後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

日光東照宮&大谷資料館 その1(大谷資料館)

2018年10月19日 | 名勝旧跡巡り

10月30日 「ちょこTrip」 日帰りツアーで日光東照宮と大谷資料館へ行って来た。参加者31名(内男性6名)、単独参加者は私を含め5名であった。
3年前日光東照宮を訪れたが、残念ながら陽明門が修復中でシートで覆われていた。今年春に修復完成し見たいと思っていたところ、NHK「ブラタモリ#112宇都宮」で大谷資料館が放映され。各旅行会社が陽明門修復完成ツアーを企画されていた中で、「ちょこTrip」のツアーに両方を巡るツアーが企画されてので参加した。

   行程: 長野駅ユメリアパーク6:40---10:30大谷資料館11:30ーーー12:15日光(昼食)13:10東照宮15:30---
       19:40長野駅ユメリアパーク


両方とも観光客で賑わっており、日光東照宮は外国人観光客・小中学生の就学旅行で混雑、大矢資料館も同様観光客など大勢であった。NHK:「ブラタモリ#112宇都宮」の放映後観光客が増大したそうだ。
 
 注:「ブラタモリ#112宇都宮」9月22日放映 帝国ホテルや築地本願寺にも使われた大谷石。壮麗な石造りの教会の美!地下の採石場までも徹底探検!
   たまった水の中をゴムボートで突破。(ここは観光では入れない)

*大谷資料館(wikipediaによる)
   大谷資料館の地下採掘場跡は、1919年から1986年までの約70年をかけて、大谷石をほりだして出来た巨大な地下空間です。
  その広さ、2万平方メートル(140×150m)にもおよび、野球場が一つ入ってしまう大きさです。なお、抗内の平均気温は8℃前後で、地下の大きな
  冷蔵庫といった感じです。戦争中は地下の秘密工場として、戦後は政府米の貯蔵庫として利用されていました。戦後に、GHQがこれを発見した際には
  その規模に驚いたそうです。現在では、コンサート猿楽、映画会、観劇、美術展、ダンスパフォーマンス、セミナーなどの文化事業が開催されて
  いる。また映画テレビドラマテレビCMプロモーションビデオの撮影も行われている。

  また2014年には、人気アイドルグループでんぱ組が、採石場跡でロケ中に発電機の排気による一酸化炭素中毒になり、映画などの撮影が中断したと
  いうエピソードがある

  大谷石(おおやいし)は軽石凝灰岩で栃木県宇都宮市北西部の大谷町付近一帯で採掘される石材である。柔らかく加工がしやすいことから古くから
  外壁や土蔵などの建材として使用されてきた。
  
大谷町付近の大谷石の分布は、東西4km、南北6kmにわたる。2009年度時点採石場は12カ所、出荷量は年2万t程度、推定埋蔵量は約6億t。
  
軽くて軟らかいため加工しやすく、さらに 耐火性に優れている。このため住宅かまど、石防火壁門柱敷石・貼石など)、倉庫
  大きな建築物の石垣、斜面の土止め石(擁壁)といった幅広い用途を持つ。耐火性・蓄熱性の高さからパンピザを焼く窯や石釜の構造材としても
  用いられる

  
  
産地に近い宇都宮周辺では古くから、石蔵をはじめとした建築物の外壁、プラットホーム、石垣や階段、門柱に大谷石が盛んに利用されている。
  テレビ番組とのタイアップにより当初は宇都宮駅東口に設置された餃子像や、1932年に建設された宇都宮カトリック教会(通称:松が峰教会)も
  大谷石造である。
同じく地元にある下野国分寺宇都宮城などの築造にも古くから使われた。
  
  多孔質の独特な風合いが広く知られるようになったのは、アメリカの建築家フランク・ロイド・ライトが、帝国ホテル旧本館(東京)に
  用いてからである。

        
       大石資料館                     大石資料館前庭 正面と右側大谷石の採掘跡              地下の採掘跡            

        
                      地  下  採  掘  跡                                  採掘跡がステージとな
っている

         
                      地下にあった説明看板の一部                                   展示されていた假屋崎省吾の作品

       

 
 
