11月26~27日1泊2日オークツアー(アルピコ トラベル)で表題の寺院の他、南禅寺・霊鑑寺・勸修寺・を参詣した。
順路
長野駅―――名神高速大津SA「昼食」ーーー南禅寺―――金戒光明寺ーーー霊鑑寺ーーーホテル杉長 宿泊
ホテルーーー実相院ーーー勸修寺ーーー醍醐寺ーーー 京都東IC付近飲食店で昼食ーーー 名神・中央・長野道ーーー長野駅
紅葉が思ったより鮮やかでなく少々残念だった。添乗員の話によると温かい秋で寒暖の差が少なかった為ではないか、このまま紅葉も終わ
り散ってしまうだろうという。紅葉シーズンとあってか多数の観光客で、道路も目的地に近ずくと渋滞、バスガイドによれば駐車場が満杯
で、途中から歩く事になることも覚悟した方がよいとのこと。
*南禅寺 正式名;瑞龍山 太平興国南禅禅寺 宗派;臨済宗南禅寺派 本尊;釈迦如来
日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式
をもつ寺院だそうだ。時間帯が良かったか山門の横に駐車出来幸いだった。
山門の列柱 山門楼上からの法堂
山門楼上から京都市内 山門楼上からの南禅寺塔頭天授庵「淵黙庭」が美しいと言う
山門楼上からの眺めは歌舞伎狂言「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」で、大盗賊石川五右衛門が南禅寺の山門の上から満開の桜をめて
言うせりふ「絶景かな絶景かな」で名高い。
とらの子渡しの庭 如心庭;白砂と石組で造られた枯山水庭園
境内にある琵琶湖疎水の赤レンガ作りの水道橋 南禅寺塔頭 南禅院の「池泉回遊式」庭園
南禅院の庭園の他、天授院の「渕黙庭」・金地院の「鶴亀の庭」が綺麗だと言うが時間がなく回れなかった。
*金戒光明寺 山号;紫雲山 宗派;浄土宗 本尊;阿弥陀如来 別称;黒谷、白河禅房 法然上人二十五霊跡 第二十四番
札所;洛陽三十三所観音霊場 第六番
通称寺名をくろ谷さん、知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の大本山の1つで、初めは念仏道場として利用されていたという。
特別公開;御影堂・大方丈・庭園(「紫雲の庭」と見事な紅葉の回遊式庭園)、伝運慶作・文殊菩薩像、
吉備観音像(重文)、伊藤若冲筆「群鶏図」屏風、虎の襖絵
山門(天井画「蟠龍図」)
期間 平成27年11月1日(土)~12月 6日(日)
この特別公開もツアーの目玉だが、下調べ不足で説明員人がいないので物足りなかった。
駐車場は無く一般道路で下車坂道を5分ほど歩く。
御影堂「大殿」法然上人の御影(坐像)がある 三重の塔(重要文化財)
山 門 紫雲の庭
紫雲の庭 方丈庭園と唐門の勅試門
*霊鑑寺 山号;円成山 宗派;臨済宗南禅寺 本尊;如意輪観音 寺格;尼門跡寺院 別称;谷御所・鹿ヶ谷比丘尼御所
鹿ヶ谷の哲学の道沿いにある寺院で明治維新まで、5人の皇女が住職を務めた。御所人形・貝あわせ・香炉等皇室ゆかりの寺宝が
多く残ってお、日光椿など多くの名椿の花の名所出あり紅葉の名所だという。
普段は閉ざされているが今回は秋の特別公開で参詣出来た。説明員がいて良かった。
霊鑑寺入口左が参道 霊鑑寺入口門
霊鑑寺本堂奥に如意輪観音が見える 如意輪観音像写真
霊 鑑 寺 庭 園
*実相院 宗派;天台宗寺門派 本尊;不動明王 寺格;門跡寺院 別称;岩倉門跡・岩倉御殿
実相院は天台宗の寺門派(天台宗には山門派と寺門派の2派)の単立寺院で本尊は熊倉時代に造られた木造立像の不動明王。昔から岩倉門
跡・ 岩倉御殿と呼ばれているのは門跡寺院だからだそうだ。門跡寺院は住職が天皇家の血を引く方で格式の高い寺院で、代々皇室から支援
を受けており室町時代から江戸時代にかけては寺門派では数少ない門跡寺院の随い一とされている。
庭園は裏山を背にした池泉式庭園と表の石庭園あっては全く趣を異にしているという。
其の2つを結ぶ通路のかえでが室内の滝の間の床板に映りこむ様子が「床もみじ」「床みどり」と呼ばれている。床もみじは好天時、床みどり
曇天時に綺麗に写るり込むといわれている。今回は曇りで紅葉も色好きが悪く綺麗に見えなかった。写真厳禁なので実相院床もみじで検索す
