後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

雑感

2013年08月21日 | 戯言

今年の夏は全く暑い、もっとも夏ばかりではない、今年は冬から気候が変だった。猛暑の続く8月旧盆中、通っているカルチャーはすべてお休み。
9日から17日まで何もない。例年だと嫁いだ娘が帰省するが今年は誰も来ない。物置になっている子供部屋だった2階の部屋の整理・庭の手入れ・外の物置の整理などやりたいことは沢山あるが、この暑さではやる気になれない。休養も良いのだが10日も何もすることがないとさすがに退屈だ。

お恥ずかしいことに文芸作品などの読書は苦手だが、この期会に多少の知識を得ようと本屋へ行き、新聞広告で見た 枡野俊明著「怒らない禅の作法」・宇多川啓介著「日本人が知らない新聞の真実」・橋詰大三郎著「世界は宗教で動いている」・竹田恒秦著「日本人はなぜ日本のことを知らないのか」の4冊も買いこんだ。

「怒らない禅の作法」は年と共に怒りっぽくなった対処方法のため、また「日本人はなぜ日本人を知らないのか」は、著者の竹田氏がTV番組「たかじんのそこまで言って委員会」のレギュラーでしかも皇室出身の憲法学者で、発言がユニークなので読んでみることにした。「日本人のしらない新聞の真実」と「世界は宗教で動いている」は何となく面白そうだというだけだ。

お盆の期間も終わってみれば、苦手な読書は中途半端に終わった。昔からの積ん読主義のためか情けない。

その中の1冊「日本人の知らない新聞の事実」では、国民から信頼されないメディア・閉鎖的な記者クラブ・偏向報道・印象操作・等々、知らなかった出来ごとなどを沢山例示して論評されており面白く読んだ。筆者は国会新聞社の編集次長で、国会内に国会新聞社があることも初めて知った。

例えば偏向報道・印象操作について次の様な事例が記されていた。
  
  *「田中角栄=金権政治」・「自民党=公共工事」というレッテル貼りは報道メディアによる「印象操作」。
    *宇野宗佑首相の神楽坂芸者との情事の週刊誌に暴かれ時の「女性の敵」であるかのごときの報道、其のさなか参議院議員選挙で
    惨敗・辞職(69日間の短命内閣)、「指3本で女性の敵が総理を辞めた」などの扇動的な見出しをつけて報じた。
  *椿事件と言われている偏向報道により自民党が「55年体制」以降初めて下野、細川護煕を頭に据えた日本新党連立内閣が成立した
    こと。
  *自民党総裁選挙の当日安部晋三が高級カツカレーを食べたことが豪華すぎ、「庶民感覚がないから高級なカツカレーを日常食のよう
    に食べる」と報道した。ところが同じ報道メディアが民主党内閣の時は鳩山首相がホテルオオクラの会員制のクラブで飲んでいても、
    管首相が高級焼肉店から最高級の弁当の出前を毎日とって自分だけ食べていても全く報道しなかった。いずれの件も報じるに値し
    ない話ではある。
  
    1部の記者たちは「事件を作る」手法で安部氏のことを書き、「報道しない自由」を使って鳩山・管首相のことを書かなかった。報道
    メディィアが政治不安の原因をつくり、政権交代を煽り、その結果を否定し、今後も反省することなく、また同じ報道を漫然と行ってい
    く。世間に蔓延している政治不信はすべて報道メデア発の物であり、「政治不信」という言葉自体を生み出したのも報道メディアであ
    る。「偏向報道を防ぐには」では、以下の様な発想を提示している。良いかどうか現実味があるかどうかはさておいて面白い発想もあ
    るものだ。偏向報道を起させない方法としては「偏向報道をおこなっている」ということを先に認め、宣言すればよい。「しんぶん赤旗」
    はいくら共産党に寄ったた報道をしても、誰も偏向報道しているとは言はない。偏向報道とは表面上は「公正・公平・中立」を標榜して
    いるにも関わらず実際の内容が「偏向」しているからだ。最初から「偏向している」と周知していれば偏向にならない。
  
政治不信ばかりでなく報道メディア不信が深まったた1冊だった。

  注;椿事件とは初めて知ったが、選挙報道で放送法違反を疑われたテレビ朝日の報道局長(当時)椿貞良の名からきている。平成5年の衆議院
    選挙後の民放放送番組調査会での選挙時の報道局の姿勢に関しての証言である。
    「今は自民党政権の存続を絶対に阻止、なんでも良いから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか。
    梶山静六と佐藤孝行は悪人面で国民受けが悪いから自民党のイメージを落とすため二人をなるべく多くテレビの画面に出した」
    


信濃三十三番札所めぐりー3回目続き

2013年08月06日 | 神社・仏閣巡り

*16番清水寺 真言宗智山派 本尊・千手観世音菩薩 愛称・保科観音
   長野市の東方、菅平高原・保科温泉に向かう保科の集落にあり、牡丹の寺で有名、戦前は2,000株もあったが戦争中野菜畑にされ戦後
   地元の協力で復活現在600株が育っている。境内の100本以上ある紅葉も綺麗だそうで今秋には行ってみたい。
   住職の説明では、聖武天皇の頃、僧行基が1本の桑の巨木から三体の千手観音像を造り、清水寺に1体、この後回る7番札所・桑台院
   と、11番札所・明真寺に安置したという。古くは幾つもの山門やお堂が並ぶ壮大な寺であったが、
大正5年の保科村の大火で全てが消
   失した。同14年に本堂だけ再建され、仁王門、三重塔、大日堂は未だに再建されておらず、観音堂は昭和50年に懸崖づくりの耐火構
   造に再建された。観音堂までは直線の急な参道が約1キロあるが、九十九折の車道が整備されており 、生憎のどしゃ降りの中だったが
   バスが観音堂まで行けたので幸いだった。

