後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

清水寺の紅葉

2018年11月21日 | 近隣の史跡・名勝巡り

11月14日(水)新聞に清水寺(長野市若穂保科)の紅葉が見頃という記事があった。清水寺は ぼたん寺 でも有名で20年程前見に行ったことがあったが、
紅葉の時期は記憶が無いので見に行った。

「保科のお観音さん」あるいは「ぼたんのお寺」として親しまれている清水寺は真言宗智山派に属し、天平14(742)年の発祥。大正5年の大火に見舞われたが、坂上田村麻呂が納めた日本最古といわれる「鉄鍬形」、両界曼陀羅図や聖観音菩薩立像などの重要文化財が保存されている。また、信濃三十三番札所のひとつ、十六番札所でもある。11月20日前後には、境内を100本以上のオオサカズキモミジが真っ赤に飾る。(長野市観光ネットより)

清水寺(せいすいじ)は、長野県長野市若穂保科にある真言宗智山派山号は阿弥陀山。信濃三十三番札所の十六番札所で、
木造聖観音立像(平安時代末期、寄木造)などの重要文化財(国指定)多数あるという。
今回は紅葉が目当てなので、重文は拝観しなかった(公開されていないようだった)。

噂にたがわず見事な紅葉だった。紅葉の中の
参道を通り更にあまり整備されていない急な坂の参道(3~400m程度か)を登りつめると観音堂があった。
観音堂は清水寺 観音堂で、朱塗りの 鉄筋コンクリート造で昭和47(1972)年 再建されたものだそうだ。
地元では保科観音として親しまれている。朱色の舞台造りの観音堂が美しい。本尊は木造千手観音坐像であるという。

                               
         清水寺入口                         清水寺本堂                         観音堂への参道 

        
                                  参    道    の    紅    葉

        
                                         観   音   堂

        
     駐車場からの観音堂(左側が正面)        観音堂から参道方面(中央から直下に参道が伸びている)           参道(上から)

 


飯綱町花めぐりと「善光寺分身仏」拝観

2015年04月29日 | 近隣の史跡・名勝巡り

4月25日飯綱町観光課主催の「花巡り」と「善光寺分身仏」拝観のバスツアーに行って来た。参加者23名牟礼駅10時観光課職員の案内で出発。
最初に「いいずな歴史ふれあい館」に行く。

*「いいずな歴史ふれあい館」
  館の学芸員の説明で飯田市の元善光寺の他に、飯綱町に善光寺が長野に建立される前の一時期、町内芋川に「元善光寺」があったという伝説
  があるという。
  今年の長野善光寺御開帳を機会に「芋川の元善光寺伝説」を紹介する健翁寺所蔵善光寺分身仏特別公開特別展を企画したそうだ。
  富峰山健翁寺所蔵の「木造善光寺如来像(善光寺分身仏)増高40.5cm光背台座を含め総高91cmの他、数々の飯綱町指定有形文化財等が
  展示されていた。ふれあい館のパンフレットには伝説の概要や展示品が紹介されている。

*花めぐり
  次に案内されたのは県道37号線長野信濃線坂中トンネル飯綱側出口にある地蔵久保のオオヤマザクラと、そこから東に2~3Km離れた袖之山
  のシダレザクラだ。共に長野県天然記念物である。丁度満開だったが袖之山シダレザクラはすこし色褪せていた。

       
       地蔵久保のオオヤマザクラ                         袖之山のシダレザクラ
    樹高20mにもなる巨木、紅の濃い鮮やかな桜。            樹齢300年以上と伝えられる巨木の桜、枝振りが見事。

*昼食
  昼近くになり町営のアップルミュウジアムで、地元の主婦の作った箱膳の昼食を摂る。

 

            

 ←箱膳;戦前昭和の初期田舎で使用した食器と同じだ。畳の間で座って食する場合は、
    箱の上に蓋を置いても高さがあうが、テーブルの場合は高くなるので箱をかたずけ 
    て食事をした。
    

昼食後、長谷寺・願法寺と回った。

* 玉林山観音院長谷寺 宗派;浄土宗 本尊;木造阿弥陀三尊像 
  普通は「はせてら」というが、この寺は「ちょうこくじ」というのだそうだ。住職が善光寺分身仏の由来を説明してくれた。

