→長野駅東口

長野駅東口を6時40分出発「海ほたる」へ10時30分頃到着1時間程散策する。2度目だがあまり変わっていないようだ。1階~3階は駐車場、4階はショッピングセンター,5階はレストランと展望広場である。買い物はしないのでアクアラインの技術資料館を見学した。

                         
                 「  海ほたる」5Fから川崎方面                「海ほたる」5Fから木更津方面

       
     技術資料館にある「海ほたる」の模型          「海ほたる」屋上にあるシンボル

「海ほたる」を11時頃出発鋸山ロープウェイに向い11時20分ごろのロープウェイで山頂に行く。幸い東京都心を過ぎてから天気も
 回復山頂での展望もまずまずだったが、霞がかかって見えるはずの富士山も遠望出来なかった。鋸山は稜線が鋸の歯のようで鋸山と
 名付けたらしい。かって房州石(角材)を切り出した石切場跡が絶壁となっている。山頂駅の中に房州石が展示されていた。
  下山後金谷港付近のレストランで昼食をとる。午後2時10分のカーフェリーに乗船、木更津に向かう。40分程で木久里浜港に着岸する。

         
     ロープウェイ山頂駅に展示されている房州石          房州石を切り出した石切場跡  

         
          石切場跡                  山頂駅より見る金谷魚港(フェリー出航港でもある)

                     
          フェリーから鋸山                    久里浜港 中央 「くりはま花の国」

 久里浜港から一路帰途に就く。東京都心に入ったら一天俄かに曇り猛烈な夕立となった。バスには影響がなく長野駅東口に9時ごろ
 到着した。帰宅後TVのニュースで驚いた。東京都心で遭遇した夕立で、都心一部で大雨の被害があったと報道されていた。
 今年の東京の大雨は全く異常の様だ。
         

 


長盛会(老人クラブ)旅行

2014年06月23日 | 旅行

6月18~19日1泊2日で長盛会春の旅行で別所温泉へ行ってきた。そもそも長盛会とは正規には日詰長盛会であって、長野市大字稲葉
日詰地区の老人クラブである。毎年春・秋の2回1泊2日の旅行を行っている。なぜか内容は親睦慰安旅行だが、名称は研修旅行となっている。
多分関係機関からの指導・要請もあって名付けたのだろう。会員は120名程度だが毎回旅行参加者は30名前後である。今回は34名(男20名・
女・14名)であった。

別所温泉と、この地域上田市塩田平には名所旧跡が多いので観光客も多い。1か月前は大学同級会で訪れたが同級生の中に体調不良の方がいて、
其の方を送ったので散策出来なかった。今回は久しぶりに別所温泉地域の、北向観音―→安楽寺―→常楽寺―→別所神社 と散策した。

北向山北向観音堂 本尊;千手観世音菩薩

  厄除観音として知られる「北向観音堂」は、平安時代初期の天長2年(825年)比叡山
  延暦寺座主慈覚大師円仁により開創された霊場だそうだ。
   本堂が北に向いている全国でも珍しい寺で「北向観音」として親しまれている。善光寺が
   来世利益、常楽寺が現世利益をもたらすとされ、両寺に参詣しないと「方参り」になると
 言われている。
 札所としては、
  坂東三十三箇所番外札所・中部四十九薬師霊場2番札所・信濃三十三観音霊場番外札所 
  となっている。

   



 崇福山安楽寺(曹洞宗) 本尊;釈迦如来

    安楽寺は禅宗としては、鎌倉の建長寺などと並んで日本では最も古い臨済禅宗寺院の
    一つで あったが、天正十六年(1588)ころ、高山順京が曹洞宗に改めたという。
 正確な記録は残っていないが国宝、重要文化財等数多くの鎌倉時代の文化遺産を蔵して、
 信州最古の禅寺のおもかげを残しているという。

  重要文化財
    安楽寺前開山 樵谷惟仙和尚像
    安楽寺前ニ世 幼牛恵人仁和尚像
    
    

 



国宝 八角三重塔(安楽寺/日本最古の禅宗様建築)