大谷石の規格品:
  五六、五七、五八、五〇、三十、四十、六十、七十、八十、尺角があります。最初の数字が暑さを、
  後の数字が幅を表します。長さはすべて3尺(90cm)です。例えば、五十は暑さ5寸(15cm)幅1尺
 (30cm)です。


  上の写真の左から七十、六十、五十、四十、尺角、八十、七十、六十、五十、四十、五八、五七、五六、
  です。

 

                                                                                        

  


典厩寺の桜

2018年04月07日 | 名勝旧跡巡り

3日発行の ながのライフを楽しむ観光・イベント情報春号 「お出掛け通信ながの」に、典厩寺の桜が載っていた。長野の桜といえば城山公園・松代城跡・光林寺・素桜神社の神代桜・塩生の巡礼桜 は知っていたが、典厩寺の桜は今回のパンフレットで始めて知った。長野市の桜を検索してみたら、他にも 篠ノ井茶臼山の桜並木・大岡の天宗寺の合唱桜・鬼無里高橋のしだれ桜 と知らない桜の名勝があった。長野市に50年近く在住していながら、未だお訪れたことの無い桜の名勝があることに驚いた。

Wikipediaによれば典厩寺は「長野市篠ノ井杵淵にある曹洞宗寺院である。山号は松操山(しょうぞうさん)。川中島の戦いで討ち死にした武田信繁の墓がある。かつては瑠璃光山鶴巣寺と号して薬師如来を本尊としていた。561年(永禄4年)の川中島の戦いで、武田信玄の弟・武田信繁が当地八幡原で討死したことに因み、合戦から60年後、
松代藩主真田信之が信繁の官職「左馬助(さまのすけ)」の唐名「典厩」から寺号を典厩寺と改
めて菩提を弔った」とある。

      
            典厩寺入口                               典厩寺本堂                            武田信繁の墓

       武田典厩信繁 公信玄の実弟)の墓(長野市篠ノ井杵淵)
                                       G
rave of Nobushige Tennkyu Takeda

   武田典厩信繁は、大永5年(1525)、父武田信虎と母大井夫人のあいだに次男として生まれた。 信虎は文武両道に優れる
  信繁に家督を譲ろうと考えていたが、天分10年(1541)、信玄により駿河に追放されると、信繁は武田家副将として、
 信玄の領国支配、軍事行動を補佐した。信繁は嫡男信豊に家臣団の倫理規定ともいえる99ヶ条からなる「武田信繁家訓」を
 与えている。これは江戸時代に武士のこころ構えとして広く読まれていた。 信繁は永禄4年(1561)9月10日の第4回
 川中島合戦で信玄本陣を守り壮絶な死を遂げた。その遺骸は鶴巣寺に埋葬され、典厩塚とよばれた。享年37歳。
 その死は「惜しみても尚惜しむべし」と評され、敵の上杉謙信からも、文武両道に優れた名勝としてその死を惜しまれたと
 いう。 その後、鶴巣寺は真田信之の命により典厩寺と改められた。信繁公の墓碩には「正操院殿鶴山巣月大居士」と刻まれ
 ている。                                           「川中島の戦い」ゆかりの地整備保存会                                                              


*境内の桜 住職によると樹齢200年という

     

    

 

 

 


伊吹山登山

2016年07月19日 | 名勝旧跡巡り

 15日日帰りバスツアーで伊吹山ハイキングへ行って来た。 ツアーの案内書などによると、伊吹山は高山植物の宝庫で琵琶湖の国定公園に
なっている。 
近畿では三山しかない深田百名山の一つで、頂上からは琵琶湖、はるかに濃尾平野が見渡せる。伊吹山は日本全国が海の底に
あった古世代(約2.5億年前)の海底が、古世代末期~中生代初期の大造山運動により、日本の大部分と共に海上に隆起した。その後、
衝上断層(押しかぶせ断層)が起こり、山頂付近は石灰岩で覆われたそうだ。

伊吹山には「ヤマトタケルノミコトにまつわる話」や、大男「伊吹弥三郎」の伝説がある。又、伊吹山麓は昼夜の温度差が大きく、そばの栽培に
適していてそば発祥の地で有名だという、日本そばの栽培は伊吹山で始まり、木曽、甲斐、信濃などに伝わり、やがて北海道にまで伝わったと
言われている。日本のほぼ中心に位置する伊吹山は、北方系の植物が南下して来たり、日本海側に近いことから、日本海側に分布の本拠をもつ
植物も生息している。好石灰植物や、独自の進化をとげた花々も生息し、薬草の宝庫としても知られているという。

