後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

善光寺花回廊

2019年05月05日 | イベント・祭り

善光寺花回廊 ながの花フェスタ2019

今年も善光寺のお膝元で、花キャンバスやタペストリーガーデンをメインイベントとした花の祭典が開催された。

会場は中央通り(新田町・問御所町~西後町・東後町~大門町) ごん堂広場、ながの東急前、長野駅駅前広場で
主催は 善光寺花回廊実行委員会 〒380-0845長野市西後町1580 長喜園2F(長野市中央通り活性化連絡協議会)である。

写真は中央通り会場。

               

        

     
      トイーゴ広場の音楽祭               中央通の「善光寺よさこい」

 

 


太極拳フェステバル

2018年09月27日 | イベント・祭り

9月23日第31回長野県日中友好「武術太極拳フェステバル」がビッグハットで開催された。
主催は「NPO法人長野県武術太極拳連盟」で8;50開会式9;05参加者による集団演技(24式太極拳)以降9;20からか、出演団体の演武が始まった。

以前から住居地域の芹田公民館成人学校「太極拳」講座を受講しており、その先生の各地の教室(芹田・古里・飯山)が、「長野太極拳の会」という団体で毎年参加している。
午前9;30第3番目に太極拳24太極拳で演武した。所用があり演武終了後帰宅する。午後の部に参加の為再度ビッグハットに行く。14;09から32式太極剣・入門太極拳を
演武する。その後終了まで見学、15時過ぎ閉会式があり、フェステバルが終了した。

      
          開 会 式                               参加者全員による演武(24式太極拳)

            
    コスチュウムと扇のコントラストが綺麗                 なかなか見られない伝統楊式太極拳 28式                         閉 会 式                                                                    
         

 


長野びんずる祭

2018年08月10日 | イベント・祭り

びんずる祭は長野で毎年8月の第一週の週末に行われる市民参加型の祭りで,今年は第38回である。別名を「長野市民祭」と言う。

Wikipediaには次ののように解説している。
 『長野には江戸時代に日本三大祇園祭として全国的に有名だった御祭礼弥栄神社御祭礼)があったが、戦争により中止され、終戦後に復活したものの以前ほどの賑わいには
   ならなかった。そのため、御祭礼を盛り立てる前夜祭として、1959年企業や商店の広告パレードが企画された。パレードが8年間続いた後、1967年に「火と水と音楽と若者
   たち」という若者向けのイベントが開催され、さらにそれを見直す形で1971年に「長野市民祭」長野びんずるが誕生した。
「びんずる」とは、長野市のシンボルである
  
善光寺に祀られている「おびんずるさん」にちなんだ名称である。 長野では、「おびんずるさん」にさわることで病気やけががよくなるという言い伝えもある』
  
善光寺に祀らている「おびんずるさん」とは、善光寺外陣に祀られている木像「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」のことである。

長野に勤務していた1981年と1,982年勤務先の連で参加した。当時は主に長野市や周辺の企業・団体などの連が主なものだった
。小中学校の子供連も当時はなかったような
気がするが記憶が定かでない。

長野びんずる祭実行委員会のHPに「新正調びんずる踊り」の解説が載っていることから、当時のびんずる踊
は今と違ったのだろう。
勤務先連で参加した時は60度位前かがみで踊ったような気がする。
実行員会のHPのイベント情報によれば 、前夜祭から始まり12のイベントがあるというが、
この猛暑の中とても見物など出来ない。当日午後のイベントに「子供みこし」が企画されていたが、熱中症対策で中止となった。

20i7年第37回は、全226連、約11,300人が踊ったとあり、県下最大級の夏祭りである松本ぼんぼんの4割程度の規模にあたるとあった。
さて今年の参加連はどの程度だったろうか、まだ公表されていない。

        
           開会式灯篭点火の儀式                                            本部前の提灯と灯籠

 