      この塔は一見、四重塔に見えるが、昭和二七年長野県最初の国宝して指定された折り、初重の屋根は
      「ひさし」に相当する「裳階」であるという見解で、裳階付き八角三重塔として認定されたという。
   八角塔は奈良・京都のどに記録 都市として残されているが、それが失われた今日、我が国に残された
       唯一の八角塔であり、禅宗寺院に残る塔と しても極めて貴重な遺構であるという。

 

 

 

 

 

 



*金剛山 照明院常楽寺  本尊;妙観察智弥陀如来

    
常楽寺は北向観音の本坊であり、ご本尊は「妙観察智弥陀如来(みょうかんざっちみだ
  にょらい)」。常楽寺は北向観音堂が建立された天長二年(825年)、三楽寺の一つと
  して建立された。「三楽寺」は長楽寺・安楽寺・常楽寺であったが、現在長楽寺は焼失
   し北向観音の参道入口に碑を遺すのみとなっているという。
  住職 半田孝淳は天台座主である。 

                                             

 

 

   
   半田孝淳(はんだ・こうじゅん)天台座主(てんだいざす)

  
大正6年(1917年)別所温泉生まれ。半田孝淳座主猊下は地元常楽寺の住職と京都曼殊院門跡(まんしゅいんもんぜき)門主を努められ、
        平成18年2月1日に第二百五十六世天台座主に上任されました。天台きっての国際派とも知られ、ローマ教皇に謁見し、まさに平和への
        祈りを捧げる比叡山宗教サミットを実現に導かれました。このサミットに合わせ「平和の鐘」を打ち鳴らすことを世界の主要な寺院に
   要請 など、如何なく実力を発揮されてます。「世界平和を求める同士に言葉はいらない」を持論とし何度もバチカンを訪問され、
        ヨハネ・パウロII世ローマ教皇と親交を深められました。 2009年上田名誉市民となられております。

国重要文化財 石造多宝塔(常楽寺)

「石造多宝塔(せきぞうたほうとう)」は、北向観世音様が出現した所で、高さ2m85cmの
  安山岩で出来ており、国の重要文化財に指定されている。
 石造多宝塔のすぐれたものは全国的にも少なく、わが国で重要文化財に指定されているも
 のは、この常楽寺塔と滋賀県の「少菩提寺塔〔しょうぼだいじとう〕」の二つだけだと
 いう。

 

  


名古屋・南知多(山海温泉)・岡崎(八丁味噌)の旅ー其の2

2014年03月28日 | 旅行

2日目は「えびせんべいの里」の工場を見学後「やきものの常滑」の街を散策、午後岡崎の八丁味噌工場を見学する。

*えびせんべいの工場
  工場見学する人は殆どなく、えびせんべいのショッピングが目的の方々ばかりである。ツアーの参加者も工場を見学した方は殆どいない。
  一寸覗いて見たが各種のせんべいを焼く行程から包装まで自動化されており、焼く機械は10数台並んでいた。ショッピングには興味が
  ないので時間を持てあました。皆さん大きな袋をぶら下げてバスに帰って来た。

*やきものの常滑の街
  常滑のやきものは日本6古窯の一つだそうだ。陶磁器には造詣がないので知らなかったが、6古窯とはWikipediaによれば、  
    「日本古来の陶磁器窯のうち、中世から現在まで生産が続く代表的な6つの窯の総称」で以下のやきものである。
    瀬戸焼:愛知県瀬戸市  常滑焼:愛知県常滑市  越前焼:福井県丹生郡越前町   信楽焼:滋賀県甲賀          
    丹波立杭焼
兵庫県篠山市今田町立杭       備前焼:岡山県備前市伊部

  やきもの散歩道が設定されており,1周約1.5KM60分程の歩道である。解りにくい散歩道で要所要所に案内版があったが、それでも迷い
  そうになった。散歩道の地図を頼りに何とか1周できた。解りにくい散歩道で間違いないように歩くのに気を取られ、帰ってから散歩道の
  地図を見ると肝心のところは殆ど見落としたようだ。前もって地図を見ておけばと思うと、誠に残念であった。初めてのところは案内人が
  必要だ。