又、麓から頂上付近標高1,260m(頂上1,377m)迄伊吹山ドライブウェイが開通している。 

8時40分長野駅東口「ユメリアバス発着場」を出発、参加者20数名程で全員が登山慣れしている方々と思われた。登山の経験の殆んどない
老人は私だけのように思われた。
旅行、特にハイキングや登山は天候が楽しみを左右する。恵那山トンネル付近から雨になったが、中津川付近では雨も止みほっとした。
高速道を関ケ原ICで降り、伊吹山ドライブウェイの入口で地元「伊吹山もりびとの会」のガイドが同乗した。ガイドの話によると山頂は濃霧で
視界20~30m小雨だという。

ガイドの説明を聞きながら標高1,260mのスカイテラス駐車場に11時40分着いた。天候のせいか駐車場は閑散としていた。
濃霧に包まれ霧雨の天候だ。琵琶湖も望める展望も全く不可、残念だが仕方がない。売店「スカイテラス伊吹山」の入口で雨具を着用した。
11時55分案内に伴われ西登山道コース(約1,000m)で頂上に向かった。登山道コースは他に中央登山道(500m)、東登山道1,500m
(下り専用)とあるが、今日は雨模様で石灰岩はすべり安いので帰りも西登山道を降りることになった。

     
   ←駐車場にあった芭蕉の句碑  [そのままよ 月もたのまし  元老2年秋 芭蕉] 
   句碑説明文; そのままよ 月もたのまし  伊吹山 芭蕉
  俳聖松尾芭蕉は元禄2年秋(1689年)俳諧紀行文「奥の細道」むすびの地・大垣に到着しました。奥の細
 道の旅は東京
深川・仙台松島・岩手平泉・岩手平泉・出羽三山・秋田象潟・金沢・鶴賀を巡り大垣に至る五ヶ
 月間、2千4百キロに
及ぶ旅でした。この長旅の疲れをいやした二週間余りの大垣滞在中、「そのままよ 
 月もたのまし 伊吹山」の句を
詠みました。「伊吹山は月の力など借りなくても、そのままで立派な山だよ」
 という意味です。伊吹山の美しさを
たたえた名句といえましょう。

              
   駐車場にあった桂由美の「さざれ石」のモニュメント                 下にある「さざれ石」の説明文

           
            クサフジ (草藤)                                    ミヤマコアザミ(深山小薊)

           
       ヤマホタルブクロ(山蛍袋)                                 イブキジャコウソウ(伊吹麝香草)

西登山道では他にも沢山の花あったが、不勉強で花の名前も良く解らない。花畑も霧で視界も悪くお素人のカメラでは儘ならなかった。
   
              
      日本武尊像         
                  頂上の水源施設;階段状に小石を敷き詰め、底はコンクリートで雨水を流し貯めている。
  

 ◎伊吹山に纏わる逸話(伊吹山ドライブウェイHPより)
  *ヤマトタケルノミコトにまつわる話
    
ヤマトタケルノミコトは、古事記では「倭建命」、日本書紀では「日本武尊」と表記されています。 今から2千年ほど前、日本武尊は
   伊吹山の
荒神を退治しに伊吹山に登りますが、途中で白い大きな猪と出会います。 日本武尊はこの猪を「伊吹の荒神の使いの者」と思い、
   「今殺さなくても、 帰りりに殺してやろう」と言われたが、この猪こそ伊吹の荒神自身だったのです。 荒神は日本武尊の言葉を聞いて
   大氷雨(雨と霧)を降らせ日本武尊は命からがら下山します。 伊吹山の麓に湧き出る清水のもとで休みようやく正気を取り戻します。
   この清水が 居醒いざめ の清水(=玉倉部(関ケ原町玉)の清水)と言われており、現在でも手の切れるような清水が湧き出ています。
   この清水を辿って鍾乳洞も発見されています。 伊吹山山頂にある日本武尊は、この伝説を記念して建てられたものです。

