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後期シルバーの戯言

一寸した日常生活・身辺雑記と旅日記

中川真由美ピアノリサイタル

2009年12月24日 | Weblog
中川真由美クリスマスピアノコンサートが19日長野駅前メトロポリタンであった。中川真由美さんのお父さんがNTT在職時代の友人で、以前からリサイタルがあるとピアノ教室の友人を誘って聞きに行っていた。長野では1年置きに開催している。今回も友人2名と聞きに行った。何時もワイン&オードブル付き、トークを交えた演奏を楽しんできた。今回は「愛」をテーマにリストの「愛の夢3番」・ハチャトリアンの「剣の舞」など馴染みのある曲11曲の他、ポピュラーな曲の歌いながらの演奏に魅了させられた。

楽楽体操(ホワイトリンクのイベント)

2009年12月23日 | Weblog
12月15日(火)ホワイトリンクで楽楽体操というイベントがあった。

1昨年よりホワイトリンクでシルバー体操を受講している。これは年3期で1期3か月10回の教室であるが、名の通り年寄りが主体で、準備運動・練功18法(伝統的な中国の気功法を元に作られた体操)・リズム体操・色々な運動と最後にストレッチの1時間30分の体操である。

さて楽楽体操だが何と生徒3名しかいなかった。指導者はシルバー体操の方2人で、シルバー体操の練功18法を除いた1時間15分であった。今回はシルバー体操より少し運動量が多く爽やかな汗をかいた。

忘年会

2009年12月23日 | Weblog
1.12月14日(月)恒例のゴルフの仲間の忘年会があった。年をとると夜出掛   けるのが億劫になるが宴会だと別だ。常連の仲間持田氏が急逝し寂しい忘年   会だが、ご冥福を祈り故人を偲びながら杯を傾けた。

   参加者7名中後期高齢者5人、全く年寄りの集まりでお付き合いいただく
若いお2人には申し訳 ないと思いつつ、ゴルフや世情の話題を肴にすっかり
   銘酊した。
 
2.12月15日(火)昼時大人のピアノ教室の先生と生徒5名の忘年会で、
昼間でもあり先生が午後3時から教室があるので夜のような宴会ではないが、   発表会や昨今の話題で盛り上がり、あっという間に2時間が過ぎお開きとな   った。

他にも12月4日無線会があり今年最後の例会で忘年会の雰囲気もあるので出席したかったが、外せない所用があり止むを得ず欠席した。

秋分の日前後の出来事

2009年11月27日 | Weblog
18日(水)
犀川会(会の経緯は以前の記事参考)の定例会で今回と次回は幹事を仰せつかっている。会員も以前は20数名であったが鬼籍に入れた 方や病弱などで脱会され現在16名である。幹事の日程設定が悪かっ たったか、出席者過去最低の7名だった。年寄りの会合だと病気・体力減少や他界した友人の話題で湿っぽい宴席になりがちであったが、今回はまことに和気あいあい楽しい宴席で盛り上がった。

21日(土)
大人のピアノ発表会の日である。21・22・23日と3日日間で発表者は123名担当子講師46名だった。恥も外聞もなくづうづうしく毎年参加しているがトチッテばかり、上手な生徒の演奏は別として、自分の生徒の演奏にはらはらしているであろ先生を思うと、申し訳けない限りである。

24日(火)
午後ゴルフの友人持田氏の永眠の訃報が入った。突然の訃報で信じ難たかった。16日のゴルフの予定を風邪のためキャンセル、病院で診察の結果肺炎を併発しておりそのまま入院、1週間治療の甲斐も無くく他界されたとのこと、ご冥福を祈るばかりである。

25日(水)
故持田氏の葬儀が執り行われゴルフ仲間の引場・七里・伴 野・外川の各氏(片桐氏は旅行中の為欠席)と共にお斎の席で故人を忍んだ。 

その際肺炎球菌ワクチンの事が話題となった。65歳を超えたら接種した方が良いが、わが国では2度目の接種が禁止されていると聞いていたので、何となく忘れていた。今回の訃報で故人の肺炎感染が人ことではなくなり、帰宅後罹り付け医院に予約電話を入れた所、希望者殺到ワクチン不足で何時できるか不明という。さらばと小病院へ電話した所、ワクチン入荷状況など即刻調べ27日には可能となった。