        
           子  供  連                                                 企     業     連


ながの灯明まつり

2018年02月12日 | イベント・祭り

2月9日長野灯明まつりを見に行く、昨年も見に行ったが記憶が薄れている。長野灯明まつりは1998年の長野オリンピック開催を記念し、2004年から始まった祭りだそうだ。今年は第十五回を迎えることになる。「ゆめ常夜灯」は善光寺が五輪カラーにちなみ五色でライトアップされ、「ゆめ灯り絵展」は善光寺表参道に企業や小学校の作品が展示されている。長野駅東口広場にも昨年14回「ゆめ灯り絵展大賞」を受賞した「長坂みず穂女史」の作品・千曲市在住の切り絵師 「風間由香里女史」の作品・ 長野市在住の切り絵作家「柳沢京子女史」の作品が展示されていた。

        
           仁 王 門                                  三  門                                鐘  楼

*5色の善光寺

        

      

 

        
              経  蔵                                         白色光でライトアップされた「濡れ仏」と六地蔵

      
      表参道の ゆめ灯り絵展                   長野駅東口広場の「ゆめ灯り絵」左からの 長坂みずほ穂女史の[四季折々」・
                                         風間由香里女史の「コスモス」・柳沢京子女史の「自身・雷・加持・おやじ」      

 

 

 


談山神社と室生寺旅行 其の一

2017年12月09日 | イベント・祭り

11月30~12月1日オークツアの旅行(1泊2日)に行って来た。参加者は1人での参加は私が1人、夫婦・家族連れや女性2~4人のグループで合計49名であった。

  日程
  1日目: 長野駅東口ーーー途中名神高速草津SAで昼食――春日公園(東大寺・2月堂)ーーー唐招提寺ーーーホテル
  2日目: ホテルーーー談山神社ーーー室生寺ーーー名阪国道(国道25号)・道の駅「針テラス」で昼食ーーー長野駅東口21:00

20年程前、春日公園界隈や室生寺は訪れたことがあるが、記憶は薄れており談山神社は初めてなので参加した。談山神社は紅葉で有名だが今回は既に終わりに近く色も褪せておりi残念だった。10日ほど遅かったようだ。

◎東大寺
  東大寺には 大仏殿法華堂二月堂戒壇堂があるが、駐車場で待っていた専門の案内人が大仏殿と2月堂を案内してくれた。

  *大仏殿

    正式には東大寺金堂というが、「大仏殿」の名で広く知られ、東大寺の公式ホームページでも主に「大仏殿」が使用されている。創建から2度に
    わたって焼失、
鎌倉と江戸時代に再建された。江戸期には柱とする材が調達できず、芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱と
    した。そのため、創建時に11間
(86m)あったが7間(57m)となった。それぞれの再建された大仏殿の模型も展示されていた。
              現在の建物は1709年(宝永6年)に落慶したもので、
現在でも世界最大級の木造建築であるという。日本の国宝に指定されている。
              
              
安置されている大仏は正式には「盧舎那仏坐像」で「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている

   
  
      
         南 大 門
                                 中 門                        大 仏 殿

                

             
       左脇侍 虚空蔵菩薩                     盧舎那仏坐像               右脇侍 如意輪観音  

   大仏の大き
       座高:14.98m 顔縦:5.3m 手のひら:1.48m 広げている右手:2.56m  蓮華座高:3.04~3.05m


  *展示されていた焼失後再建された大仏殿の模型

                            
                     大仏殿鎌倉期再建時模型(平成16年)         大仏殿江戸期再建時模型(平成14年)
   それぞれ奈良少年刑務所の受刑者が精魂込めて実物の約1/50の大きさに再現したもので全国矯正展で法務大臣賞を受賞したもので、
   所内総合訓練施設木造建築科・
木材工芸科の訓練生30名が製作したものだと説明文にあった。 

  *2月堂  
    旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われることからこの名がある。二月堂は平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)の2回の
    戦火には焼け残ったが、寛文7年(1667年)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。本尊は大観音(おお
    かんのん)、小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも何人も見ることを許されない絶対秘仏である。
    建物は2005年12月、国宝に指定された。    

             
       二月堂への参道                      二 月 堂                          閼 伽 井 屋  

    重要文化財 閼伽井屋 鎌倉時代初期 
  
 この
閼伽井屋は、修二会に際し毎年3月12日(13日午前1時過ぎ)この屋内にある井戸より
 本尊十一面観音菩薩にお供えする御香水(閼伽
水)を汲む儀式を行うところである。
 天平勝宝四年(752)実忠和尚が二月堂で初めて修二会をおこない諸神を勧請し際、若狭の国の
 遠敦
明神が献じたものであるところ「若狭井」とも呼ばれる。
 現在の建物は、13世紀初期に再建されたものであろう。

