後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

松代の古樹めぐり

2010年11月23日 | 近隣の史跡・名勝巡り

13日、2010まつしろイヤー実行委員会主催の「松代の古樹めぐり」に行って来た。参加者100人を超す大勢が集まった。主催者は多くて100人と予想しており、パンフレットが不足し、急遽取り寄せ巡回の途中で配布したようだ。6班に分かれコースを回った。

コースは「真田邸のエノキ・シラカシ~象山神社のイロハカエデ~恵明寺のアンズ~中村神社のスギ~栗林家のアカマツ~赤塚家のカヤ~大英寺のシダレヤナギ~矢沢家のヒムロ~殿町のメタセコイアの並木」である。

特記すべき古樹(今回の説明資料より)
  松代は江戸時代より庭木として果木を盛んに植えたと伝えられている。武家屋敷の庭など観賞の庭として造られたのではなく、
  人が生活する庭として利用し現在その古木が生き残っている。

*中村神社内の杉;平成15年善光寺御開帳の回向柱を寄進し、切株がのこっている。次に寄進する候補の杉もある。
 推定樹齢300年トいわれている。
 
*栗林家のアカマツ;家の門、造作の際、真田藩から贈られた苗を育てたともいわれる。推定樹齢300年、幹回り3m、樹高11m、
 主枝が東南8mに伸び、支柱で支えられている。

*赤塚家の八房カヤ;舞鶴山山麓にあるカヤの巨木、指定樹齢600年とも1、000年ともいわれ、幹回り5.7m樹高19m 長野
 市の天然記念物。通常1~2個の種子が8個着果することから,「八房カヤ」といわれる。雌雄異株でこのカヤは雌株で、10m
 程離れたところに雄株もある。

*メタセコイアの並木
 メタセコイア(和名アケボノスギ)は地質時代の第三世紀(およそ100万~600万年前)に栄えた裸子植物で絶滅 したと考えら
 れていたが、1945年中国の四川省の奥地で自生している樹が発見された。そのため「生きている化石」として世界中の話題に
 なり1949年国と皇室がそれぞれメタセコイアの挿し木と種子を譲り受け、各地に植えられている。

 
        
     象山神社のイロハカエデ                       象 山 神 社 の モ ミ ジ

          
           栗林家の赤松                       栗林家赤松の遠景(家屋と比較、大きさが解る)

           
      赤塚家の八房カヤ                         赤塚家の八房カヤ前景

                      
         メタセコイア並木                       中村神社のスギ


松代武家屋敷のお庭

2010年11月19日 | 旅行

7日「NPO法人 夢空間松代のまちと心を育てる会」主催の「城下町松代武家屋敷・10周年秋のお庭拝見」に行ってみた。
200人程の大勢が参加していた。6班3グループに分かれ3ルート(逆回りがあるので実際のルートは2ルート)て、主催の説明員(地元のボランテア)に案内して頂いた。

歩きながら案内員の面白い説明があった。
*真田家家紋六紋銭を普通は「ろく紋銭」と読んでいるが松代では「むつ紋銭」と読んでいる。
*町名を「OOまち」と読む町名は、藩主が真田家以前の場合の読み方で、真田家に変わってからの新しい町は「OOちょう」と
  呼ぶ用になった。
ということだそうだ。はじめて聞く話であった。

廻ったルートは竹山町・有楽町コースで、竹山町は野中家・象山神社・恩田家・酒井家・小谷家・山寺常山邸、有楽町(うら町)と読む)は田中家・中沢昭彦家。その他、代官町の井上家・青木家・島田家と木町の五明家である。最後に旧樋口家住宅で終わった。

松代の武家屋敷の庭園で珍しいのは、松代の西側を流れる神田川の上流から取り入れた水を庭園の池に引きこみ、次の屋敷の庭園の池に流し、次々へと引き渡していく事だ。最近では開発で水路がつぶれたか、枯れた池や、地下水を汲み上げて池を保っている庭園がある。それにしても開発や世代交代で屋敷が狭くなったにもかかわらず、昔の面影を残した庭園が多く残っている。

  
        松代城址のもみじ                       中沢家の鶴をかたどった「どうだんつつじ」

           
 恩田家の庭園         恩田家の庭園       小谷家の庭園      井上家の庭園      島田家の庭園


新聞記事から

2010年11月06日 | 戯言
11月1日の信濃毎日新聞朝刊、掘田力氏の月曜評論「政治家をどう選ぶか」を読んで、胸のつかえが下りた思いがした。マニュフェストが実行出来ないばかりでなく、金のバラマキ・事業仕訳・政治主導・有言実行など、票目当てのパフォーマンスとしか思えない。今の政権政党ばかりでは無い、以前の政党しかりである。政策を見て投票する政党・政治家を選びたいのだが、何とも選びようがない。ではどうするかと常々思っていた処、今回の「月曜評論」である。

要約すると次のようである

個々の政治家はどんな政策を持っているかは、まず解らない。そこでかっては政党によるおおまかな政策による選択だった。そこで何を基準に選ぶか、政策が解らず選ぶとなると候補者の価値観で選ぶしかない。価値観を区分する基準として「自助」「共助」「公助」というのはどうだろう。

「自助」路線は小泉純一郎氏一派で。アメリカの共和党が元祖で、小さな政府、「官から民へ」、あなたの責任で自由にやりなさいという路線である。

「共助」路線はかってなかったといってよい。この路線を明確したのは鳩山由紀夫氏で、「新しい公共」とは共助の事をいう。この路線はまだ熟していないが新しい政治家にはこの傾向を見せる人も少なくない。

「公助」路線は、税金で救済使用というもので次の三つに分けられる。

*旧保守派は、保護して発展した企業から吸い上げた税金を地方や弱小企業に提供し(公助)、発展を図ろうというも 
  のである。

*旧革新派は企業が吸い上げた税金を経済的弱者に提供し(公助)、平等を目指そうというものである。

*ここへ来て、新しい「公助}路線の1派が現れた。新公助派は、育児とか農業など、支援したい一定の層を選んでそ
  の全員に税金を提供するというものである。

ただ、自助、共助、公助の一つに純化する政策はありえず、人により重点の置き方や三者の混合比率が違うに過ぎない。政治家を選ぶ時は、自分の生き方あるいは考え方に似た重点の置き方や混合比率の人を選ぶ方法があるだろう。

以上が掘田力氏の評論である。来年は衆議院議員の選挙もあることなので同感した。評論を参考に一票を投じたいものであるが、果たして候補者が、どのような考えか判断出来るか甚だ疑問ではある。
書き終わって投稿しようと思っていたやさき、今日(11月3日)の朝刊の1面(斜面というコラム欄)に子供手当について、思いもよらぬ事が書いてあった。

要約すると
子供手当1万5千円が自動養護施設に暮らす子供にも対象(当初は対象外であった)にはなったが、実際は以下。
*良好や買い物に使った分を後日精算する。
*本年度中に使うこと、残金は返還する。
*貯金はまかりならぬ。
という国の通知である施設側は困惑する。「本当は積み立てて上げたい。子供にお金が必要になるのは施設を出て自立する時だ。高校までの貯金が多いほど助かる。」手当の増額のまえに、施設で暮らす子供にもきちんと支給されることを法に明記すべきだ。

今まで、こども手当はすべての子供が対象とばかり思っていた。これを読んで唖然とした。今の政治・政策はどうなっているのだろう、次期選挙には、どの党を、誰を、どう選ぶか難しい。