27日(金)
肺炎球菌ワクチン接種の診察の際5年後の再接種について尋ねた処日本では禁止されているが、5年後の事はその時考えれば良いので今から心配する必要はないでしょうと言われた。何れにしても取り敢えず懸案は一先ず解決した。


徒然の散歩(2)

2009年11月11日 | Weblog
朝の散歩で今まで気にも留めなかったが最近気がついたのは、長野市指定の保存樹木・保存樹林である。長野市のH.Pで見ると、「まちのシンボルとして親しまれている木や林などを保存樹木・樹林に指定し、市民共通の財産として保存している。」とあった。現在市では「保存樹木105カ所・保存樹林61カ所」を指定している。指定基準があり幹の周囲が「地上1.5メートル地点で1.5メートル以上・高さが15メートル以上」等細かく定められている。
指定樹木の標識はあるが該当の樹木が見当たらない所もあった。補助金は出るのだが維持管理は所有者がしなければならず、個人の場合は大変な事でしょう。

散歩の範囲内で目に付いたのは7カ所あった。
*芋井神社境内 欅4本・杉4本・サワラ4本・松1本
   境内には欅3本以外は見当たらなかった。
*川合神社境内400平方米が保存樹林に指定
   樹木は10数本あったが基準を満たしているのは1本しか見当たらなかった。  
*芹田下神社境内 欅2本 
*風間神社境内  欅1本
*母袋地籍個人  欅3本
*南高田個人   クロ松1本 
*更科神明神社境内 柳1本・ヤマハンノキ8本・欅3本
   境内には基準を満たしている樹木は全く見当たらなかった。昭和51年の指定なので既に絶え果てか、維持管理の困難さが思いやられる。

他に指定されていないが基準を満たしていると思われる樹木が2ヵ所あった。
*南俣神社境内 欅2本
*芹田上神社境内 欅1本

           
芋井神社の欅 昭和59年指定   川合神社の欅 昭和51年     芹田下神社の欅 平成11年指定
                      指定樹林の中の1本

          
風間神社の欅 平成19念指定  母袋地籍の個人の欅 平成11年指定  南高田地籍の個人の松 昭和59年指定

         
更級神明神社の保存樹木指定の立札    芹田上神社境内の欅       南俣神社境内の欅
                        指定されていないが見事な古木                                                           

北国街道(芹田地区)史跡めぐり

2009年11月06日 | Weblog
10月31日芹田公民館主催の芹田地区内北国街道史跡めぐりが計画され、総勢70名の参加であった。姫塚~吹上地蔵堂~蓮信寺~木留神社~観音寺~御所天満宮~悪源太義平の墓と7カ所巡った。講師は「長野郷土史研究会会長 小林一郎先生」である。

講師の資料によると史跡の概要抜粋は次の通り。

1.北国街道  中山道追分宿から善光寺~越後に至る街道。

2.姫塚 善光寺七塚の一つ。熊谷直実の娘玉鶴姫の墓と言われる五輪塔・墓地
     真中に樹齢数百年?か巨大な欅の樹木が一本ある。周りは墓地。

3.吹上地蔵堂 延命地蔵尊をまつる堂。由緒不詳。境内に、本堂再建供養塔・奉巡礼西国坂東秩父当国供養塔・尖頭塚がある。

4.蓮心寺 一行山・浄土宗。1195年朝日入道蓮心坊が開いたと言う。

5.木留神社 善光寺七社の一つ。古くは諏訪大明神と呼ばれたが、木留神社と称した。犀川(昔はこの地を流れていた)の洪水で流出しそうな善光寺の用材を、
         この神が翁となって現れて木を留めた等、さまざまな伝えがある。

6.観音寺 明助山普門院・浄土宗。源頼朝守仏髻馬頭観音と、正子の守仏厄除生観音をまつる。源頼朝が1197年善光寺を参詣した時、この地に一泊し      
       観音のお告げを受けて、この寺を建立したという。

7.中御所守護館跡  室町時代初期、小笠原氏の信濃守護館があった所と言われ、現在八幡社と御所天満宮が一つの社にある。
              天満宮は昭和54年に亀戸から勧請した。