  *大男「息吹弥三郎」の伝説
  
 昔伊吹山に住んでいた(と言われている)、山のように大きな体を持つ怪力の大男。 伊吹山とその隣の七尾山を天秤で担いだところ、
   伊吹山の方が重く少し傾いたため、七尾山の方に自分の弁当を乗せ釣り合わせたという話や、伊吹弥三郎は暴れ者で、体も頑丈だった為、
   脇の下の急所に矢を射ることでりようやく討ち取ったという話などがあります。

   鬼の酒呑童子の父とも言われています。

   *大地に書かれた「五芒星(ごぼうせい)  
   
伊勢神宮・熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)・伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)・元伊勢 外宮豊受大神社(もといせ
   げぐうとゆけだいじんじゃ)・伊吹山を線で結ぶと、地図上に奇麗な『五芒星』が浮かび上がる。
近畿の主要神社を結ぶと『五芒星』が
   浮かぶ この五芒星は、中心に奈良の「平城京」があり、平城京を守る結界と言われている日本のレイラインと言われています。
   さらに、伊吹山の東には「富士山」、西には「出雲大社」があり、この3点は一直線で繋がっています。 伊吹山は底知れぬパワーを
   感じさせてくれる「霊峰」なのです。

     

 

 

 


南木曽三ツばつつじと妻籠散策

2015年04月19日 | 名勝旧跡巡り

16日チョコTripの「南木曽ミツバツツジ・妻籠宿散策と南木曽温泉」ツアーに行って来た。昨日までの荒れた天候も嘘のような青空で、17日からの天気予報も悪ので束の間の1日の晴天だった。人気のコースのようで44人乗りバスは満席だった。

7時10分長野駅東口を出発10時過ぎ南木曽町桃介橋の天白公園に到着、ミツバツツジの群生地を散策する。群生するミツバツツジは約400株だそうだ。

*ミツバツツジ

         

        

        

*桃介橋
  桃介橋は「電気王」といわれた福沢桃介が建設した橋だそうだ。福沢桃介は旧姓は岩崎で、福澤諭吉の婿養子となり福澤姓となり木曽川
 
 などで水力開発を手がけ、後に大手電力会社大同電力の初代社長となった人物だそうだ
。 

       

*妻籠宿 
  地元案内人が案内説明してくれた。
  妻籠宿は、中山道42番目の宿場中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡南木曽町

  隣接する馬籠宿岐阜県中津川市)と、馬籠峠を越える旧中山道史蹟と合わせて木曽路を代表す観光名所として名高い。

  経済成長に伴い全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中、いち早く地域を挙げて景観保全活動に取り組んだことが評価され、
  
1976年、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地の一つに選ばれた。
  妻籠の人たちは町並を守るため、家や土地を「売らない・貸さない・壊さない」という原則をつくり生活しながら、町並を護って
  後世に伝えている。

              
   口留番所後;戦国時代から17世紀半ばまで関所が          高札場;今日の「官報掲示板」で幕府が庶民に対し禁制や法度等     
  開かれていたが後に木曽福島に統合された。                    を掲示した江戸時代の姿を復元したもの。                                                                               

      
     高札場からの宿場町並                            脇本陣奥谷:代々脇本陣・問屋をつとめた家で重要文化財に
                                                 指定されている。南木曽町博物館になっている。
                                                 島崎藤村の初恋の「ゆふ」さんの嫁ぎ先でもある。

       
   妻籠宿本陣;本陣に任命された島崎氏は明治に        妻籠宿の町並;左側の前庭のある家は明治以降た建て替えられた家で
   いたるまで、本陣・庄屋を兼ね勤めた。島崎藤村の             もともと宿場の家は道路に面して建てられいる。
   母の生家で、次兄広助が養子にきている。                 
   平成7年復元された。

         
   光徳寺;家並みの一番高い台地に石垣を築き建てられた     寺下の町並み;光徳寺の下にある通りから寺下の町並と呼ばれており
   寺で、明応9年開山されたと言われている。                宿場の町並から続いている。
                                             
                                       

    
     


