後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

盂蘭盆会

2010年08月17日 | 戯言
盆・暮れには実家に帰る風習があるが、今年は娘2人共盆過ぎ18日に来るそうだ。仕事の関係で連れ合いや子供は来れない。私は14日実家にお参りに行って来た。

先日民放TVでお盆の解説をしていた。私の実家(千曲市桑原)では8月1日を「石の戸」と言ってお墓の掃除をする日となっていた。早朝朝食前お墓を掃除に行くのだが、1年に一度で雑草が生い茂っている。朝食は今は長野の名物となっている「お焼き」であった。何故「お焼き」なのか解らない。現在は殆どのお墓が綺麗に整備され雑草も無く多分掃除をする程の事でもないと思うが、どうしているだろう。

解説・事典等などによれば、盂蘭盆の語源はサンストクリト語の「ウラバンナ」で、日本語に音訳し倒懸と訳されており、倒(たおして)懸(つるす)ということになる。逆さまにブラ下られる耐えがたい苦しみ、先祖がそのような苦しみにあっているとしたら、どうしても救ってあげたいと思うのが人情です。そのための供養がお盆の行事である。

8月1日は仏様が西国浄土から帰れるよう、閻魔様が地獄の扉を開ける日だそうだ。1日に冥土を出発13日にたどり着くのだそうだ。扉をあける事から1日を「石の戸」と言ったらしい。又お盆には仏壇にキュウリとナスに4本の足を付けて飾るが、キュウリは馬でナスは牛だそうだ。来る時は早く来るように馬に乗り、帰りはゆっくり帰るように牛に乗るのだそうだ。

毎年お盆になると、成仏したら何処に埋葬するか考えてしまう。我が家は娘2人とも他家へ嫁いでおり、跡取りはいないのでお墓を作っても後々の維持管理が出来ない。散骨もする場所も難しいので簡単には出来そうにない。
今年は色々調べてみたら、長野周辺の寺院の中には跡取りのいない人、墓を守る継承者が無い人ても安心できるよう永代供養合祀墓を案内していた。これには永代供養料個人墓・合祀墓等色々な納骨の方法があって一霊15万円~60万円である。善光寺雲上殿は一霊60万円~200万(夫婦家族で300万円もある)で管理費年5千円である。このほか雲上殿では分骨だけの納骨(5万円管理費不要)や信仰されたいた他の方々と共に雲上殿の境内に合葬(1万円)することも出来、管理費等は必要無く永代にわたって預ける事が出来る。

さて何れにするか迷うところである。あわてないでゆっくり考える事にする。

最近の新聞記事から

2010年08月12日 | 戯言
信濃毎日新聞夕刊1面に「今日の視角」というコラム欄がある。先日「まつりごといじじり」のタイトルで、なるほどそういう事かと、我が身にも思い当たるエッセイであった。 「執筆者:池内紀 ドイツ文学者・エッセイスト」

要約すると
 {時々旧友と会って夕をともにする。あるころから、それまで話題にならなかった政治の事が話題になるようになった。どうもある年齢になると政治が面白くなってくるらしい。党派性がなく、冷静で、大局的な見方がで出来るようになったのか、どうも疑わしい。要するに世の中の事が解らなくなっただけではないのか。野球・サッカー・テレビ・映画を問わず新しいスターも知らないし、なじみも親しみない。食べ物・飲み物・モード・風俗・不慣れなカタカナ名が横行している。息子や娘に尋ねてもトンチンカンぶりを笑われる。そんな中で政治だけは日ごとに大量の情報が入ってきて、善玉・悪玉風に解りやすく自分も投票というかたちで加わっている。レッキとした現役というものだ。人生の役割のおおかたをすませた世代が、政局に息まき、国の将来を案じたりするのは、少しコッケイではあるまいか。ひそかに盆栽いじりの変形で「政治いじり」と名ずけている。}

政治以外の他の情報もテレビのワイドショウ・バライテーショウや、週刊誌・インターネット等々で入手出来る筈である。テレビで見るのは報道番組や年寄りに人気のある水戸黄門・特定の推理番組等で、映画やドラマ・歌番組等は殆ど見ておらず、新しスターもアイドルも知らないし、親しみのないのは当然なんだろう。また、次から次と新しいカタカナ語が横行し解らないのには困惑している。先の見えた人生、政治に息まいてもストレスがたまるばかり、全く意味のないことだと解ってはいるのだが、同年代の知人や友人との会食等での話題が何時の間にか政治の事になっている。まさに「政治いじり」におちいっているようだ。