 

  

  *2月堂参道脇には東塔跡あり、東塔が復元されるそうだ。大仏殿への参道脇には鏡池がった。

         
      鏡池越しの中門と大仏殿             鏡   池                2月堂参道脇の東塔跡          

 ◎唐招提寺
  
唐招提寺(とうしょうだいじ)は、奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院で、南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊廬舎那仏
  開基(創立者)は鑑真である。、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財がある。

        
                             大門より金堂を望む                    金  堂        

         
          
講 堂                     鼓楼(舎利殿)

  鼓楼:金堂・講堂の中間の東側に建つ、2階建ての建築物で、名称は「鼓楼」だが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、
 「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれている。

        
     開山御廟                 開山堂                 鑑真大和上御身代わり像
 

 鑑真大和上御身代わり像:開山堂は元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立され、その後明治14年(1881)に鑑真大和上の尊像を安置するため
             現在の位置へ移築された。国宝の和上像が御影堂へ移されたのち、覚盛上人・聖武天皇・徳川家康を安置した本願殿として
             参拝されていたが、この度、御堂の老朽化をうけて改修工事を行い、鑑真大和上円寂から1250年になる平成25(2013)、
             大和上のお姿を写した「御身代わり像(おみがわりぞう)」がつくられ、再び開山堂として落慶した。

   注
     1.東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、
                     実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始され
た。以来、平成24年(2012)には1261回を数える。
                    修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか」と言う。十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、
      二月堂の本尊である
十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)することを意味する。(東大寺HPによる)

     2.2日目の談山神社と室生寺は 其の二に譲る。

 

  


大矢田紅葉谷と横蔵寺の紅葉

2017年11月27日 | イベント・祭り

11月17日ちょこTripの「大矢田紅葉谷と横蔵寺の紅葉」の日帰りツアーに行って来た。6時40分長野駅東口ユメリア駐車場を出発、11時半大矢田神社駐車場に着いた。

大矢田神社一帯の楓谷は、約3000本のヤマモミジの原生林があり、樹齢1000年以上の古木もあるという。1930年(昭和5年)、指定名称楓谷のヤマモミジ樹林として国の天然記念物に指定されている。また2004(平成16年)飛騨・美濃紅葉三十三選の一つに指定されている。普通紅葉は山頂から徐々に麓に降りてくるが、此処の紅葉は麓が先に色ずき、だんだんに紅葉が山頂二登っていくという。神社の裏に回って見ると、山は未だ緑であった。添乗員の説明によると神社裏山は日当たりが良く、麓の神社界隈は日当たりが悪く気温が山より低いので先に紅葉するのだという。

大矢田神社はウィキペデアによれば本殿は江戸時代初期の1672年寛文12年)、拝殿は1671年(寛文11年)再建であり、ともに重要文化財に指定されている。また、楼門1723年享保8年)再建であり、美濃市指定文化財である。

  
大矢田神社   *主祭神;県建速須佐之男命、天若日子命  *社格;豪奢    *本殿の様式;三間社流造り

        
           楼   門                               大矢田神社拝殿                           
 大矢田神社本殿                                                                           

☆大矢田の紅葉

        

        

☆横蔵寺紅葉
  大矢田からバスで約1時間横蔵寺に到着する。

 *横蔵寺(よこくらじ)
   岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原にある天台宗寺院。山号は両界山、本尊は薬師如来。西美濃三十三霊場第一番札所。
   
伝教大使(最澄)が自作の薬師如来を祀ったことでも知られており、延暦20年に創建された。如来像をはじめとし、22体の国の重要文化財が安置され、その他にも
   多くの仏像や絵画、書籍を蔵しており、「美濃の正倉院」とも呼ばれているという。紅葉の名所でもあり秋のシーズンには特に多くの参拝客が訪れる。