三春の滝桜と鶴ヶ城公園

2014年04月28日 | 名勝旧跡巡り

  4月19日日帰りバスツアーで、福島県中通りの三春の滝桜と会津若松鶴ヶ城の桜を見に行った来た。 6:40長野駅東口観光バス発着所(今年4月オープン)を出発、高速北陸道~磐越道郡山東ICを降り一般道に入る。三春の滝桜まで一般道12.6Km、三春の滝桜が満開の新聞報道の上、土曜日とあって一般道は大渋滞と思ってていたが、順調にバスは進む。まずは一安心と思いきや三春滝桜2Kmほど手前から渋滞、およそ700mを30分かかる。添乗員の適格な判断で1.3Km手前からバスを降り歩くことになった。バス降車15分で滝桜に12時半頃到着する。樹齢1,000年といわれる見事な桜であった。

       

          

 三春の滝桜は日本3大桜(古木)の1つである。日本3大桜とは
「三春
の滝桜(福島)」「山高神代桜」(山梨)「淡墨桜」(岐阜)である。

 三春町観光協会のパンフレットによれば 「樹齢は推定1,000年以上、
 樹高13.5m、根回り11.3m、幹周り8.1m、枝張り東へ11.0m、西へ14.0m
   南へ14.5、北へ5.5m 、種類はエドヒガン系のベニシダレザクラとあった。

 40分ほど散策、駐車場にはバスが待っており13時10分出発会津若松に向かう。およそ1時間で鶴ヶ城に到着、車中で弁当の昼食をとる。鶴ヶ城公園も大変な賑わいであった。
鶴ヶ城は明治維新後新政府により解体されたが、昭和40年天守閣が鉄筋コンクリート造りで再建された。又黒瓦だった天守の屋根瓦を、明治時代に解体される以前の赤瓦葺きに復元する工事が行われ、平成23年3月に竣工したという。コンクリートで復元された天守閣なので、時間の関関係もあり城中の見学は止めた。

                

                赤瓦葺きに変わった鶴ヶ城             下からだと瓦の色は解らない
 又、wikipediaによれば、鶴ヶ城は地元では一般的に鶴ヶ城(つるがじょう)といい、地元以外では会津若松城と呼ばれることも多い。
   文献史上では黒川城(くろかわじょう)・会津城とされることもある。国の史跡としては、若松城跡(わかまつじょうあと)の名称で
   指定されている。

      
      鶴ヶ城公園内にあった桜 ソメイヨシノでもコヒガンサクラでもなさそうな1本,目についた桜で品種は?。

 公園内の桜はおよそ1,000本と言われソメイヨシノが大半であるが、長野県高遠町から寄贈されたコヒガンサクラもあるという。

*茶室 麟閣
  
戊辰戦争後、城下に移築され保存されていたが、平成2年に元の場所である鶴ヶ城内へ移築復元された。県指定重文の茶室なので
    
一服戴きたいと思っていたが,生憎 茶室 麟閣は改修工事で2014年4月1日〜11月末日まで休園で望は叶わなかった。

   
             工事中の茶室の前にあった麟閣の建て札

 鶴ヶ城公園を1時間10分程散策帰途についた。長野駅東口に19時前に無事到着した。初めての三春の滝桜で天候にも恵まれ、
 渋滞こそあったが、添乗員の的確な判断で少し歩いたが、十分堪能出来て楽しいツアーだった。

 


                 

 


千畳敷カール&光前寺

2013年09月06日 | 名勝旧跡巡り

8月28日日帰りバスツアーで千畳敷カールと光前寺に行って来た。

千畳敷は2度目だが世界はくもりで霧がかかっており景観が悪かったが今回は晴天に恵まれ、宝剣岳もくっきり・南アルプスも遠望富士さんまで見えた。駒ヶ岳ロープウェイも待ち時間が殆どなく幸いだった。しらび平駅標高1,662m千畳敷駅標高2,612m標高差950mのロープ
ウェイは高低差950mも千畳敷駅の標高ともに日本最高だそうだ。

千畳敷カール庭およそ200種類の高山植物が咲くお花畑を2時間ほどゆっくり散策した。8月はコバイケソウ・チングルマ・ミヤマキンポーゲ・シナノキンバイなど多くの高山植物が咲くているのだが、高山植物には疎く残念ながら良く解らない。植物図鑑などで調べておけばよいのだが、物ぐさでそれもならずお恥ずかしいことだ。

