2月24日~25日東海道由比宿場と広重美術館&日本平久能山東照宮と三保の松原へ1泊2日の旅を満喫した。
時々利用している長野トラベルの企画で、長野駅のから中央東線大月駅までJRの「いろどり号」というグリーン車と、小グループ用のコンパーメントな車両・カラオケなどの多目的室のある車両などで6両編成の電車である。
大月駅からは地元の富士急行のバスで回った。
24日 長野8:01「いろどり号」―――11:49大月―――中央ハイウェー・富士五湖道路―――御殿場 (昼食)――― 東名ハイウェ―――
由比(広重美術館・宿場街)―――東名ハイウエー―――17:00焼津黒潮温泉(サンピア松風閣)
25日 ホテル8:30―――日本平久能山東照宮参拝・昼食12:10―――三保の松原―――東名ハイウェ―――御殿場―富士五湖道路・中央ハイウェ
―――大月16:03「いろどり号」―――21:01長野
いろどり号 いろどり号車内 富士急行バス
*由比宿・広重美術館
由比宿 (ゆいしゅく、ゆいじゅく)は、東海道五十三次の16番目の宿場で、現在の静岡県静岡市清水区にある。
本陣跡が整備され、由比本陣公園となっている。広重美術館は由比宿本陣公園内に建っており、歌川広重の名のついた
日本で最初の美術館だという。
美術館パンフレットによると歌川広重(1796~1858)は15歳で歌川豊広に入門37歳の頃「東海道5拾三次之内」を発刊、
その後も東海道や江戸の風景の浮世絵版画制作。晩年「名所江戸百景」を製作中、病に倒れ62歳の生涯を閉じたとある。
東海道53次の風景など多彩な版画などが展示されている。版画の製作過程も実物が展示されているほか版画刷りの
体験出来る設備もあった。
館内展示品
☺「東海道」(隸書東海道)55点
表題の字体が装飾的な隸書体で書かれているので通称「隸書東海道」と呼ばれている。
☺「東海道五十三次之内」(行書東海道)56点
表題の字体が行書体で書かれているため、通称「行書東海道」と呼ばれている。
☺ 徳川家および東海道に関する品々
家康つながりの史跡から徳川家ゆかりの貴重な品々と、かっての東海道の様子を伝える文化財。
広重美術館入口 奥が美術館 美術館内庭園
由比本陣公園・広重美術館入口 油井本陣公園広場
← 正雪紺屋
要旨;表に蔀戸を残すこの紺屋(染物屋)は、江戸時代初期より四百年
近く続くといわれ、屋内には土間に埋められた藍瓶等の染物用具や、天井に吊られた用心籠は火事
等の時に貴重品を運び出すもので、昔の紺屋の様子を偲ぶことができる。慶安事件で有名な由比正
雪は、この紺屋の生まれといわれているところから、正雪紺屋の屋号がつけられている。
平成六年三月 由比町教育委員会
←脇本陣温飩屋
要旨;脇本陣とは、副本陣と言う意味です。由比宿には脇本陣交代
でつとめた家が三間ありました。その内江戸時代後期から幕末に至るまでつ、このとめた
のが温飩屋です。東海道宿村大概帳(天保十二年、1481、幕府編集)に、脇本陣壱軒、
凡そ建坪九十坪、門構え、玄関付とあるのがここだと思われます。
平成八年三月 由比町教育委員会
←由比宿場の町並
*日本平・久能山東照宮
日本平は、静岡市の駿河湾沿いにある有度山標高307m山頂の平坦地が日本平(国指定名勝)である。急崖を隔てた南の部分は久能山(国
指定史跡)と呼ばれここに東照宮がある。日本平の名称は、日本武尊(やまとたけるのみこと)伝説に由来するという。日本平からは、
富士山や伊豆半島が駿河湾越しに見える絶景の筈だが、生憎の曇り空で展望がかなわなかった。
久能山東照宮は武田信玄が山上に建造した久能城の後に建立したものだそうだ。東照宮は徳川家康を祀る神社だが、ここには家康を葬った
墓もあった。ちなみに日光東照宮はここから魂を移し作られたという。
桜 門 唐 門
拝 殿 奥に本殿がある 家康公の手形;案内にによると本物だそうで、私と同じ大きさだった。
家康公の墓 日本平のテレビ塔
*三保の松原
三保の松原(みほのまつばら)は、静岡県静岡市清水区の三保半島にある。日本新三景、日本三大松原のひとつとされ、国の名勝に指定さ
れている。また、ユネスコの世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産に登録されている。日本三景「松島・天の橋立・
安芸の宮島」昔から有名だったが、日本新三景は日本三景に倣って1915年(大正4年)全国投票で選定されたという。
☆日本新三景
☹大沼(ポロトー) ;北海道亀田郡七飯町にある堰止湖・北海道駒ヶ岳が借景
☹三保の松原;静岡県静岡市清水区にある砂嘴・富士山および伊豆半島が借景
☹耶馬渓 -大分県中津市にある渓谷
☆二本三大松原
☹静岡県静岡市清水区の三保の松原
☹福井県敦賀市の気比の松原
☹佐賀県唐津市の虹の松原
海岸への松並木 海岸の松原
国指定名勝 三保の松原 新三景の碑