今週末で会期満了を迎える若冲展。
最初にアナウンスをされたのは、
昨年の夏頃にプライス展が
公開された頃に合わせて発売になった
ブルータスの誌上だったのではないでしょうか。
つうか、私はそれで知った口なのです。
その後、公開に関する情報はぱったりと止まり、
直前になるまで日程も前売り発売も
なかったように思います。
受胎告知公開と比較しても随分と消極的な宣伝で、
ちょっとは期待したのですね、
これは案外空いているかもしれない、
GW後だし、そこそこの混み具合程度で
鑑賞できるかもしれない………
甘かった。
つくづく、読みが甘すぎたと、
先週末に出向いた現地で、
番待ちの列に並びながら思ったものです。
相国寺の境内も、美術館自体も、
決して狭い施設などではないのですが、
押しかける人があまりにも多すぎました。
目玉である「動植綵絵」に群がる人の頭ばかり眺め、
正直、堪能できたとは言い難いのですが、
「雪中鴛鴦図」(おしどりが描かれている絵です)を、
「雪中鴛鴦図」だけ見れれば良しと割り切ってましたので
目的は果たせたので満足はしています。
で、後ろから俯瞰して眺めながら思ったことは、
人が群がる絵は大概決まっているなあ、
それも新聞やチラシ等で告知されている絵ばかりだなあ、
ということでして。
正面の三尊像の双方を彩る絵は特に混み方がすごく、
実際、知名度の高い絵が並んでいました。
特に「老松白鳳図」、人気でしたね…。
当方の好みではない図柄だったので、
混む人の群と戦わなくて済んだのは
有り難かったです
ということは。
日本人はいかにCMに弱いか、ということではないかと…。
動植綵絵が並ぶ第二展示室よりも、
もしかしたら興味をそそられる絵は
第一展示室に集中していたように思うのですが、
混み方と人の流れ方がまったくもって違う。
肉筆ならではの墨のかすれやにじみを堪能できたのは
水墨画や襖絵が集中していた第一展示室の方。
もったいないな、こっちの方が面白いかもしれないのに…
今回の若冲展に限らず、
展覧会で絵をじっくり鑑賞できる時間を持てる人は
おそらくほとんどいらっしゃらないと思われる、
日本の美術鑑賞事情。
人が集まる=関心度が高い≠知的分野への造士が深い
とはなってない、と言うのは暴論でしょうかねえ……
最初にアナウンスをされたのは、
昨年の夏頃にプライス展が
公開された頃に合わせて発売になった
ブルータスの誌上だったのではないでしょうか。
つうか、私はそれで知った口なのです。
その後、公開に関する情報はぱったりと止まり、
直前になるまで日程も前売り発売も
なかったように思います。
受胎告知公開と比較しても随分と消極的な宣伝で、
ちょっとは期待したのですね、
これは案外空いているかもしれない、
GW後だし、そこそこの混み具合程度で
鑑賞できるかもしれない………
甘かった。
つくづく、読みが甘すぎたと、
先週末に出向いた現地で、
番待ちの列に並びながら思ったものです。
相国寺の境内も、美術館自体も、
決して狭い施設などではないのですが、
押しかける人があまりにも多すぎました。
目玉である「動植綵絵」に群がる人の頭ばかり眺め、
正直、堪能できたとは言い難いのですが、
「雪中鴛鴦図」(おしどりが描かれている絵です)を、
「雪中鴛鴦図」だけ見れれば良しと割り切ってましたので
目的は果たせたので満足はしています。
で、後ろから俯瞰して眺めながら思ったことは、
人が群がる絵は大概決まっているなあ、
それも新聞やチラシ等で告知されている絵ばかりだなあ、
ということでして。
正面の三尊像の双方を彩る絵は特に混み方がすごく、
実際、知名度の高い絵が並んでいました。
特に「老松白鳳図」、人気でしたね…。
当方の好みではない図柄だったので、
混む人の群と戦わなくて済んだのは
有り難かったです
ということは。
日本人はいかにCMに弱いか、ということではないかと…。
動植綵絵が並ぶ第二展示室よりも、
もしかしたら興味をそそられる絵は
第一展示室に集中していたように思うのですが、
混み方と人の流れ方がまったくもって違う。
肉筆ならではの墨のかすれやにじみを堪能できたのは
水墨画や襖絵が集中していた第一展示室の方。
もったいないな、こっちの方が面白いかもしれないのに…
今回の若冲展に限らず、
展覧会で絵をじっくり鑑賞できる時間を持てる人は
おそらくほとんどいらっしゃらないと思われる、
日本の美術鑑賞事情。
人が集まる=関心度が高い≠知的分野への造士が深い
とはなってない、と言うのは暴論でしょうかねえ……
これはねぇ。
もう美術館に行くたびに思いますよ~。
「CMで見たから」
「有名だから」
「○○が描いた絵だから」
=素晴らしいわぁ!
