後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

東京・鎌倉

2013年06月15日 | 神社・仏閣巡り

6月5日東京に嫁いだ娘2人が、今年1月の誕生日で喜寿をむ迎えた母のお祝いをしたいというの出掛けた。東京は4~5年振りだと思うが東京駅が昔の駅舎に復元されて初めてだ。娘姉妹は東京なので時々会っているようだが、親子揃うのは1年振り位になるだろうか。姉の方の連れ合いと妹の子供(孫)と6人んで会食した。長女の亭主も酒好きで、次女の子供も24歳の女子だが、祖父に似たか酒が好きなようだ。シャンパンで乾杯の後、酒好きの3人で清酒4合瓶2本空にした。

5日東京駅に9時40分に着いて、予約してあった「はとバス」で靖国神社・国会議事堂を回った。靖国神社参詣は5~6拾年ぶりで、国会議事堂は初めてである。今回の見学コースは衆議院だった。修学旅行の学生の等見学者が多かったが、要所要所に衛士がおって誘導し、思いの他スムースに見学出来た。、有名な赤い絨毯は毎年少しずつ張り替えているそうで、新しい絨毯の所は厚みの感触が伝わった。両院の真ん中の正面玄関からの通路は案内人の説明によると、入り口から天皇の控室までは直線の廊下で、影が出来ないよう照明は廊下の両側に上向き設置されていた。

              
            新装なった東京駅の正面                                    東京駅丸の内南口

             
             靖国神社本殿                      近代日本陸軍の創設者で靖国神社の創建に尽力した大村益次郎
                                            の銅像で、明治26年(1893)、日本最初の西洋式銅像として建造。
                                             
                              
          ホテル28階からの東京タワー          国会議事堂 左-衆議院 右-参議院 (中は撮影禁止)               

6日は折角の機会だったので20年ぶりに鎌倉を訪れた。鎌倉駅近くの寿福寺と尼寺の英勝寺を回ったが、英勝寺は定休日で参詣出来なかった。期待していた綺麗な庭園のある英勝寺が参観出来ないのは残念だった。

*寿福寺
   本尊は釈迦如来、寺号は詳しくは寿福金剛禅寺。  鎌倉五山の第三位で境内は公開されておらず参観出来ない。
   高浜虚子、大仏次郎の墓がある。
                                                                                       

  左は寿福寺山門     

   境内裏手の墓地には 陸奥宗光高浜虚子大佛次郎などの墓があり、
   
さらにその奥のやぐら(鎌倉地方特有の横穴式墓所)には、北条政子と
   源実朝の墓と
伝わる五輪塔がある。

        
    北条政子の五輪塔      源実朝の五輪塔

   
寿福寺を参詣後、鎌倉駅前のにぎやかなショッピング街小町通りを散策昼食する。午後は鎌倉駅前13時発の江の電観光バスに乗る。

  コース  鎌倉駅───建長寺───鶴岡八満宮───鎌倉宮───長谷観音寺───長谷大仏─── 鎌倉駅

予定では16時鎌倉駅着の予定が中学生の修学旅行シーズンで道路が大渋滞1時間遅れの17時に鎌倉駅に着いた。
修学旅行シーズンの旅行は止めた方が良いかも。

*建長寺
   臨済宗建長寺派の大本山で本尊は地蔵菩薩である。山号は巨福山(こふくさん)寺号は建長興国禅寺で鎌倉五山の第一位。
   境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。

                  
               建 長 寺 山 門                            本尊 地 蔵 菩 薩

*鶴岡八幡宮
 
 三大八幡宮一社に入るといわれており全国の八幡宮の中では有名である。祭神は応仁神天皇・比売神・神功皇后で
  相模国一宮 旧国幣中社である。

  

  鎌倉八幡宮とも呼ばれる。鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの神社として全国の
   八幡社の中では知名度が高く、境内は国の史跡
指定されている。

  参道を通らず脇から入ったので、この写真は本殿からの参道である。

 

 

 

*鎌倉宮
   明治2年2月、明治天皇護良親王を祀る神社の造営を命じた。6月14日に鎌倉宮の社号が下賜され、7月に東光寺跡
   の現在地に社殿が造営された。祭神である護良親王は、足利尊氏との対立により足利方に捕えられて東光寺に幽閉され、
   尊氏の
弟の直義の命で、家来である淵辺義博(ふちべのよしひろ)によって殺められたという。
   本殿の後方にある土手の穴が、親王がおよそ9か月間幽閉されていた土牢であるという古伝承がある。
   案内の宮司は誠にユニュークな方で、
駄洒落を交え笑いに包まれる中で解り安く説明され印象深かった。、

*長谷観音 
   寺号は海光山慈照院といい、一般に長谷観音と言われている。本尊は十一面観音。坂東33観音霊場4番札所である。
   
空海(弘法大師)が刻んだという伝承をもつ弁才天像(宝物館に収蔵)を祀る弁天堂がある。このためかこの寺院の御朱印は
   弘法大師である。他に厄除阿弥陀・大黒天・十一面大悲殿の3種類の御朱印があった。
   十一面観音像は、観音霊場として有名な奈良長谷寺の十一面観音像と同木から造られたという。  

             
                長谷観音本堂                                   裏山の紫陽花

*長谷大仏
   
「鎌倉大仏」「長谷の大仏」として知られる阿弥陀如来像(国宝)は大異山高徳院清浄泉寺の本尊である。
    境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定されている。