れば綺麗な床もみじが見られる。
実相院正面の門「四脚門」 実相院玄関
山 水 庭 園
←石庭
*勸修寺 山号;亀甲山 宗派;真言宗山階派 寺格;大本山 本尊;千手観音 別称;山階門跡 札所;真言宗十八本山10番
寺では「かじゅうじ」を正式の呼称としている。一方、山科区内に存在する「勧修寺○○町」という地名の「勧修寺」の読み方
は「かんしゅうじ」である。1872年10月30日(明治5年9月28日)から1881年(明治14年)6月にかけて勧修寺内の一部が勧修
小学校として使用されていたという。
真言宗山階派の大本山。皇室との関係の深い格式のある門跡寺院で、山門にいたる参道の両側は、白壁の築地塀が続く。
書院の前庭には、水戸光圀より寄進されたと伝わる石灯籠があり、「勧修寺型灯篭」として知られている。
宸 殿 本 堂
水戸黄門より寄進されたと言われる石灯篭 観 音 堂
庭 園
← 勸修寺への沿道にあった皇帝 ダリア(添乗員の話による)
初めて見聞きする花である。
成長すると3~4mにもなる事から皇帝と名付けられた。 別名:木立ダリア
(Wikipediaは百科辞典より)
*醍醐寺 山号;醍醐山(深雪山とも) 宗派;真言宗醍醐派 本尊;薬師如来
京都府京都市伏見区醍醐東大路町にあり、開基(創立者)は理源大師聖宝である。古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。
伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院である。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地
としても知られている。(wikipedeaより)
醍醐寺は笠鳥山全体が寺域で山上を神醍醐、山麓を下醍醐と言い醍醐といえば霜醍醐を差している。上醍醐までは約1里の登り坂だ
そうだ。今回は塔頭の三法院の特別公開が目当てであるので下醍醐には行かない。
○三宝院
京都市 伏見区 醍醐にある。真言宗醍醐派総本山醍醐寺の塔頭、大本山、門跡寺院である。また、真言宗系の修験道当山派を統括す
る本山であった(現在は修験道当山派なる宗教法人はない)。三宝院門は、醍醐寺座を兼ね、真言宗醍醐派管長の猊座にある。
(wikipedeaより)
今回重要文化財の 純浄観・奥宸殿・本堂 が特別公開されていた。
名勝の醍醐寺三宝院庭園は表書院から拝観できたが、素人目にも目を見張る景観だった。秀吉の作庭になると伝えられ、築造には
賢庭(作庭家)の名も伝えられているという。すべて写真厳禁でパンフレットやPCで見るより仕方が無い。
三宝院は永久3年(1115)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建され、醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊でだそう
だ。現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されている。中でも庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える桃山時代を
代表する建造物であり、国宝に指定されている。
国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、慶長3年(1598)、豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭であり、
今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えているという。
三宝院入口 三宝院大玄関
三宝院唐門 醍醐寺 西大門
西大門からの参道(紅葉無し) 金 堂
観 音 堂 庭園 無量寿苑
弁 天 堂 五重塔「日本三名塔(三大五重塔)」の一つ
三宝院は下調べをしていなかったので特別公開・特別史跡・名勝庭園もおろそかになった。庭園は表書院から拝観出来そうなので、
機会があったら又訪れたいところだ。