春は出会いと別れの季節ですね~(・ω・)ノ
少年部は本日、定期昇級審査です。一堂に会した子供たち。
昇級審査は、何時もの稽古と違って割とスムーズに運ぶことができました。
全体的には、木曜日クラスとは反対に、あきらかに動きが良かった。少年部みんなでする昇級審査という雰囲気の違いのせいもあるのでしょうか。
それでも、知らぬ間に成長していたのだなと、思わせる場面が幾度もありました。
みんな、やったら出来る子なんやな!
もちろん、合格の子もいれば、不合格の子もいますが、それはそれ。一人ひとり自分のペースで出来るようになっていけばいいと思います。
ともかく、おかげで無事昇級審査を終了することが出来ました。
そして、本日で最後の稽古になった子がいます。
少年部開設当初から通ってきたSイナです。この4月から中学生になり、部活に専念するため、我が道場も卒業です。
一人学年が大きく、みんなのお姉さんとして、引っ張ってくれてました。
ただ、弟のTカトがまだ4月から3年生なので、たまに顔を出してくれると思います。
「暇な時、顔を出してTカトをしばいてくれ(笑)」
記念の盾とSイナ。
続いて、一般部。
一般部からも一人卒業者が。
このブログには滅多に出てこなかった(いや、出てきたことはなかったかも…)ですが、この道場開設のきっかけとなった人物です。いわゆる一番弟子と言えるのでしょう。
「空手がしたいんですけど…」クリクリ坊主の中学生が私に言ってきた言葉です。
それが始まりでした。
当時、道場など運営していなかった時ですので、地域で活躍されている名のある道場を教えはしたのですが、「中学校で吹奏楽部もやっているので、時間が合わないんです」
とのことで、軽い気持ちで、じゃあ、教えてあげよう、となったのでした。
当時は、まだ沖縄武道空手に出会ってなかったので、空手稽古とはミットと組手と体力だ!という考えでした。基本練習をやった後はひたすらミット、その後組手をして、最後に体力作りというメニューでした。
ということで、本日は参加者も少なかったこともあって、ミットと組手を中心に稽古をしました。
6年前を思い出します。
Hガクさん、初めてのミット打ち。
ちなみに彼には茶帯を与えていますが、彼曰く、2年間ほぼ休んでいたので、茶帯の資格が無く、今日は白帯でやりますとのこと。真面目で謙虚な人間でありながら負けず嫌いです。私とは親子ほどの年齢差がありますが、実は彼のそんなところを私は尊敬しています。
後はひたすら組手。
中学二年の11月だったと思います。最初は私服で空手の稽古を行なっていました。当時は道場なんて大それたことをするつもりもなかったので、一年半は体操着で行っていました。
中学三年生になって受験シーズンに入ってもほぼ休むこともなく、通い続け、稽古の強度も変えることもありませんでした。
そして、難関と思われた呉高専に合格したのを機に、入学祝いとして道衣をプレゼントしました。高専に入学してから、バドミントン部に入部してもクラブと両立させ、毎週通ってきてくれました。高校の部活ですから、基礎体力はどんどん付いていきます。
高専は勉強も大変です。そういえば、入学早々、測量学の授業があっていきなり三角関数が出てさっぱり理解出来ないと言っていたのを思い出します。
そんな彼も高専の授業が専門になるにつれて、遅くまで授業や実験が続き、来れなくなる日が増えてきました。ちなみに卒論は卒業式の次の日までかかったそうです。入学時45人いたクラスメイトで、ストレートで卒業出来たのは28人のみという厳しさです。普通の高校ならあり得ないですね…。
ですから、高専5年間のうち、最後の2年間は一回道場に来たかどうかくらいでした。しかし、就職も決まり四月から社会人となるケジメとして、最後に挨拶に来てくれたのはとても嬉しいことでした。
そして、最後に組手をしてみると、2年間休んでいたとはいえ、部活で基礎体力はついています、強くなっていました。
