食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

メソポタミアの食生活ー古代文明の食文化の革命(8)

2020-05-04 08:59:45 | 第二章 古代文明の食の革命
メソポタミアの食生活
メソポタミアの食生活を考える上で重要な植物がナツメヤシだ。高温や乾燥、塩害に強く、木の高さが25メートルにもなることで日陰を生み出すため、高温乾燥地帯のこの地域に根差した植物となった。

ナツメヤシの実は糖分とビタミンが豊富で貴重な栄養源になった。また、先に述べたように酒の原料になったり、乾燥させて保存食にしたり、粉にしてパンのように焼いたりして食べた。

一方、ナツメヤシが作った日陰ではタマネギやニンニクなどの野菜が栽培され、メソポタミアの食生活を支えるかなめとなる存在だったのである。ちなみに、旧約聖書にある「生命の樹」とはこのナツメヤシのことだ。

次に、メソポタミアの食卓を覗いてみよう。

肉料理には主にヒツジとヤギの肉が使われた。これらの家畜は休耕地で飼育されていたようだ。耕作に利用されていたウシも使い物にならなくなった時には食べられた。それ以外のブタやイヌ、ウマの肉はタブーから食べる習慣はなかった。ただし、鳥類の肉は普通に食べたようである。肉は保存のために塩漬けにされることが多かったようだ。

文明の初期には肉は主に焼いて食べていたが、都市生活が発展すると煮込み料理がメインになった。煮込み料理にはナツメヤシの日陰で作った野菜も入れられた。タマネギ・ニンニクを中心に、レタスやカブ、カボチャなども煮込み料理に入れられたらしい。

川魚は貧しい者が食べる食品だったらしく、食事の記録はあまり残されていない。ただし、交易品として手に入れたマグロなどの海産魚は高級品として食べられていたようである。

メソポタミアは高温乾燥地帯のため水分補給が大切だ。そこで、水分補給のための飲料も発達した。レモンやザクロ、イチジク、リンゴを絞ったジュースや、乾燥させたナツメヤシやレモンを煮出した飲料などが記録されている。

ところで、メソポタミアでは遅くとも紀元前2000年頃までには各集落に居酒屋が存在していたと考えられている。居酒屋の経営者は通常は女性であり、旅人の宿泊にも利用されていたようだ。ここでは、食事とともにビールやナツメヤシ酒が振る舞われた。食後にカップルが寝泊まりできる部屋も用意されていたようだ。酔った勢いで・・・ということもあったかもしれない。

尚、バビロン王朝のハンムラビ王(在位:紀元前1792年-紀元前1750年)が作った法律(ハンムラビ法典)でも居酒屋に関する条文がいくつか見られる。例えば、居酒屋での政治的発言については経営者が役所に報告する義務があった。

こうして見て来ると、居酒屋は社会的に重要な存在だったことが分かる。