っていうの(笑)
本当は絵の鑑賞なんて興味ないんだけど、
絵を見て感銘を受けたことなんてないんだけど、
それじゃああまりに教養がないように思われる。
「若沖展を観に行ったのよ!」
(ホントは話題だったから。
でも人気がある絵だものいいに決まってる。
ふふ、私って知性的?)
「「老松白鳳図、あれは素晴らしいなぁ!」
(「ところで老松白鳳図ってどの絵だった?)
そんなところでしょうか(笑)
これは、なんとか鑑定団流行の影響も多々あって、
手近、身近で『とりあえず足を運べば』
格好がつく美術展は『知性溢れる私』
を演出するのに便利なんでしょうねぇ。
これは大きな骨董市に出向いた時にも
思ったんですがね。
彼らはホンモノを見たことないし、
見ても自分の審美眼で考えることが出来ないから、
『このガレは美術館にあるものと同じですよ~』
なんて客引きに、おっさんおばさんが
「なるほどねぇ」「すごいわねぇ」
なんて群がるのが現実(笑)
でも1万円とか2万円なんてホンモノのガレが
どこにあるんだよ?(爆)
と、いうより、どこをどう見てもニセモノ、
というか、ニセモノと呼ぶのも失礼な
シロモノなんだけど、それでも善男善女は
「へええ!」なんて感心する。
(っつーかあの業者は逮捕されんでいいのか?)
まあね、こんなのはまだ見ていて
笑えるからいいんですが。
私はいつだったかのガレ展で、
神聖な作品の前で鑑賞そっちのけで
ご近所の噂話に花を咲かせるおばさんたちを
見ましたよ。
移動しながらずっと他人の悪口。
...お願いだからよそでやってくれんか?
ま、願わくば彼らが『とりあえず有名だから』
行った美術展のどれかで、
本当に心震える作品に出会い、
その歓びを知ることが出来ればいいなぁ
とは思いますけど。
自分の心で、目で作品に向かわない限りは
無理なんだろうなぁ。
自分の心と目というのは、日常の中でこそ
培われるものだと思いますから。
私は東京での若沖展。
最後の部屋で感動のあまり動けませんでしたが、
有名な作品以外は素通りする人々の
あまりの多さから、おかげでじっくり鑑賞出来て
とても有難かったです(笑)
照明が変化しているのさえ、
気づかずに一瞥だけして帰る人も
多かったですしねぇ。
トホホ。
>「若沖展を観に行ったのよ!」
>(ホントは話題だったから。
> でも人気がある絵だものいいに決まってる。
> ふふ、私って知性的?)
>「「老松白鳳図、あれは素晴らしいなぁ!」
>(「ところで老松白鳳図ってどの絵だった?)
そうそう、これに尽きると思いますよ!
私も!
いや、何も、せっかくの知的好奇心を
否定する気は一応ないのですが………
でもねえ、っていいたくなるケースは
鑑賞中いっくらでもありますね。
私が一番よろけそうになったケースは、
上野で大英博物館展が開かれた折。
教科書には必ず掲載されている、
誰もが必ず目にしていると疑いのない、
アッシリアのレリーフ、
「瀕死のライオン」を前にしての
とある婦人の一言。
「ネコちゃんが、ゲーゲーやってるわ」
ネコかよ!
ゲーゲーかよ!
瀕死のライオンと書いてあるだろうがよ!
(大概の作品にはタイトルと出自が
掲示されているものです)
大体からして、このレリーフを
写真や本で見たことすらないのかよ!
脱力しました………
知的好奇心の探究を疑うわけではありませんが
家に帰ってからすこしは来歴を調べるぐらいの
ことはしていただきたい、と
強く願ったものです。
レリーフの場合は美術品とは意味合いが違い、
歴史的背景も重要かと思いますから、
なおさらですねえ…
その場に出向いたことに価値を持つ人に、
できれば美術展の類には出入りして
欲しくないなあ、と思っちゃいます。
暴論を承知で断言しますが、せめて、
作品を鑑賞し、眼福にひたりたい人の意欲を
そぐような言動は謹んでいただきたい。
最近、絵は見たいけど、興味はすんごくあるんだけど、
ギャラリーの面々に気を散らされるのがいやで
画集止まりになるケースが増えました。
行ったはいいけど、図録買って帰っただけ、ってことも
ないわけではないんです…。
1万円のガレに感心した方は、
話題にする時に「1万円でダレが」とか言いそうですね。
もっとも、相手もガレが誰だかわかんないと
思いますけどね。