          
             長谷寺 回向柱                              本堂で善光寺分身仏の住職の説明   

        
            長谷寺 山門                                    長谷寺の善光寺分身仏

*枕石山願法寺 宗派;浄土宗 
  壇家が十数軒で寺の運営が大変だそうだ。

        
          願 法 寺                                   願法寺の本尊

*健翁寺
   善光寺分身仏や、その他の寺宝が「ふれあい館」に展示されているので、寺院には回らなかった。

*三寺の善光寺分身仏
   今回のツアーのパンフレットよりコッピーしました。

     
    

予定通り願法寺参詣後牟礼駅に直行14時過ぎ到着解散となった。

参考;「健翁寺安置霊仏略縁記」が伝える元善光寺伝説のあらまし(「いいずな歴史ふれあい館」パンフレットより要約)
   欽明天皇13年日本に仏教をもたらした最初の仏像(善光寺如来)は、信濃国伊那郡麻績の人本田善光によって麻績に運ばれ(これが飯田市
   の元善光寺)41年間そこにあった。その後お告げにより善光は如来を水内郡「芋井郷」へ移した。善光は如来とともに芋川にいたのは27年
   間である。この間に善光の息子善佐が急死した。閽磨大王の裁きで地獄へ落とされそうになっていた善佐は、両親の祈りと如来の働きかけ
   によって蘇生を許され、同じく地獄へ落とされそうになっていた皇極天皇ともども蘇生した。喜んだ皇極天皇は如来を崇拝し、やがて長野
   の地に伽藍を建設した。これが現在の善光寺である。如来のいた芋川の地に浄泉院が建てられ山崩れで埋没、土中から掘り出された銅仏観
   世音を本尊として浄泉院を再建。真言宗から天台宗にかわり、そのご延宝元年健翁寺と改め曹洞宗寺院となった。


 

 


松代の古樹めぐり

2010年11月23日 | 近隣の史跡・名勝巡り

13日、2010まつしろイヤー実行委員会主催の「松代の古樹めぐり」に行って来た。参加者100人を超す大勢が集まった。主催者は多くて100人と予想しており、パンフレットが不足し、急遽取り寄せ巡回の途中で配布したようだ。6班に分かれコースを回った。

コースは「真田邸のエノキ・シラカシ~象山神社のイロハカエデ~恵明寺のアンズ~中村神社のスギ~栗林家のアカマツ~赤塚家のカヤ~大英寺のシダレヤナギ~矢沢家のヒムロ~殿町のメタセコイアの並木」である。

特記すべき古樹(今回の説明資料より)
  松代は江戸時代より庭木として果木を盛んに植えたと伝えられている。武家屋敷の庭など観賞の庭として造られたのではなく、
  人が生活する庭として利用し現在その古木が生き残っている。

*中村神社内の杉;平成15年善光寺御開帳の回向柱を寄進し、切株がのこっている。次に寄進する候補の杉もある。
 推定樹齢300年トいわれている。
 
*栗林家のアカマツ;家の門、造作の際、真田藩から贈られた苗を育てたともいわれる。推定樹齢300年、幹回り3m、樹高11m、
 主枝が東南8mに伸び、支柱で支えられている。

*赤塚家の八房カヤ;舞鶴山山麓にあるカヤの巨木、指定樹齢600年とも1、000年ともいわれ、幹回り5.7m樹高19m 長野
 市の天然記念物。通常1~2個の種子が8個着果することから,「八房カヤ」といわれる。雌雄異株でこのカヤは雌株で、10m
 程離れたところに雄株もある。

*メタセコイアの並木
 メタセコイア(和名アケボノスギ)は地質時代の第三世紀(およそ100万~600万年前)に栄えた裸子植物で絶滅 したと考えら
 れていたが、1945年中国の四川省の奥地で自生している樹が発見された。そのため「生きている化石」として世界中の話題に
 なり1949年国と皇室がそれぞれメタセコイアの挿し木と種子を譲り受け、各地に植えられている。

 
        
     象山神社のイロハカエデ                       象 山 神 社 の モ ミ ジ

          
           栗林家の赤松                       栗林家赤松の遠景(家屋と比較、大きさが解る)

           
      赤塚家の八房カヤ                         赤塚家の八房カヤ前景

                      
         メタセコイア並木                       中村神社のスギ