9月7日ハト観光(株)主催の信濃三十三番札所めぐりの4回目だ。7時長野駅東口を出発、17時に長野駅東口に戻った。今回は前3回の参加者に欠席者が多少あり、新たな参加者が若干名いた。布引観音の急坂の参道があるので、不順な気候が続いており天気が心配だったが、幸い午前中は曇り空で持ちこたえた。別所で昼食後降りだし最後の長谷観音の参詣が終わるまで降り続いた。帰宅後聞くと長野は午前10時頃から雨だったそうだ。
*29番布引山釈尊寺 天台宗 本尊・聖観世音菩薩 本尊愛称・布引観音
布引観音は今回3度目だが、千曲川沿いの県道40号線からの参道は急勾配で、石段が作られ若干整備されていた。しかし蹴上
が高く以前より歩きにくい感じだった。多分雨水で流されて高くなったのだろう?。本堂までゆっくり20分位かけて登った。
「牛に引かれて善光寺まいり」の伝説で有名な寺院である。僧・行基の創建で本堂の他六寺が伽藍を洞窟に造営したとい
われている。朱塗り観音堂は建築・美術史上きわめて貴重とされており国の重文に指定されている。添乗員の説明によれ
ば朱塗りが塗り替えてなければ国宝に指定されていたという。
参 道 入 口 (県道40号線から) 観 音 堂 宮 殿
観 音 堂 宮 殿 観音堂宮殿内部奥は洞窟
観音堂からの本堂 本堂から観音堂への道路の途中の胎内岩
*28番龍頭山龍福寺 元天台宗 本尊;聖観世音菩薩 本尊愛称;鳥羽堂観音
寺の開基は,比叡山の慈覚大師がこの地に来て,1本の柳の木の頭と胴と根元の部分から3体の観音像をお彫りになり、
頭の部分で彫った観音像を鳥羽山(上田市丸子腰越地区)の岩窟に安置したが 無住になってしまったので、江戸時代中期に腰越
近在の人々が、不便な山頂から今の地にお堂を立て観音像を祀りしたと言われ、鳥羽堂観音呼ばれている。
龍 福 山 観 音 堂
*23番瀧洞山宝蔵寺 浄土宗 本尊;聖観世音菩薩 愛称; 岩谷堂観音
本尊は前述の慈覚大師が彫った柳の木の胴の部分だそうです。菩薩像は当初岩窟の中に納められていたそうだが、
岩山の中腹に食い込むよう観音堂が建てられ移されている。現在岩窟の中にも観世音菩薩の石像が安置されている。
岩窟に安置されていたことから「岩屋堂の観音さん」と呼ばれているという。
参 道 観音堂後ろが岩窟になっている
本堂の須弥壇 洞窟の中の 菩薩像
*客番北向山観音堂 天台宗 本尊;千手千眼観世音菩薩 愛称;別所観音
本堂が北に向いているのは全国でも珍しいそうだ。真北に善光寺があると言われている。厄除観音としても親しまれれている。
本坊常楽寺の住職半田考淳は天台宗総本山比叡山延暦寺の貫主で天台座主である。
北向観音堂 観音堂須弥壇
*14番姨捨山長楽寺 天台宗 本尊:聖観世音菩薩 愛称;姨捨観音
寺の歴史は明治初期の廃仏毀釈のとき、古文書等全てを破棄してしまった為に定かではないらしい。国の名勝に指定されている
「姨捨の棚田」を見下ろせる千曲市八幡姨捨にあり、 観月の名所である。古くから幾人もの歌人が「さらしなの地」や「おばすて山」を
月の名所として詠んだ歌が編されている。芭蕉が月見をしたことでも知られ毎年秋には句会・観月祭が開かれている。石仏より多くの
句碑がが立てられている。句碑 は昭和に入ってからのことらしい。観音堂の脇に大きい岩があるが「木花咲耶姫神」の姉の「大山姫
神」が姪の「木の花姫」に諭され、この岩の上で満月を見て歌を詠み昇天したことから、姨(叔母)捨ての岩「姨岩」、この地が姨捨と呼ば
れるようになったそうだ。
観 音 堂 姨 岩 と 観 音 堂
観 月 堂 境内にある句碑周辺にも沢山ある
*13番開眼寺 臨済宗妙心寺派 本尊;聖観世音菩薩
本尊は聖観世音菩薩は「日不見の観音」と呼ばれ、厨子の扉を開けることを禁じられていたが、昭和46年2月、本堂の屋根のふき替え
に際し信者一同が厨子を移動中、突然扉が開いた。金色の立像で脇侍の阿弥陀如来、地蔵菩薩像とも同じ仏師による江戸時代初期の
の作と推定されているという。現在毎年1月1日と8月3日の年2回開帳している。
長く無住であったが2012年臨済宗妙心寺派で元横河電気取締役の柴田文啓氏が派遣され住職となった。当時の新聞報道によれば
柴田氏が中信となり「リクルート」活動を進めており「社会経験を積んだ企業OBこそ人間の多様な悩みに耳を傾けられる」と柴田住職は
言っている。今回生憎住職が不在で修行僧が案内してくれた。新住職になって座禅道場が建てられており、道場で座禅の警策(きょうさ
く)を経験した。坐禅中に眠くなったり、姿勢が悪かったり、心がまとまらなかったりした時は、警策(きょうさく)で肩を打ってもらいます。
この警策は、聖僧(しょうそう)さまから励ましとしてi戴くのだそうです。肩を打ってもらうと心地良く、凡人には肩凝り解消に打って付け
と思われた。
開眼寺右側が座禅道場 観世音菩薩が納めれている厨子
*18番金峯山長谷寺 真言宗智山派 本尊;十一面観世音菩薩 愛称;人肌観音・長谷観音
信州屈指の名刹で大和・鎌倉とならぶ日本三大長谷観音の一霊場で木曽義仲の兵火に遭った後、鎌倉時代中期に再建された。
本尊十一面観世音菩薩は秘仏で、善光寺御開帳の翌年、四月のの縁日を中心に数日間開帳されるという。前回平成22年の御開帳に
参詣したことを思い出した。
参道からの山門 長谷寺本堂参詣は右の階段を上り、帰りは左側に降りる
本堂内中央に本尊の厨子 本堂からの鐘楼