         
           横蔵寺本堂                                観音堂                             五重塔

   
 ← 瑠璃殿(宝物殿):国の重要文化財に指定されている仏像など22件のうち、秘仏とされ、60年に一回しか開帳されない
    本尊の『木像薬師如来』と、他に21件が安置されている。中に入ると、金剛力士像、その隣から十二神将がズラリと
    並び、大日如来など様々、部屋の中、三方に、重要文化財が並んでいた。横蔵寺最古の仏像の『木像大日如来像』は、
    寿永2(1183)年の銘があり、三重塔の本尊として作られたことが明らかになっているそうです。
 



 

 

 

 ← 瑠璃殿(宝物殿)入口横にある案内版  
 以下横蔵寺発行の絵葉書より
 
                         
 御本尊薬師如来(重文) 大日如来(重文)  深沙大将(重文)  曼荼羅立像    金剛力士立像
                      

 


 ← 舎利堂:「入定妙心法師の舎利仏(ミイラ」が安置されている。
    妙心法師は天明元年(1781)横蔵生まれ。長野善光寺で妙心の号を得る。富士行者として富士山にこもり修行、
    生食を断ち、蕎麦粉と清水を食す。富士山の北東にある御正体山に登り、断食三十一日にして入定を果たしたという。
    入定年は文化十二年(1815)と文化十四年(1817)の両説がある。
    妙心法師のミイラは、入定後御正体山の上人堂に安置されていたが、明治維新後の廃仏毀釈により、山から下ろされ
    見世物になっていたが、その後山梨県庁、
甲府病院が引き取っていまる。甲府病院の医学資料となっていた時、
    明治天皇もご覧になったことがあるという。横蔵時の住職や遺族らの要望により、明治23年(1890年)に出身地
    近くの「横蔵寺」に移されたということです。                    
    生きたまま仏になるために地中に自ら入ることを〝入定〟と言うそうです。
   

*横蔵寺境内の紅葉と苔      

       

              

               
  

 

 

 

 

 

 

 


長盛会旅行湯田中温泉

2017年11月03日 | イベント・祭り

日詰長盛会(日詰区の老人クラブ)の秋季旅行で10月30~31日1泊2日湯田中温泉へ行って来た。当初参加予定者は31名だったが、欠席者があって参加者26名だった。長盛会の会員は129名だが、何時も30~35名の参加で今回は少し少なかった。長盛会の旅行は春・秋2回で費用も限られるので、旅行先の選定には会長始め幹事の方々は頭を悩ませているところである。

  今回の日程  
     30日:日詰13:00------志賀高原熊の湯散策------湯田中温泉ホテル
     31日:ホテル9:00------(宗)大悲殿「世界平和大観音」------梅翁寺・湯気けぶり地蔵尊-------ホテルで昼食------中山晋平記念館-------日詰帰着    

13時ホテルの送迎バスが迎えに来て、湯田中温泉を通過、志賀高原に向かうが車窓から志賀高原方向の山々を見るに、うっすら雪化粧している。途中雪が降り始め、志賀高原丸池では本降りとなった。紅葉を期待して計画したようだが1~2週間遅かった。熊の湯迄行く予定を変更、丸池から引き返し湯田中の今晩の宿に16時前に到着した。

18時から宴会・夕食、カラオケで盛り上がるが、歌い手が少なく早めの散会となった。

翌30日(宗)大悲殿世界平和大観音・梅翁寺・湯気けぶり地蔵尊を参詣、ホテルへ引き返し昼食を摂り12時半出発、中野市の中山晋平記念館を見学する。
記念館見学後帰途に着く。

 *世界平和大観音

                         
         世界平和大観音                        大  悲  殿                                     大悲殿本尊

            
        大 悲 殿 本 尊            本尊前にある平和の灯(広島平和記念公園の平和の灯から)     世界平和大観音の原型像(本尊の隣に安置)

        
    平和大観音像のから見た境内(中央鐘楼・右大悲殿)               梅  翁  寺                         湯けぶり地蔵尊(通称ぴんしゃん地蔵)
 

