東京に嫁いでいる娘2人・妻と4人で、6月7~8日1泊2日のバスツアーで東北の世界遺産平泉中尊寺・金色堂と日本百景の名勝猊鼻渓に行って来た。4年前から4人で年1回1泊の温泉泊まりの旅行をすことになり今年は4回目である。今までは電車・マイカーでの旅だったが今年は旅行会社のツアーを利用した。東北方面えは乗車時間が北陸道回りでも北関東自動車道回りでもおよそ6時間、休憩・昼食時間合計2時間見て平泉までは8時間かかる。長時間の乗車は堪えるが我慢することにした。娘2人は前日帰郷翌朝一緒に出発した。
コース日程
1日目
長野東口6時20分――長野ICーー 上信越・北陸・磐越・東北(途中SAで昼食)――平泉前沢IC――中尊寺参拝――
花巻温泉ホテル紅葉館泊まり
2日目
花巻温泉8時30分――えさし藤原の郷ーー猊鼻渓船下り・昼食ーー東北自動車道1の関ICーー磐越・北陸・上信越自動車道ーーー
長野IC――‐長野駅東口21時頃
飯田・松本方面の乗客を乗せたバスに長野IC付近の「おぎのや長野支店駐車場」で乗車途中小布施・豊田で乗客を乗せ総勢36名で北陸道回りで平泉に向かった。途中東北道安達太郎SAで昼食、15時平泉中尊寺に到着した。中尊寺・金色堂を参拝、1時間半程境内を散策花巻温泉に向い5時半ホテルに到着した。
*中尊寺
今回のお目当ては金色堂である。金色に輝く金色堂は見事である。
中善寺へは拾数年前世界遺産に登録される以前に訪れたが、全く変わっていなかった。
「 中尊寺は天台宗東北大本山の寺院。奥州三十三観音番外札所。山号は関山(かんざん)、本尊は阿弥陀如来。
円仁が開山したといわれているが、実質的な開基は藤原清衡だという。
奥州藤原氏三代ゆかりの寺として著名であり、平安時代の美術、工芸、建築の粋を集めた金色堂を始め、多くの文化財がある。
境内は「中尊寺境内」として国の特別史跡に指定されている。2011年(平成23年)6月26日、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・
庭園 及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された。
中尊寺金色堂は、中尊寺境内にあって平安時代後期建立の仏堂である。奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもの
で、当代の技術を集めたものとして国宝に指定されている。金色堂は、方三間(正面、側面共に柱間が3間)、平面の1辺が5.5メートル
の小型の仏堂である。堂は、1965年建設の鉄筋コンクリート造の覆堂(おおいどう、さやどう)内にあり、ガラスケーれているという 。」
(Wikipedia百科事典より)
中尊寺発行の「中尊寺を歩く」より転写(転写了承を得てある)
金色堂新覆堂 中尊寺本堂
金色堂旧覆堂
*花巻温泉ばら園
ホテルの目の前にある「ばら園」6時開園で長女と散策した。次女と妻は疲れもあり止めた。
かって宮澤賢治が設計した南斜花壇の跡地に1958年着工、2年後の1960年に開園したもので、広さ約5,000坪の敷地内に約450種
6,000株をこえるバラがあるという。また園内には「ホット花巻」をはじ め花巻温泉創立80周年を記念として認定された「花巻おとめ
80」など全5種類のオリジナル品種があるそうだが、確認する余裕はなかった。
宮澤賢治が設計した日時計花壇や、賢治がかつて南斜花壇を造るにあたり、詠ったという「冗語」の碑もあった。
ホテルの前にあるバラ園の案内図 バラ園入口の正面
園内各種バラと下右端宮沢賢治設計の日時計(奥の白い柱)
バラ園内の噴水
*えさし藤原の郷
花巻温泉から45分強、花巻と平泉の中間にある歴史公園である。
平成5年7月4日、開園。同年に放送されたNHK大河ドラマ第32作・『炎立つ(ほむらたつ)』の撮影の為に作られた大規模オープンセット
で、撮影終了後も存続できるような歴史公園として整備されたそうだ。奥州藤原氏の祖先である藤原経清と、都市平泉を拓いた奥州藤原氏
初代・清衡が居住した豊田館跡付近に造られたという。多くのドラマ撮影の舞台となっていることから「みちのくのハリウッド」との異名を
持ち、平安建築群が再現されたテーマパークとしては日本唯一だそうだ。さほど見ごたえのある施設でもなかったが多くの俳優の色紙や手形
が飾ってあった。映画・TVドラマ好きの方には好まれそうな施設だ。平日だからか閑散としていた。
政庁 伽羅御所
ロケ資料館 「秀吉の黄金の茶室」 「出演俳優の手形」
*猊鼻渓
砂鉄川(北上川の支流)の渓谷で岩手県で最初(1923年10月8日)に、国の名勝に指定された。全長2キロメートルで、高さ50メートルを
超える石灰岩の岸壁が連続、至る所に奇岩や流れ落ちる滝が点在し、付近と同様に鍾乳洞も見られるという。名称の由来は峡谷出口近くに
位置する、侵食された鍾乳石が獅子の鼻に似ていることから名付けられたそうだ(猊とは獅子のこと)。両岸の名の付いた岸壁を見ながら
手漕ぎ船で往復、船頭はかわいい女性だった。両岸は紅葉の他、藤の名所でもあるそうだ。帰りは船頭が謡う猊鼻追分を堪能しながらの舟下
りだった。なお同市内の西部、磐井川(北上川の支流)沿いには名称が類似した厳美渓という景勝地がある。こちらも国の名勝及び天然記念
物に指定されており、以前平泉を訪れた際ここにも訪れ、岸からの展望が素晴らしかった記憶がある。
女性船頭が漕ぐ船下り 猊 鼻 渓
舟くだりの終点から10分程度歩いて渡った50m前後の「げいび橋」を渡った
中洲(小さい島)から見た対岸の岩壁。
下の写真は左の写真の左奥にあった看板で、地元の説明員が岩の説明をしていたが、
残念ながら聞き漏らし獅子ヶ鼻・大猊鼻岩・潜龍潭・仙帯岩が何れの岩か解らない。
潜龍潭 せんりゅうたん
大猊鼻渓岩の真下が砂鉄川の流れによって浸食され、どのくらい深いか誰も知ったもの
がいない。常に青々とした水が渦を巻き、龍門ノ瀧を登った鯉が立身出世の機を達成し
た龍となり潜んでいる淵と言われている。
猊巌翁が命名した十五勝の一つである。
「猊鼻岩下経碧潭幾百尋なるを知らず
蛟龍の蟄せるかを疑はしむ」
舟下りを満喫したあと乗船場付近の食堂で昼食午後1時半帰途につき、途中北陸道米山SAで夕食を摂り9時半長野に到着した。
長旅であったが、中尊寺世界遺産登録後初めての参詣・日本百景の「猊鼻渓」の舟下りも満喫出来た旅だった。