 

            
            千畳敷駅から 中央に登山道、峠のすぐ左が宝剣岳



 ロープウェイからの山頂駅と後方右が宝剣岳

                  山頂駅からの中央アルプスと中央に富士さんが見える           登山道遊歩道入口にあった駒ケ岳神社

      
                          宝 剣 岳 と 千 畳 敷 カール

      
 
    
          千畳敷カールは高山植物の宝庫、解らない花もあるので花の名前は省略。

ロープウェイの下りも殆ど待時間がなく12時30分のロープウェイに乗り下山、駒ヶ根高原家族旅行村にある早太郎温泉「こまくさの湯」(日帰り温泉施設)で入浴、2時間程休憩した。

その後光前寺を参詣する。ここも2度目だが記憶が薄れている。国の名勝に指定された庭園・光り苔・早太郎伝説で知られている。境内にある三重塔は長野県の南信地方では唯一の塔だそうだ。
残念ながら庭園内の石橋が破損修理中で名勝の庭園も映えなかった。

        
             光 前 寺 本 堂                             三重塔と伝説早太郎の像 

    
          光 前 寺 山 門                       参道脇の石垣、この石の間に光苔がある

     
        本 坊 入 り 口                           本坊の名勝県宝に指定されている庭園

 

 

 


神代桜と大糸桜

2012年04月13日 | 名勝旧跡巡り

4月9日山梨県の神代桜・大糸桜のツアーに参加した。コースは 「慈雲寺・大糸桜~恵林寺・夢想国師庭園~フルーツパーク冨士屋ホテル(昼食)~実相寺・神代桜」 で朝7時出発夕方6時40分帰った。

神大桜・大糸桜とも残念ながら蕾の状態で、屋台店の人によれば今年は1週間遅れ、見頃は15日前後になるだろう言う。

実相寺の神代桜は、日本三大桜として有名な「山高の神代桜」と呼ばれる日本最古のエドヒガンザクラの銘木で有る。樹の周囲は13.5程で樹齢2,000年とも言われている。境内には他に多数の桜が有って咲き揃ったらさぞ綺麗だろう。花は咲いていなくとも、風雪に耐えて生き抜いてきた日本最古の桜の老木には感動した。

慈雲寺は臨済宗妙心寺派のお寺で有名にしているのは、樹齢約300年の枝垂桜(イトサクラ)で高さ約15m枝廻り20mの大木である。垂れ枝いっぱいに美しいピンクの花が先揃ったらさぞ見事だろう。境内の一角に樋口一葉文学碑が建てられており、かって一葉の両親が子供時代に近所に住んでおり、この寺の寺子屋に学んだことがあるという縁だそうだ。

恵林寺武田家の菩提樹で本堂裏手の夢想国師が築いたという庭園がある。山門には恵林寺の快川国師が織田軍の焼き討ちにあった際残した有名な言葉「滅却心頭火自涼」」額が掲げられている。山門までの参道周辺にも綺麗な庭園があった

今年の冬は厳寒が長続きして桜の開花が1週間前後遅れて、有名な早咲きの河津桜は10~20火遅れたようだ。今年こそは河津桜を見に行こうと思い、1月早々1泊2日の河津桜がメインのツアーに申し込んだが、旅行日の2月28日は桜がまだ蕾のようなのでキャンセルしようか思案していた所、突然実家の義姉の訃報が入りキャンセルすることになった。来年は是非訪れたいと思っている。大糸桜・山高神大桜も満開の時期に何れ訪ねたいものだ。

       
                      慈  雲  寺  の  大  糸  桜                    

        
恵雲寺山門:快川国師が織田軍の焼き討ちにあった時の有名な言葉「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」がある山門

     
                      恵雲寺本堂裏手にある夢想国師が築いたという庭園

                  
                        実  相  寺 の  山  高  神  代  桜 

      
    冨士屋ホテルからのフルーツ公園  奥に下ると 花の広場・くだもの工房・トロピカル温室・くだもの館塔がある  
      






       

 

 

 

 

 

 