6年前、初めて組手を相手をした時は、私に当てることすら出来なかった彼が打ち合いが出来るまでになっているのです。
強くなっている姿に嬉しさをおぼえると同時に、これからも一緒に稽古が出来たらどれだけ楽しみなことかと、一抹の寂しさもありました。
また、私は、二年半前から新垣師範に直接指導を受け(ちなみに彼も一日だけですが、新垣師範の講習会に参加しました)、その日から自分の動きを全て改良すべく一から再修業することとなりました。そのため、それまでのことを捨て、全く違うことをしなければならない状況に、彼には申し訳ないことをしたと思います。今までやっていたことは間違いだった、という訳ですから。
もう少し時間があればもっとちゃんとしたことを教えられるのに、と悔やまれるところです。
この道場での指導が良いものだったかは分かりません。しかし、私は一度たりとも手を抜いたことはありません。これだけは、胸を張って主張出来ます。
それは彼の熱心さが私にそうさせたのかもしれません。
稽古終了後には彼のお母様も来られ、御礼をいただきました。そして、昔話や今の道場の状況などの話に花を咲かせ、別れを惜しむかのように遅くまで時間を費やしました。
今でこそ、当道場には沢山の人間が少年部と一般部に通って来ていますが、彼の「空手をやりたいんです」の一言がなければ、全て存在しなかったかもしれません。
最初2年半はマンツーマンのたった2人だけの道場でした。巷にはいくらでも空手道場が乱立している時代に、わざわざ私のところに本当に熱心に通ってくれました。
彼がいたから、私は、気負うことなくこの道場を始められ、ここまで人数が増えたのです。
彼は、4月から青森で新たに人生の一歩を踏み出します。高専で学んだことを生かし、社会で活躍してくれることでしょう。
盆と正月には広島に帰って来て、運動不足解消に道場に顔を出しますと言ってくれます。
彼には多くの機会を与えてもらえたと思っています。本当に感謝してもしきれません。
社会人としての活躍に期待しております。O河Y祐に栄光あれ!
終わり(=゜ω゜)ノ
少年部は本日、定期昇級審査です。一堂に会した子供たち。
昇級審査は、何時もの稽古と違って割とスムーズに運ぶことができました。
全体的には、木曜日クラスとは反対に、あきらかに動きが良かった。少年部みんなでする昇級審査という雰囲気の違いのせいもあるのでしょうか。
それでも、知らぬ間に成長していたのだなと、思わせる場面が幾度もありました。
みんな、やったら出来る子なんやな!
もちろん、合格の子もいれば、不合格の子もいますが、それはそれ。一人ひとり自分のペースで出来るようになっていけばいいと思います。
ともかく、おかげで無事昇級審査を終了することが出来ました。
そして、本日で最後の稽古になった子がいます。
少年部開設当初から通ってきたSイナです。この4月から中学生になり、部活に専念するため、我が道場も卒業です。
一人学年が大きく、みんなのお姉さんとして、引っ張ってくれてました。
ただ、弟のTカトがまだ4月から3年生なので、たまに顔を出してくれると思います。
「暇な時、顔を出してTカトをしばいてくれ(笑)」
記念の盾とSイナ。
続いて、一般部。
一般部からも一人卒業者が。
このブログには滅多に出てこなかった(いや、出てきたことはなかったかも…)ですが、この道場開設のきっかけとなった人物です。いわゆる一番弟子と言えるのでしょう。
「空手がしたいんですけど…」クリクリ坊主の中学生が私に言ってきた言葉です。
それが始まりでした。
当時、道場など運営していなかった時ですので、地域で活躍されている名のある道場を教えはしたのですが、「中学校で吹奏楽部もやっているので、時間が合わないんです」
とのことで、軽い気持ちで、じゃあ、教えてあげよう、となったのでした。
当時は、まだ沖縄武道空手に出会ってなかったので、空手稽古とはミットと組手と体力だ!という考えでした。基本練習をやった後はひたすらミット、その後組手をして、最後に体力作りというメニューでした。