8.悪源太義平の墓 源義平は頼朝・義経兄弟の長兄。
             悪とは強いという意味・源はミナモト・太は長男という意味で、悪源太義平は「源の強い長男の義平」と言うことである。          
             平治の乱に敗れて殺された。その死後、愛妾が善光寺に来て墓を造ったという。長野駅東口一帯の字名を源太窪と言うのは、この墓があったため。

北国街道の存在はしっていたが、芹田地域に住んでいながら北国街道沿いに多数の史跡がある事は知らず、姫塚と中御所天満宮くらいしか知らなかった。姫塚の中心にある欅の大木は、学生時代たむろした所で懐かしく欅が巨大になっており驚いた。中御所天満宮は入学の神様でこの辺では知られていたが、昭和54年に亀戸から勧請されたとは知らなかった。しかも八幡社と同じ社に祭られている事は小さい祠で、珍しい事だろうと思う。

1時間30分の工程で地域住民の高齢者にとっては有り難い企画であった。公民館と小林先生に感謝申し上げます。11月3日の新聞(信毎)で、小林先生のご尊父で長野郷土史研究会名誉会長の小林計一郎先生が11月1日逝去されたことが報道された。。 ご冥福をお祈り致します。

              
  姫塚;真中に欅の大木        吹上地蔵堂;延命地蔵尊を祀る堂、この辺を吹上と呼ばれ蓮心寺・木留神社があり旅人の休憩場所であった。

               
      蓮心寺               木留神社;善光寺七社の一つ、境内の1角に行人塚がある。

                
      観音寺                     中御所守護館跡;左天満宮・右八満宮


悪源太義平の墓;木の右が義平墓、左が「相伝悪源太義平之墓」刻まれた碑


最所の画像と同じ姫塚の欅の大木

結婚式

2009年10月13日 | Weblog
10月10日(土)姉のお孫さんの結婚式に招かれた。

挙式は善光寺 大勧進 である。話には聞いていたがお寺での結婚式は初めてである。日本での結婚・葬儀の儀式は、主として神道・キリスト教それぞれの流儀により執り行にっているが、仏教では葬儀だけだろうと思っていた。然し考えてみれば他の宗教が両方扱っているのだから、仏式による結婚式があってもおかしくはないのだろうと思う。又、招待状には仲人の記載がなかったが、多分人様の仲介で見合いをして結ばれた訳でも無いのだろうから当然のことなでしょう。昭和1桁生まれにとっては一寸考えられない事で、昔はお互いお付き合いして決めた結婚でも、わざわざ仲人をしかるべき人に依頼したものだった。

結婚式次第には興味津津であった。短いお経が3回挙げられたがお経の内容は全く解らない。指輪の交換・三々九度の杯・誓いの言葉などは他の宗教と殆ど同じ進行だった。変わった所では「数珠を僧正が授ける」儀式があった。仏教ならではの儀式であるが結婚式には一寸違和感があった。数珠の本当の意味を知らない為であろうか。

披露宴は今まで経験したのものとは違い、誠にユニュークで感嘆する事ばかり素晴らしい宴席であった。お2人の馴れ初めは高校担任先生の祝辞や新郎の叔母の話によると、同じ高校の同級生でクラブ活動で知り合い、それ以来のお付き合いで12年目にしてゴールインしたものだそうだ。仲人がいないのも当然のことであろう。従来の披露宴では、新郎新婦が1段高いメインテーブルで雛壇の飾り物の感があったが、今回は全く違いメインテーブルも同じフロアーで新郎新婦が主役であった。新郎の挨拶から始まり、高校担任先生・新郎勤務の会社社長の祝辞に続いて多彩の演出で宴席が盛り上がり、お二人の門出に相応しい披露宴であった。両家のご両親・新郎の祖母さんの、緊張の中での御喜びの表情が印象深かった。

庭木の剪定

2009年10月06日 | Weblog
狭い土地に小さい庭付きの古い兎小屋が、我共(私共といっても夫婦2人だけだが)の住家で、庭の剪定は以前庭木に関心があり庭園関係の通信講座を受講したり、家庭菜園・庭木手入れのカルチャーに通ったこともあって、毎年自分で剪定しいた。前に投稿した頸椎症の予防は、首を上に向けない事が第一、パソコンで顎を前に突き出さないこと、庭木の剪定など上を向いた作業をしないことである。医者からもきつく言われている。その為パソコンは19型デスクトップに更改したので、松など高木の剪定も辞める事にした。