富山岩瀬浜めぐりと大岩山日石寺

2011年10月10日 | 名勝旧跡巡り

9月24日日帰り観光バスツアーで、富山港の展望台と、北前船の重要な港町岩瀬浜の廻船問屋街&廻船問屋森家を散策した。北前船は物を運んで運賃を稼ぐのではなく、船頭が荷を買い上げ、それを各地の湊で売った、いわば海の行商である。この行商で財をなしたのが廻船問屋である。

地元では北前船のことをバイ船と呼んでいる。”倍倍”儲かることからで、船の往復儲かることから「のこぎり商売」ともいわれた。

この廻船問屋森家は国指定重要文化財に指定されている。屋久杉・能登産クロマツ・小豆島の旧大な1枚岩等、各地の富を集め3年の歳月をかけ明治11年に建築されたもので、当時のたたずまいを残す東岩瀬廻船問屋型町屋の1つだそうだ。

                
 ロシヤへの中古車輸送の貨物船に中古車を積みこんでいる        展望台 

                         
          廻船問屋町並み          森家入口の看板


                 森家入り口の看板にある説明文 

 つるぎ温泉「つるぎ恋月」で昼食後大岩山日石寺へ向かう。日石寺は真言密教の総本山で本尊は大岩壁面に刻まれた磨崖仏の不動明王像で、国の重要文化財に指定されている。岩壁に刻まれた磨崖仏に覆いをかける形で本堂が建造されている。三重の塔と山門は町指定文化財となっており、境内にはこの他、夫婦岩・六本滝・大日堂・地蔵堂・十二支滝・愛染堂・観音堂・八体仏など数々の寺院や名所がある。

こんな所に直接岩に仏像を彫り、それも中央に不動明王坐像・左右に半掘りの4体の仏像が彫られているのには驚いた。案内によると,衿羯羅童子立像・制迦童子立像・阿弥陀如来座像・行基菩薩坐像の4体である。仏像には疎いので調べたら、衿羯羅童子・迦制童子は不動明王の従者八大童子のそれぞれ七番目八番目であり、各々左右の脇侍を務めている。

この石仏は中部地方における最高傑作として高い評価を得ているものだそうだ。各地に多くの磨崖仏があるが大分県には全国の8割近くがあるそうで,以前国島半島の熊野磨崖仏を見た記憶はあるが、其のまま覆って本堂の本尊となっているのは珍しく、ここ日石寺だけだろうか。

  
     本堂磨崖仏不動明王坐像                 日石寺本堂

        
日石寺参道百段坂     夫婦岩         三重の塔     大日堂

    
   観音堂          十二支滝          六本滝

15時15分頃日石寺を出発帰途につき16時30分頃長野へ到着する。初めての廻船問屋森家と
大岩山日石寺、見応えがあって良い旅であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                         


東京山の下名所と下町散策

2010年10月21日 | 名勝旧跡巡り

金婚式の翌日、 はとバスの 「山の手名所と下町」を娘2人と東京観光、観光ルートは以下。
  「 浅草観音と仲見世ー八芳園(昼食)ー六本木ヒルズ・東京シティビューー東京クルーズ」

1.浅草寺
  浅草寺は2~3回参詣したが何時も雷門・宝蔵門・本堂とすんなり参詣仲見世商店街をぶらつくだけだった。今回は仲見世は素通り、浅草寺の西側境内を散策した。影向堂・淡島堂・銭塚地蔵堂の他周辺諸堂舎が多数ある。本堂右側にも二天門(重要文化財)・弁天堂があった。残念ながら回れなかった。

影向堂には生まれ年(干支)ごとの守り本尊がお祀りしてある。淡島堂は現在の本堂が建立されるまでの仮り本堂で本堂再建後平成6年移築改修され、銭塚地蔵堂は石仏六地蔵尊が本尊で台座の石塔の下に「寛永通宝」が埋められたいるとされることから「銭塚地蔵」と名づけられたそうだ。

          
     雷門(正面)        雷門(裏側)          宝蔵門

      
            本    堂                         五重塔

           
      影向堂             淡島堂       浅草寺境内からのスカイツリー

2.八芳園
  ここで昼食(和食)をとる。昼食後庭園を散策、3組の新郎新婦が方方で記念写真を撮っていた。今日挙式したわけではなさそうだ。多分結婚式の日程の中で、挙式とは別の日に記念写真を撮っているのだろう。素晴らしい庭園であった。