                 
       登窯(陶栄窯)についての要約
    常滑の登釜は江戸時代天保5年(1834)効率よく生産する為に導入したのが始まりと言われている。主流であった鉄砲釜(大釜)では
    効率よい生産は難しくのぼり釜の導入は画期的な出来事だった。この陶栄釜は明治20年ごろ築かれ、当初は薪や松葉を焚いていたが
    明治30年代の後半になると第一室の焼成に石炭が使われるようになり、折衷式とよばれ常滑では一般的となった。陶栄釜も、その頃
    に折衷式になったと推定される。現在残っている登窯は約20度の傾斜地に八つ焼成室を連ね、全長22M,最大幅9.6M,最大天井高
    3.1Mと大型の登窯の部類に属し、明治末期60基ほどあったと記録されている。その後、常滑では石炭窯が一般的となり登釜の数は急
    速に減り、現在ではこの陶栄釜が残るだけとなった。昭和49年1月の窯出しを最後に創業を停止、昭和57年に重要有形民俗文化財に    
    指定され保存されることになった。   常滑市教育委員会


         
                          登り釜 左側に焼成室の入口が見える         登釜広場 右奥展示工房館

 ←土管坂
    やきもの散歩道・土管坂の案内看板 
   
  土管坂の説明文要約
   土神坂の路面には土菅を積み重ねて焼くときに下に置く「焼台」(ケサワともいう) 
   が敷かれており、坂の両側には明治時代の「土管」と昭和初期の焼酎瓶が埋め込まれ
   ている。  国土交通省の「ふるさと坂道三十道」に 選定されている。           
                                          

  散歩道には 土管・焼酎瓶等による塀・土留めがたくさんある。

      

      

*岡崎の八丁味噌
   八丁味噌の郷「カクキュー八丁味噌」を見学した。ここだけは案内人がついて説明してくれた。もっとも「名古屋城」や「やきものの常滑
 の街散策」と違い案内人がいなければ全く見学は不可能だ。八丁味噌の八丁は岡崎城より西へ八丁はなれた八丁村、ここで味噌の仕込を
 始めたのが始まりだそうだ。八丁味噌の製造行程で全くほかの味噌と違うところは、一般の味噌は茹でた大豆を米麹で発行させるが、八丁味 
 噌は大豆を蒸して直接麹菌で発酵させることだという。そして一般の味噌は半年で熟成できるが八丁味噌は熟成に2年かかるという。
 さらに発行熟成させる仕込み桶には2トンの重し(石の山積み)が乗せられている。重しは水分が流動し塩分が底に沈まないようにするため
 だという。八丁味噌と一般の味噌の違いがよく解った。

 ←明治四十年建築の味噌蔵で改築して資料館となっている。
 文化庁の登録文化財に登録されている。

     
     カクキュウ八丁味噌の正面建物


 
    
     仕込中の味噌桶                大正時代の仕込桶、現在も使用している

1泊2日の旅も終わり19時半無事帰宅した。

 

 

 

 

 


名古屋・南知多(山海温泉)・岡崎(八丁味噌)の旅ー其の1

2014年03月25日 | 旅行

 3月11~12日1泊2日で名古屋城・名古屋市徳川園・滑常焼き・8丁味噌の郷へ行ってきた。添乗員の話では名古屋は観光で来ることが少ないと言っていた。名古屋といえば思いつくのは名古屋城・金のシャチ・熱田神宮・ういろう・きしめんくらいだ。1月に熱田神宮に来たばかりだが、名古屋城も初めて、徳川園があることも知らなかった。山海温泉も焼き物の常滑も八丁味噌の岡崎も初めてで、すべてを回るツアーがあったので飛びついた。長野~名古屋間の高速道路沿線を外れたツアー参加者乗車ため、松本市郊外・諏訪を回るので早朝長野駅前5時半の早い出発だった。

* 徳川園
  11時頃徳川園に到着40分程園内を散策する。園のパンフレットによれば徳川御三家尾張藩二代藩主光友が隠居所として大曽根屋敷を
  造営したのが起源だそうだ。その後家老職に譲られたが明治22年からは尾張徳川家の邸宅となり昭和六年名古屋市に寄贈された。
  戦後都市公園として改修平成13年日本庭園として再整備を行い平成16年に開園した。
      徳川園の名所は「龍山湖」「観仙桜」「大曽根の滝」「虎の尾」「虎仙橋」「瑞龍亭」「四睡庵」だが、事前に下調べをしてないので
  見落としたところもあった。
         