  慈救山 梅翁寺(曹洞宗)
  梅翁寺は、寛保中(1741~1743)僧実源により県立された古刹です。湯田中温泉は、俳人「小林一茶」ゆかりの地として
  しられていますが、一茶が、湯治に訪れた際に詠まれた句2「雪散るや 湧き捨ててある 湯のけぶり」にもあるように、
  古くから、こんこんと湧き出る温泉卿として有名です。また、延宝六年(1678)松代藩士、真田幸道公の母君が境内の
  湯口から湧き出る温泉を樽につめ、松代まで八里の道を運ばせたという記録が残されている名湯です。

 びんしゃん 「湯けぶり地蔵尊」
  梅翁寺境内には今も当時からの源湯があり福々と湯が湧いていますが、前庭の一隅に身の丈三尺三寸(1m)ほどの足湯に
  つかるお地蔵様がいらっしゃいます。お地蔵様の肩や腰などを湯に浸した白布でさすることで、温泉の持つ効用が伝わって
  ピンピン・シャンシャンになれるという言い伝えのある、かわいらしいお顔の霊験あらたかな延命地蔵菩薩です。

*中山晋平記念館
       
                              中 山 晋 平 記 念 館                                        中山晋平之像

  中山晋平之像
  中山晋平は、明治20年3月22日長野県下高井郡日野村(現在中野市)新野に生まれ、幼少にして父に死別し、苦労の中で
  勉強に励み、16歳で小学校の代用教員となったが、18才で上京、島村抱月の書生として師事しながら東京音楽学校(現在
  東京芸術大学)を卒業した。大正3年弱冠27歳で作曲したカチューシャの唄をはじめ船頭小唄、シャボン玉等、歌謡、
  新民謡、童謡の多くの分野の名曲を世にに出し日本の大衆音楽の基礎を築き、昭和27年日12月30日65才で永眠した。
  この像は生誕百年を記念し県立したものであり、この記念館を訪れる人々に温かい心と潤いを与えるとともに、偉大な
  作曲家中山晋平を郷土之誇りとして顕彰するものである。
    1987年 6月
                            中野ライオンズクラブ
                               中野市長  土屋武則 撰書


 


太極拳フェステバル

2017年09月28日 | イベント・祭り

9月24日「 第30回長野県日中友好武術太極拳フェステバル」がビッグハットで開催された。
長野市芹田公民館成人学校太極拳講座を受講しており、先生が主宰している「長野太極拳の会」の会員でもある。今年も同じ先生が主宰している「飯山太極拳」と合同で参加した。芹田成人学校の生徒は15人であるが,それぞれの都合もあって今回の参加者は12人である。演目は午前太極拳剣、午後24式太極拳の2回の演武である。

参加団体は長野県各地から23団体であった。8時半集合、8時40分開会式が開催され9時20分最初の演武が始まった。途中11時45分頃から特別演武「第34回(2017)全日本武術太極拳選手権大会長野県代表選手による演武」(総勢14組)と「太極拳段位取得者による簡化24式太極拳演武」(総勢46名)があった。
15時30分頃最後の演武が終わり閉会式があって散会となった。

          
                        開 会 式                                           参 加 者 全 員 に よ る 集 団 演 武

        
                                       M  I  C ジュニアによる演武(子供の演武は可愛い)                              選手権大会長野県代表選手選手による演武  


           
        代表選手演武左側                            代表選手演武中央                             代表選手演武右側

       
                          段 位 取 得 者 に よ る 演 武                  

     
                                 閉   会   式


長野びんずる祭

2017年08月09日 | イベント・祭り
8月5日(土)恒例の長野びんずる祭りが16時30分から21時まで開催され見に行って来た。会場は長野市街中心部「中央通り北・中央通り南・昭和通り・長野大通り」4か所参加連は凡そ260連程のようだ。実行委員会事務局のHPによれば、長野びんずる祭の歴史は第一回が昭和46年に始まり第15回は地附山の地滑り災害が発生し、多くの犠牲者がでたため中止し今回は47回だそうだ。びんずる祭には前夜祭と当日の昼の部があるとあった。前夜祭は「権堂お囃子保存会によるお囃子演舞・子供たちによるダンスパホーマンス・ 一般公募による浴衣の女王コンテスト」のイベントがあって、当日の昼の部は、「市内各町の子供神輿・伝統工芸体験イベント・長野夏祭り音頭・防災イベント」などがあるという。