  
 像高約11.39メートル(台座を含め高さ13.35メートル)。重量約121トン   
 真言ないし天台系の信仰に基づく阿弥陀像であるという。
 
材質は通常「銅造」とされているが、正確には青銅(銅、錫、鉛等の合金)だそう
 だ。


信濃三十三番札所めぐりー2回目

2013年06月03日 | 神社・仏閣巡り

今回は2回目の信濃33番札所めぐりである。回る札所は中信・南信と長野市である。信濃33寺は南信が少ない。東北信に集中している。今回で中南信はすべて回った事になる。コースは以下の通り。

  長野駅東口7:00───27番牛伏寺(松本市、内田)───22番仲仙寺(伊那市、西箕輪)───24番阿弥陀寺(諏訪市、上諏訪唐沢)
   ─── 昼食(上諏訪、野沢工房)───21番常光寺(長野市、篠の井岡田)───12番無常院(長野市、小市)───8番西明寺(長野市、
   小田切)───長野駅東口18:00

牛伏寺・仲仙寺は以前長生会(日詰老人クラブ)の旅行で行った事があって、今回訪ねて思い出した。

*27番牛伏寺 真言宗智山派 本尊十一面観世音菩薩 愛称うしぶせ観音
  10万坪余りの敷地を持つ信濃三十三番札所中最大規模の厄除け霊場だそうだ。国の重要文化財を8体有する文化財の宝庫として
  も知られている。寺名については、からもたらされた大般若経600巻を善光寺へ奉納する途中、経典を運んでいた2頭のが倒 
  れたれたことから「牛伏寺」の名がついたという。なお、参道途中に建つ牛堂には2頭の
牛が祀られている。
  
       
     十一面観世音菩薩の前立本尊                     大悲閣 前立本尊が安置されているお堂
  本尊は国の重要文化財に指定されて建立された保存堂に保管されている。

       
      牛伏寺本堂前の庭園                                 参   道

*22番仲仙寺 天台宗 本尊十一面観世音菩薩  愛称羽広観音
  馬の守護仏として名高く、馬を引き連れて参拝する風習が戦前まで続いたそうで堂内には馬絵が沢山ある。
  子供達が卒業記念に描いて納めた千匹馬の額が飾られていた。

        
            仲 仙 寺 本 堂                     小学生が卒業記念に奉納した合作の千匹絵馬

       
  馬は絶対人を踏まないことから交通安全の寺で有名            参道脇の深紅の楓

*24番阿弥陀寺  浄土宗 本尊 十一面観世音菩薩 愛称岩屋観音
   諏訪市上諏訪から二葉高校の脇通って霧ヶ峰牧場方面に向かうと、阿弥陀寺の参道入口に着く。ここから急な坂道の参道で、 
   三十三番札所の中で小諸の布引観音に次ぐ難所である。本堂の左手上にそそり立つ岸壁の中程にある懸崖造りの建物が岩屋堂で
   十一面観世音菩薩像が安置されており、子授けのご利益があると信じられているという。
   本堂は長野善光寺大本願野本堂であった「旧本誓殿」を平成八年に解体移設し、当山の本堂にしたという。善光寺大本願のお上人様が修
   行していたお堂を移築したということで大屋根には菊のご紋が輝いている。

      
            本    堂  「本 誓 殿」                   観音堂への参道から見える諏訪湖

          
            参道の途中にあった鐘堂                        観音堂  十一面観世音菩薩   

*21番常光寺 十一面観世音菩薩  愛称 岡田観音
    寺院は無く、リンゴ畑の一面に小さい観音堂だけが建っていた。安置されている十一面観世音菩薩像は伊那の常円寺にあった
    のが塩尻の常光寺に移され、廃物希釈の際古美術商の手に渡り 、岡沢彦治郎氏が古美術商を説得し買い戻したという。
    しばらく自宅に安置した後に、観音堂を建立し、以前の寺名「常光寺」を冠して21番札所を復活させたという。 道路が狭くバスが入らず
    大分歩いた。          

  
        
            常 光 寺 観 音 堂                          ご  詠  歌

*12番無常院 浄土宗 本尊 馬頭観世音菩薩 愛称 子育観音中見堂
   
  善光寺と同じ「立葵」を寺紋とし、古くから善光寺7院のひとつに数えられてきた由緒ある寺院である。秘仏である銅製鋳造の本尊も
  「善光寺仏」と呼ばれる一光三尊の阿弥陀如来像で、善光寺の前立本尊より古い鎌倉時代中期の作と推定され、長野市の 文化財
  に指定されている。秘仏で公開されていない。
  
 境内の中身堂大悲殿は、今回の12番札所でご本尊の三面八臂の馬頭観世音菩薩で「赤子の夜泣き鎮め」、「受験合格」、「無病息災」
 「家内安全」など、悲願成就の観音さまとして多くの皆さまから親しまれ信仰されているという。

          
       馬頭観世音菩薩が安置されている中見堂                     馬頭観世音菩薩

           
                 無常院本堂 本尊  一光三尊阿弥陀如来                 山      門

*8番西明寺 浄土宗  本尊千手観世音菩薩 愛称 吉窪観音
   寺名は北条時頼が出家して名乗った「西明寺入道」にちなんだものという。西明寺本堂は無く千手観世音菩薩が安置されいる観音堂が
   あるだけだ。観音堂は村人のよりどころと親しまれているそうだ。

         
           西明寺 観音堂                                 千手観世音菩薩