八芳園といえば結婚式場・披露宴会場で知られているが、古事来歴は知らなかった。八芳園のHPによれば「この地は安政元年には松平薩摩守の下屋敷であった事が確認出来るだけ。明治末には実業家渋沢喜作氏へ、その後日立製作所の創設者の久原氏に渡り自然野庭園を生かした大庭園を建造、戦時中も大きな被害を受け無かった。昭和25年料亭等の経営者長谷敏司氏を会長に株式会社八芳園がスタートした。」とある。(詳しくはHPのは八芳園の歴史を)


         
                八  芳  園  の  庭  園

3.六本木ヒルズ
  ホリエモンこと堀江貴文元ライブドアー社長の事件や、六本木に観覧車の設置で物議を醸したことで、六本木が有名(昔から有名だったか)になった六本木ヒルズ。兎に角1度は訪れて見たいと思っていた処だ。


開発経緯を調べたら「六本木六丁目のこの地区の開発は、1986年「再開発誘導地区」の指定を受け地区内の権利者8割約400件の参加で、指定から15年経過した2000年に着工し2003年竣工した。」とあった。

観光のメインは森ビル52階の東京シティビューであろう。東京の一望は20年程前か東京タワーで見て以来である。高層ビルがに林立し全く景色が変わっている。再上階53階には森美術館、現代アートを中心にファッション・建築・デザイン・写真・映像など様々なジャンルの展覧会が開催されているという。

今回は吉岡健仁・篠田太郎・栗林 隆三氏のネイチャーセンス展が開催されていた。日本の自然知覚を考える3人のインスタレーションだそうだが、近代美術に音痴の私には良く解らない。

4.東京湾クルーズ
  シンフォニーモデルナという総トン数2,618トンの客船で、日の出埠頭を出てお台場海浜公園付近まで約50分の周遊で、お茶を飲みながらの休憩時間のようなものだ。

   
          ベイブリッジとお台場遠景                    シンフォニーモデルナ

お上りさんの東京観光の1日であった。


座禅体験

2010年07月01日 | 名勝旧跡巡り
6月27日(日)「NPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会」主催の長野市松代の「梅翁院座禅体験と路地めぐり(浄福寺蓮の花)」に参加した。高学年の小学生が4~5名グループで指導者と一緒に参加していた。小学生グループを除き20名の参加で男性は4名、この種の催し物は殆どが女性である。路地めぐりでは松代藩時代の旧家や鐘楼(時刻を知らせる為の鐘つき堂)真田家の菩提樹曹洞宗長国寺・祝い神社を回った。案内人はNPO法人の会員で随所で、真田松代藩の古事来歴を説明してくれた。生憎、浄福寺の蓮の花は今年は開花が遅れており一輪も咲いていなかった。
浄福寺の庭園には初めて見た珍しい「幹が白い松」があった。

座禅体験:曹洞宗梅翁院は禅の修業道場ではないので僧堂や座禅堂がなく本堂で行なった。住職から座禅についてのお話や、座禅の心得を聞いた。ヨーガでも座禅と同じ座り方があって、以前ヨーガをやった事があったので結跏趺座は普通に出来るが、大半の人は無理のようで半跏趺座のようだ。一度の座禅は一炷(一本の線香が燃え尽きる時間)で四〇分だそうだが、体験では一五分行った。良い経験になった。

体験後梅翁院で昼食、住職のご母堂の手作りの「おやき」を頂く。信州特産の有名な市販されている「おやき」とは違い、大きさも小さく皮も薄く美味しい「おやき」であった。もう一度家族で食べに来たいと思っている。

朝の雨も集合時にはすっかり晴れ素晴らしいNPO の企画であった。
インターネットテレビ「愛TVながの」でこの模様を放映しております。
 「愛TVながの」のHP; http://itv-nagano.com/cnagano/keinf/mat.html

    
武家屋敷の旧家小山田家     同じく矢沢家表門             鐘楼      

    
  祝神社と知恵の輪      禅体験の曹洞宗梅翁院       梅翁院の庭園

               
    浄福寺庭園の白松            白松の説明 松代に2本あるとの事