ということで、本日は参加者も少なかったこともあって、ミットと組手を中心に稽古をしました。
6年前を思い出します。
Hガクさん、初めてのミット打ち。
ちなみに彼には茶帯を与えていますが、彼曰く、2年間ほぼ休んでいたので、茶帯の資格が無く、今日は白帯でやりますとのこと。真面目で謙虚な人間でありながら負けず嫌いです。私とは親子ほどの年齢差がありますが、実は彼のそんなところを私は尊敬しています。
後はひたすら組手。
中学二年の11月だったと思います。最初は私服で空手の稽古を行なっていました。当時は道場なんて大それたことをするつもりもなかったので、一年半は体操着で行っていました。
中学三年生になって受験シーズンに入ってもほぼ休むこともなく、通い続け、稽古の強度も変えることもありませんでした。
そして、難関と思われた呉高専に合格したのを機に、入学祝いとして道衣をプレゼントしました。高専に入学してから、バドミントン部に入部してもクラブと両立させ、毎週通ってきてくれました。高校の部活ですから、基礎体力はどんどん付いていきます。
高専は勉強も大変です。そういえば、入学早々、測量学の授業があっていきなり三角関数が出てさっぱり理解出来ないと言っていたのを思い出します。
そんな彼も高専の授業が専門になるにつれて、遅くまで授業や実験が続き、来れなくなる日が増えてきました。ちなみに卒論は卒業式の次の日までかかったそうです。入学時45人いたクラスメイトで、ストレートで卒業出来たのは28人のみという厳しさです。普通の高校ならあり得ないですね…。
ですから、高専5年間のうち、最後の2年間は一回道場に来たかどうかくらいでした。しかし、就職も決まり四月から社会人となるケジメとして、最後に挨拶に来てくれたのはとても嬉しいことでした。
そして、最後に組手をしてみると、2年間休んでいたとはいえ、部活で基礎体力はついています、強くなっていました。
6年前、初めて組手を相手をした時は、私に当てることすら出来なかった彼が打ち合いが出来るまでになっているのです。
強くなっている姿に嬉しさをおぼえると同時に、これからも一緒に稽古が出来たらどれだけ楽しみなことかと、一抹の寂しさもありました。
また、私は、二年半前から新垣師範に直接指導を受け(ちなみに彼も一日だけですが、新垣師範の講習会に参加しました)、その日から自分の動きを全て改良すべく一から再修業することとなりました。そのため、それまでのことを捨て、全く違うことをしなければならない状況に、彼には申し訳ないことをしたと思います。今までやっていたことは間違いだった、という訳ですから。
もう少し時間があればもっとちゃんとしたことを教えられるのに、と悔やまれるところです。
この道場での指導が良いものだったかは分かりません。しかし、私は一度たりとも手を抜いたことはありません。これだけは、胸を張って主張出来ます。
それは彼の熱心さが私にそうさせたのかもしれません。
稽古終了後には彼のお母様も来られ、御礼をいただきました。そして、昔話や今の道場の状況などの話に花を咲かせ、別れを惜しむかのように遅くまで時間を費やしました。
今でこそ、当道場には沢山の人間が少年部と一般部に通って来ていますが、彼の「空手をやりたいんです」の一言がなければ、全て存在しなかったかもしれません。
最初2年半はマンツーマンのたった2人だけの道場でした。巷にはいくらでも空手道場が乱立している時代に、わざわざ私のところに本当に熱心に通ってくれました。
彼がいたから、私は、気負うことなくこの道場を始められ、ここまで人数が増えたのです。
彼は、4月から青森で新たに人生の一歩を踏み出します。高専で学んだことを生かし、社会で活躍してくれることでしょう。
盆と正月には広島に帰って来て、運動不足解消に道場に顔を出しますと言ってくれます。
彼には多くの機会を与えてもらえたと思っています。本当に感謝してもしきれません。
社会人としての活躍に期待しております。O河Y祐に栄光あれ!
終わり(=゜ω゜)ノ