前夜祭・当日の昼の部は、興味があるわけでもないし、当日の昼の部は気温30度ほどもある真夏の炎天下の中ではなおさら見に行く気にはなれず、夜のびんずる踊りを見に行っただけだった。現役時代勤務先の連で参加した記憶がある。多分昭和56(11回)・57年(12回)だったと思う。当時は前傾姿勢で腰を落として踊ったので足腰が痛く(日頃の運動不足)大変だった
思いがあり、今の踊とは一寸違う感じがする。子供連は何時から始まったか子供の踊は可愛いものである。 

夜の部には他に「善光寺石畳に門前の灯を設置、善光寺御本堂までの道しるべとし、びんずる祭りとは対照的で幽玄な世界を演出する門前の灯」と、びんずる踊りエリア内に
信州神輿保存会善睦による萬燈神輿などのイベントも開催されている。善光寺石畳の門前の灯へは疲れるので見に行かなかった。

その昔新潟に住んでいた当時の思い出に、8月始めの新潟祭の「民謡流し」がある。検索すると現在も盛大におこなわれている。駅前から万代橋を渡たり征谷小路まで、市のメイン通りを
各団体がそれぞれお揃いの浴衣で「佐渡おけさ・新潟甚句」を踊るのだが、整然と見事な踊で、踊って楽しく(職場の団体で参加した)見て楽しい民謡流しであった。
伝統のある民謡の踊と、時代に即した長野びんずるの踊と、比較すべきものではないが、新潟の民謡流しの思い出もあってか長野びんずるの踊は後期高齢者の私にはなじめない感じである。
 


        

        

 


昼神温泉・花桃の里

2017年05月10日 | イベント・祭り

GWの終わりの6日、日帰りのバスツアーで長野県下伊那郡阿智村の花桃を見に行って来た。GWで東京ん嫁いでいる娘2人も帰郷しており4人ツアーに申し込んでおいた。7時10分長野駅を
出発参加者19にだった。天気予報は午後には雨になそうで気がかりだ。花桃の開花情報によると昼神や清内路方面R256沿いの花桃街道は満開が過ぎ、散っているようだが、園原方面の
花桃の里は未だ咲いているようだった。高速中央道飯田山本ICを降り一般道を阿智村へ向かい、昼神温泉を左手に過ぎ、花桃の里花桃祭の会場横の駐車場に到着、降りた途端小雨が降り出したがすぐに止みほっとした。花桃祭の会場に入ると付近の満開の花桃が目に入った。会場は賑わい混雑していた。
付近を2時間程散策する。赤・ピンク・白の花桃が満開で綺麗で見ごたえがあった。

         

        

        
    

 花桃を満喫し昼神温泉「湯本ホテル 阿智川」へ向かい12時前到着、ゆっくり昼食を摂り入浴する。ホテルに綺麗な庭園があった

         
                         湯 本 ホ テ ル 阿 智 川 の 庭 園                                      ホテルの洞窟温泉(左が洞窟入口)

 
        洞窟温泉にあった「昼神温泉の由来」(右上の写真の右手)
  昼神郷湯の瀬の洞(現在地)には昔から旅人や近郷の里人で賑わうひなびた湯屋があり戦国時代には武田信玄の隠し湯もあったと
 伝えられていたが、明治20年代梅雨明けの豪雨による大崩落のため湯屋も埋没忘れ去られていました。ところが、昭和48年JR中津川線
 トンネル工事のための地質調査のボーリングの際、偶然にも温泉が湧出し再び昼神温泉として蘇えりました。その記念すべき湯元が、
 当館露天風呂上の洞窟内にあり170米奥からナトリウム硫黄泉がとうとうと湧出し、尽きることがありません。昼神温泉は色白の肌、
 美人作りの湯として、神経痛・リュウマチ・糖尿病等諸疾患に大変能く効く名泉として定評があります。県下随一の露天風呂、洞窟風呂に
 ゆっくり浸り、庭園からの湯の洞山に続く大自然を眺め、野趣溢れる温泉情緒を存分に満喫下さいませ。

 

昼食入浴後14時昼神温泉を出発16時過ぎ長野駅ユメリア駐車場に帰った。雨模様の天気予報も外れ、幸いにも「花もも」も満開でよい旅だった。