         
                            観 音 堂 内 千 手 観 音 菩 薩 

        
               清水寺本堂                                観音堂えの九十九折道路 

*十一番明真寺 真言宗  本尊千手観世音菩薩 愛称 清滝観音・養蚕観音
    僧行基が刻んだ3体の1体が本尊だが格子の中に安置されており拝観出来ない。
    松代の町から東方に4キロほどの皆神山の裾の菅間という小さな集落の外れにある。

      

  左は観音堂で阿弥陀堂は離れた所にある。
   奈良時代坂上田村麻呂が東国制覇の折、祈願所として堂を建立したいわれ、
  最盛期には36坊・7堂伽藍をそろえ、山岳信仰の一大霊場として栄えたと伝え
   られている。

   
   

 

 

*7番桑台院  真言宗 本尊千手観世音菩薩  愛称虫歌観音
   僧行基が刻んだ3体の1体が本尊で、住職の説明では像高およそ4m強奈良興福寺の立像が520cmでそれに次ぐ像高の立像ではな
   いかという。参拝は千住観世音菩薩の上半身だが住職の配慮で隣室から全身の菩薩立像が拝観出来た。
   「桑台院」という寺院名が養蚕との関わりうかがわせる通り、この地方では古くから養蚕が盛んで「むしおだの観音さん」または
   「むしうたの観音さん」と親しまれ、蚕を病害から守り、養蚕の隆盛を祈願する人々が熱心に参拝したという。

      

   左は桑台院 観音堂   

    

 

 

 

 

           
             千手観世音菩薩 立像上半身                  千手観世音菩薩 立像                               
  

  




 

 

  

 


信濃三十三番札所めぐりー3回目 

2013年08月05日 | 神社・仏閣巡り

信濃33札所めぐり3回目である。天気予報では15時頃から雨で残念ながら的中14時ごろから降り始めた。

今回のコース
     倉科・5番妙音寺───森・6番観竜寺───松代・4番風雲庵───番外・善光寺・大本願・徳行坊で昼食
        ───保科・16番清水寺───松代・11番明真寺───松代・7番桑台院
  
   長野駅東口7時に出発17時30分に東口に帰った。

*5番妙音寺 曹洞宗 本尊・十一面観世音菩薩 愛称・竹ノ尾観音
   京で仏師となった青年が、故郷の美しい恋人を忘れられずに、思いを込めて彫ったものを、征夷大将軍に託したと言う伝説がある。
   明治初年の廃仏稀釈後に再興され、一時は里の人々に竹ノ尾の観音さんと親しまれ賑わったそうですが、今は手入れも されておらず
   朽ちかけた農家の様な本堂に山号額が掛けられているだけだった。

        
             妙音寺参道                               朽ちかけた農家の様な本堂 

          
         本堂に掛けられた山号額                     本堂の中に安置されている 十一面観音菩薩 

*6番観竜寺 真言宗智山派 本尊・千手観世音菩薩 愛称・森の観音様
   開基は諸説不明、江戸時代に再建、戦後荒廃、尼僧さんが住んでいた時期もあったそうだが、昭和五十年代より住職がおらず地元の
   信徒が守りっている。あんずの里として知られる森の集落の高台にあり、「森のお観音さん」という愛称で親しまれて いる。
   地元の信徒世話役が扉をあけて説明、帰りに杏ジュースを土産にくれた。観音堂内陣に安置されている本尊などの仏像は撮影禁止、
   外陣には天井絵奉納額などあった。

            
               観竜寺参道                                観 音 堂                 

            
                           外 陣 の 天 井 絵 (この奥の内陣に仏像が安置されている)

*4番風雲庵 元黄檗宗 本尊・聖観世音菩薩  愛称・清野観音
  川中島合戦の戦勝を祈願する武田信玄が寄進して古寺を再建し、風雲庵の名称で深く信仰したと言われており、  廃仏毀釈で一時は
  廃寺になったが、信仰篤い近在の人々の尽力で復興し地域ぐるみで守り続けている。
  観音堂は開けられず観世音菩薩像は拝観出来なかった。     

         
           参道階段と観音堂                                 山号の額

*客番・善光寺
   善光寺は殆どの札所めぐりの結願寺となっている。地元でなじみのある善光寺は初詣でなどで毎年参詣しているが、今回徳行坊の
   案内で「戒壇めぐり」と忠霊殿にある善光寺の宝物と大本願の宝物を拝観した。「戒壇べぐり」は二度目だが両方の宝物を拝観するのは
   初めてだった。善光寺の本尊は上杉・武田の争いで甲府に安置されたこともあったが、宝物は長野・甲府・米沢・に分散されているそう
   だ。忠霊殿の宝物には数年前善光寺を訪問されたチベットの元元首チベット仏教の法王ダライ・ラマが寄進した曼荼羅は見事なもの
   だった。大本願の宝物での一室には、中央に前立本尊を模した一光三尊如来像、右に明治天皇の位牌、左に旧朝鮮王朝が寄進した
   白い仏像が安置されていた。天皇の位牌が寺院にあるのは考えらずここだけだそうだ。皇室に関係のある門跡の寺院でもないそうだ。

          
          今まで気がつかなかったが、境内の大香炉の左側にある親鸞聖人の銅像で、背景に聖人にゆかりの松が植えられている。
          本堂外陣の「親鸞聖人のお花松」は「びんずる尊者」の左側にある。