satoshi Day ~~v 2012-08-30 | 春夏秋冬 こつ こつ と...日記 先週、岡山での遠征を終えて束の間の夏休みをもらったsatoshiと久しぶりの再開をしました。帰省を楽しみにしていた私たちも satoshi に堪能した5日間。遠征先の岡山まで迎えに行った(土)から4泊5日のsatoshi Day ~~v ・・・START!兵庫では秋季大会も支部予選が進んで県大会への出場校が続々決まっていますが、練習試合相手校の選手に聞くと、岡山の秋季は9月に入ってすぐ、satoshi たち愛媛も9月2週目からとのことで、秋季大会を前にグラウンドでは選手たちの元気な声が響いていました。練習場に掲げられた『日常の五心』 五心を胸に日々がんばっている選手たちは、挨拶も素晴らしい礼儀正しい選手たちで「写真撮っていいですか?」と聞くと、ニコッ^^と笑い「ハイっ!大丈夫ですっ!」と快く、『ありがとうという感謝の心』で撮らせて戴きました^^。岡山を後にし、5か月ぶりの兵庫です。「兵庫県に入りました」とナビの声に思わず泣きそうになったそうで(笑)期待と不安と、新生活を楽しみに旅立ったsatoshi ですが、家恋しい気持ちを心の奥底に沈めてがんばってたんだなぁって思いました。待ちわびていた私や第2の家族と、先日ここでもご紹介した父のお店『 ittoko』へ初めて行き、父の心機一転地でまずは・・・どんぶり飯じゃ小さすぎてサラダボールに山盛りのご飯と・・・肉。相変わらず良く食べ、幸せぇ~って顔でモリモリ、何も心配なしっ!です^^。翌日は過ぎてしまった誕生会&お帰り会で全員集まり、ここでもやはり・・・丼飯と肉。笑っちゃうほどホント良く食べます。久しぶりにみんな集まって楽しいひと時でした。satoshi の帰りを1番楽しみにしていただろう?もっと未来の高校球児は肩車してもらったりご機嫌でしたが、だんだん気付き始めます・・・みんなの注目はsatoshi だってみんながsatoshi に注目するもんですから 「に~に 嫌いっ~~;」って。satoshi が居なくなって最初は寂しかったけど、自分だけに注目が集まる5か月に慣れてきたもっと未来の高校球児は、未だ、に~にが居なくなった状況を分かっているのか、分かっていないのか?satoshi がずっと帰ってくるんじゃないか??と、実はちょっと心配してたりねぇ~なんて笑いました。今回の帰省にかこつけて女組でsatoshi を愛媛へ送り、足を延ばして広島旅行をしよう!を計画していたんです。(土)からの3泊4日で(火)に送り、女組は広島へ・・・が予定していた計画。なのに・・・何と、3泊4日の1泊目を(日)から数えていたsatoshi の帰りは(水)が正解。普通、帰った日から1泊目って数えるやろ!!、しかもそれが判明したのは迎えに行った岡山ですからみんなから怒られますよね当然・・・@@;女組は休みを(火)(水)と取ってしまったので今更変更することもできず・・・仕方なく・・・ホント仕方なく広島へsatoshi を同行させることになってしまいました。それならもう1泊、家でゆっくりできたのにね・・・~~;母は予定外の出費にブツブツ怒ってましたが、高校生活中息子と旅行なんてなかなか出来ないから、まぁ~いいじゃない。私もsatoshi と色々話したいし~^^ 広島では色々感じることも、たくさん勉強になることもあるだろう・・・。そんなこんなで愛媛~広島女旅じゃなく、広島もsatoshi Day旅~愛媛へ。予定が大幅にくるったおかげで?広島平和記念資料館だけの予定が呉にも行ってきました。私は呉の大和ミュージアム、広島平和記念資料館も行ったことがあるのですが、その時は宮島も巡り日帰りでバッタバタ旅だったので、今回は呉も資料館も時間を掛けて見学することができました。呉では自分の想いとは裏腹な、現実の中で生きることへの当時の人たちに、今を生きる私たちは幸せだと改めて感じました。戦艦大和の映画をご覧になった方も多いと思いますが、当時を知ることができる数々の遺品や手紙の一文字一文字に想像以上に過酷なこの時を生きた方々に胸いっぱいになりました。大和ミュージアムも記念館も撮影は良いのですが・・・資料には向けれませんでした。その中で、明治時代誕生した野球チームの資料があったのでそれだけ撮影させて戴きました。この時代にも野球が大好きな少年たちの元気な声が響いていたのでしょうね。また、広島では原爆ドームのすぐそばに宿泊し、夜の原爆ドーム周辺の街を見学してきました。昼間とは違う感じ方をしました。全てはあの日。あの日の前夜、人々はこんな惨いことが自分たちの身に起こるとは想像もせず、どんな夜をすごしたのかな・・・と想いながら。ただただ辛い気持ちになり歩きました。街角に赤い毛糸の帽子と服を着せてもらったお地蔵様を見付けました。あの日から、現代のこの裕福な時代への移り変わりをこの街角でひっそり見て来られたお地蔵様です。翌日は資料館に行き、繰り返してはならないこの瞬間(とき)を心に刻んできました。現代は何事も豊富で、豊富だからこそ不満が溢れ、贅沢な日々を過ごしているなと改めて感じます。資料館には、satoshi くらいの少年少女が残したこの瞬間を知る手紙なども数多く展示されており、親が子へ、子が親へ想う気持ちは、この瞬間も今も、これからも同じなのだと思いますが、この瞬間を生きた親子の絆や、お互いを大事に尊く想う気持ちは今以上であることを強く感じました。予定が変わりsatoshi も同行した広島の旅でしたが、一緒に連れて行って逆に良かったかなと思いました。今まで15年間、親元で何不自由なく暮らしてきて、自分で決めて好きな野球をするために親元離れ愛媛へ行くことになったわけですが、どこかやはり親に対しても周りに対しても、物ひとつ、お金ひとつにしても当たり前に甘えがある。放射能で焼けたお弁当箱に入った真っ黒なご飯、これを握りしめて亡くなって行った子供たちのことを想うと、教科書では習うけど、実際現地へ行って感じることは大きいので、satoshi にも思ったことがあったと思います。この人たちがいたからこそ、今がある・・・感謝やなと話し、広島の旅を終えました。あっという間の4泊5日satoshi の夏休みはリフレッシュできたでしょうか。これからの愛媛での生活の力になったでしょうか。秋季大会が終わると、1年生の新人戦があり、長い冬眠野球生活に入ります。satoshi母も、母の姉も、私も・・・「3日でsatoshi には堪能やな~~; 早よ寮へ帰り!!」と、広島から200キロを突っ走り、無事、愛媛の寮でグッバイ!satoshi となりました^^今は甘えの方が大きいsatoshi ですが、今回の旅で少しは感じてくれたこともあるだろうし、自分自身のためにがんばってもらいたい、そう思いました。2年後「ここで野球やって良かった!」と帰ってくることを楽しみに応援しようと思います。次に帰れるのはお正月。一つでもまた成長したsatoshi に会えることを楽しみに。