                         龍   山   湖

         
          龍仙湖(左奥西湖堤)                  西 湖 堤     

          
         虎の尾にかかる虎仙橋                       大曾根の滝

* 名古屋城
  12時過ぎ名古屋城に着き、正門入口にある能楽堂の東山ガーデンで名古屋名産「ひまつぶし御膳」の昼食。パンフレットによれば
  名古屋城は慶長17年(1612)完成、尾張初代藩主家康九男の義直が入り、以降名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄え
  た。昭和5年国宝に指定された。昭和20年の空襲で本丸の殆んどが焼失、昭和34(1959)天守閣が再建された。
  名古屋城内にある重要文化財 「東南隅櫓・西北櫓・西南櫓・表二之門・旧二之丸 東二之門(昭和47年本丸東二之門の跡に復元)」

                                                        
    「本丸表一之門跡」の立札

  説明文
   古名は南一之門、本丸大手の主門で外門である表二之門とともに桝形を形成していた。
  入母屋造・本瓦葺の二階建てで、門扉の上には石落を設けていた。昭和20年空襲に
  より焼失した。 

  
  残念ながら復元された「旧二之門 東二之門」は見落とした。 
                                         

        
          清正の石曳像

         
         天  守  閣                    左;東南隅櫓  右;天守閣 

                         
         名勝二之丸庭園                  金のシャチ(天守閣1階に展示)
* 本丸御殿
   今回の名古屋城のメインは昨年公開された本丸御殿表書院の見学である。名古屋城は初めてなので時間も十分あったので、天守閣と
   二之丸庭園を回ってから本丸御殿を見学した。

   本丸御殿公開パンフレットによれば  
  「平成21年1月本丸御殿復元工事着手ー平成23年7月12日上棟記念式典開催ー平成25年5月29日玄関・表書院公開開始」
  となっている。復元された本丸御殿の用材は木曽檜だそうだ。貴重な木曽檜を使わせてい頂いたことへの感謝と地域との交流を深め
  るため、平成20年から毎年、名古屋市民による「市民の森づくり」事業を進めているという。

                   
                          復元された本丸御殿

                           
                      絢爛豪華な壁画の復元模写
   昭和20年の戦災で建物は焼失したが襖や杉戸など外せるものは全て外して疎開していたため、戦禍を免れ平成4年(1992)より、
   本格的な復元模写を実施しているという。 

名古屋城を後に宿泊地南知多・山海温泉「肅 海風」に向かい、16時前時に到着した。山海温泉は普通の温泉街とは違いむしろ海水浴場のリゾート地という感じの温泉地のようだった。  

 


  
      

 

 

 

 

 

 


長盛会旅行

2013年11月21日 | 旅行

長盛会とは長野市大字稲葉日詰の日詰老人クラブで、春・秋年2回の旅行がある。以前は春は1泊2日、秋は2泊3日の旅行であったが、数年前から秋も1泊2日の旅行になった。今年の春は欠席したが、今回は久しぶりの大町温泉郷なので参加した。参加者37名、ここ数年30名前後だったので大勢の参加には驚いた。

13時日詰高木酒店駐車場を出発、稲葉公園を回り大町温泉郷に向かう。大町に入り、高瀬川渓谷の大町ダム(国土交通省)&龍神公園で紅葉を楽しみ旅館に到着したのは16時少し前。以前は渓谷入口に東京電力高瀬川テプコ館があって、高瀬ダムと近下発電所の工事の映像を見て、会社のバスで高瀬ダム・地下発電所を見学出来た。今は東京電力福島原発の事故後自粛、七倉ダムまでは自動車が入るが,そこから高瀬ダムまでは東電の専用道路で入れなくなった。

龍神湖(大町ダム)・龍神公園(龍神湖及び付近の渓谷・森林を含めた公園)の紅葉は時期も良く見事だった。

  
     
 
    龍神湖(大町ダム)堰堤からの眺め

 

 

 

 
   ←大町温泉郷のメイン通りにあった紅葉

 

         
        龍神公園展望台かの眺め  

 

 翌6日は午前は大町温泉郷を散策昼食後帰途に着く。途中安曇野市穂高のワサビ農園に立ちよる。ここは何度か訪れている。30分程休憩、長野には15時前着いた。高瀬渓谷が見事な紅葉で先ずは良い旅行だった。