ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
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襟裳岬

2009年11月23日 | 昭和諳心




襟裳岬 / 吉田拓郎


北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
理由のわからないことで
悩んでいるうち 老いぼれてしまうから
黙りとおした 歳月を
ひろい集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です

君は二杯目だよね コーヒーカップに
角砂糖を ひとつだったね
捨てて来てしまった
わずらわしさだけを くるくるかきまわして
通りすぎた 夏の匂い
想い出して 懐かしいね
襟裳の春は 何もない春です

日々の暮しは いやでも やってくるけど
静かに笑ってしまおう
いじけることだけが
生きることだと 飼い馴らしすぎたので
身構えながら 話すなんて
ああ おくびょうなんだよね
襟裳の春は 何もない春です

寒い友だちが 訪ねてきたよ
遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ


作詞 / 岡本おさみ
作曲 / 吉田拓郎

1974






■ 昭和譜心 ■


当時
北海道の
襟裳岬を勝手に
想像して “ええ曲やん!”
歌詞の意味は深く考えず聴いていた
今日、半世紀という大台に乗った私は、ようやく
拓郎の 「今はまだ人生を語らず」 の
一部分がほどけてゆく感覚に
遭遇できた気がする
“何もない春”
こそが
人生の
始まりであって
また、終りでもあるような
結局のところ “人生(人の生)” は
“何もない状態” に自身を置いてみない限り
本当の自分色なんて見つからない
この人生が夏色なのか
秋や冬色なのか
それとも




第五大成丸



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2 コメント

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何もない (kantarooka)
2009-11-26 14:20:18
実は昨日のうちにこの日記を読ませていただいたのですが、何とコメントしたらいいのかわからずスルーしてしまいました。

動画では苦しみも笑って吹き飛ばせ!みたいな物を作ってみましたが、そんな甘い物じゃないことは十分わかっています。

最近は恋人もでき不安な顔も見せられませんが、この先の事を考えると不安でいっぱいです。

何かを、確かに何かを持った時期があったから何もない状態に戻ることは怖い気がします。

第五大成丸さんの何もないとは意味が違いますが、私の何もないは怖さと共にやってくる気がします。
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Re:start (第五大成丸)
2009-11-26 15:28:04
> kantarooka さん
 
元々、“何もなければ” 怖さはないのだろうと思います。
大人になれば、中途半端であっても、“やってきた” “やれていた” という
自負があるから余計に、本当に “何もなくなった” 時のことを考えると
何ともいえない怖さが何処からともなく襲ってくるのだと共感します。
でも、そこから Re:start しなければ進まないことも理解できる歳となり、
今まで避けてきたことまでも覆い被さってきて、一層厄介な気分にもなります。
まずは、自分から “何もない状態” を受け入れてみることかもしれません。
今、私はそう考えています。例えば、初めて動画を作ろうとした時の
レベルにもう一度自分を戻してみるということかもしれませんね。
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