近くのホームセンターに庭木の手入れの見積もりの広告があったので依頼した所、剪定を依頼する樹木(松の木)を見た途端、カイガラ虫で木が衰弱しているので剪定は無理だと言う。剪定は木を苛めるので弱った木は枯れる恐れがあるので、カイガラ虫の退治が先決であると言う事あった。

今まで幹が真っ白くなっているのがカイガラ虫と思い込んでいたので気が付かなかった。指摘の松葉の生え際をみると確かに白くなっている。その松葉を見ると確かにやや黄色がかって弱々しい。

兎も角剪定は来年送り・カイガラムシの駆除を優先することにし、殺虫剤・散布時期などについて教わったた。スプラサイド1,500倍これから2週間置き3回・来年6月2週間置き3回散布すれば良いと言うことだ。

今まで毎年曲がりなりにも剪定らしきことはやってきたので、1年間をおくとどうなるのか不安ではある。2年分の剪定が大変だろうと思うが、来年職人に依頼すれば済む事なので心配無用だ。さぞかし鬱陶しい庭を1年間眺める事になるだろう。


秋の大型連休

2009年09月27日 | Weblog
この秋9月、19日の土曜日を入れると連続5日間休日があった。敬老の日が9月の第3月曜日の21日、23の秋分の日、祝日の間の1日が休日の法律により22日も休みとなり休日が連続した。敬老の日が毎年変わるのでシルバーウィークが発生するのは次回が6年後その次は11年後とか。

19日(土) 庭の梅木の剪定

20日(日) 特記事項無し

21日(月) 地区公民館主催の敬老祝賀会11時~13時30分; 該当者約230名中出席者約80名;
        地区住民によるコーラスー・舞踊・手品約45分;その後祝宴

22日(火) 長野県武術太極拳フェステバルがビッグハットで開催。太極拳のカルチャ-に通っているので教室グループから参加要請があったが都合により不参加。
        所属教室グループの出演だけは見にいった。25グループが午前午後各1回演舞、午後は各グループ仮装など趣向を凝らした演出があった。
        又、今日は日詰地区内の氏神である芹田下神社の秋の例祭で、日詰太極拳同好会も24式太極拳を奉納した。体調のすぐれない方もおり9人で演じた。
        例祭には1度も行ったことがなかったが、今回は太極拳出演者が少ないので是非にと要請され参加した。
        日舞や詩吟朗詠など奉納され、振る舞い酒や子供向けの駄菓子類などの夜店もあってなかなかの賑わいであった。
        メインの神楽は午後七時神社を出発町内を一巡後、9時奉納神楽の舞があると言うことだが、途中で帰宅したので見ていない。

23日(水) 彼岸の中日実家へ墓参りに行った。両親実兄も既に他界し、祖父母は全く知らないが、先祖代々の墓碑もあるので、盆・彼岸には毎年お参りすることにしている。

徒然の散歩

2009年08月29日 | Weblog
週4~5回早朝1時間程度散歩している。50歳~60歳代はジョギングやウォーキングをしていたが、70歳を超えてからは徐々に散歩に変わった。散歩は概ね自宅を中心に1.5Km程度の範囲内である。最近気がついたがこの範囲内に何と神社が12ヵ所もあった。神社庁長野支部の資料によれば平成大合併前の長野市内に神社が175社もあるので当然だろう。どうも昔の集落単位にあるらしい。ともかく昔から集落の氏神様として崇められていたことでしょう。神社の謂われ因縁は趣味も無く調べもしないので解らない。昨年か一昨年か当時の日詰公民館長さんが神社庁で調べ「広報ひずめ」に地域の神社の因縁について掲載されていた記憶がある。何れ当時の広報誌を見てみたいと思う。    


      
「芹田上神社」稲葉中千田    「芹田中神社」稲葉母袋    「川合新墾神社」稲葉川合新田

      
 「南俣神社」稲葉南俣       「芋井神社」高田         「芹田下神社」稲葉日詰

      
  「伊勢社」南高田         「風間神社」西風間        「伊勢社」東風間

      
 「白山神社」大豆島西沖     更級新明大神社」大豆島    「松岡神社」松岡一丁目