またしても風邪を引いてしまいました。
どうも虚弱体質でいけません。
インフルエンザでない(病院検査結果)
のがせめてもの救いです。
さてさて、先日、結婚式の斎主を
頼まれまして行ってきました。
そこで、新郎新婦に綺麗な礼の仕方、
正しい姿勢のとり方を教授致しました。
新婦さんは商業高校出身だったようで、
学校で事細かに指導を受けたはずなのに、
こんな分かり易い指導を受けたのは初めてだと
おっしゃって頂きました。
私の指導したのは、いつも道場で指導していることで、
人の姿勢は骨盤で決まるという事だけです。
日本文化とは腰の文化であり、
腰とは即ち、骨盤であると愚考しております。
ですから、礼とは体を倒すことでなく、
骨盤を傾けることであり、
結果として、体が傾くだけである。
姿勢を正すことも、骨盤を立てることであり、
結果として背筋が伸びるだけのことであります。
この骨盤が上手く使えて始めて武術の
動きが可能となってきます。
なぜなら、骨盤の位置によって
体全体の重心が決定されるからである。
日本武術は、全てに於いて、この重心を
無駄なく使い、強力な力を生み出していくことに
主眼を置いています。
ところが、現在ではこの働きを一切無視して、
筋力のみを頼って力を生み出して、
これを武道の動きだとしている人が殆どだと言えましょう。
勿論、武術を行うに当たって筋力は必要でありますし、
私も子供達には、まず体力を付けることを奨励しています。
問題は体の使い方にあるのです。
さらに日本人のすごいところは、
この体の使い方を、武術だけでなく、作法、礼法に於いても
同じく体系付けされているのです。
私は、家業が神職であるので多くの礼法、作法を学ばされました。
まだ年少の頃はなぜこんなに無駄で形式張ったことをするのだろうと、
不満に思っていました。
しかし、それは大きな間違いであり、武術的動きを追求してみると、
神職の作法が如何に効率的で、無駄のない動きであるかということに
気付かされたのであります。
これは、神職だけ無く、茶道、能、礼法、全てに於いて
共通しているのです。
私はよく「武術的身体操作」という言葉を使っているが、
本当は「日本伝統的身体操作」の方が的を射ているのかもしれません。
まさに全ての道は一つなのである!!
なぜこんなこと書いたかというと、
近年よくテレビなどで歩き方について特集されている。
(歩き方も姿勢が要となっている)
曰く、健康な歩き方、曰く、ダイエットに効く、
曰く、綺麗な歩き方、はては、正しい歩き方。
私に言わせれば、全て、非効率的であり、無駄な力ばかり使い、
体に余分な力がかかり、下手をすれば、年を取ったとき体に負担が
かかるモノばかりである。そして、決して美しくなく、
そもそも日本人はそんな歩き方はしないはずだ!!
とはいうもののここまで日本人が己の体が使えなくなったのは、
日本の文化を捨ててきた結果であり、同時に、日本人の動きを
分析、研究してこなかったツケが回ってきたのでしょう。
武道に限らず、日本文化の芸道は、師匠に細かく教わるのでなく、
見て覚える「見取り稽古」を是としています。
見取り稽古は学ぶ姿勢を作る上では非常に優れたやり方であります。
しかし、現在はあまりに情報が氾濫しており、選択肢が多く存在し、
少し判断を誤ると全く別の行動をしてしまう危険を常に孕んでいます。
それ故に、これからの伝統文化を受け継ぐ者は
自分の受け継いできたモノの何が優れ、
どのように行っており、それがどういう意味を持つのか
細かく分析する義務があると言えましょう。
理論無きモノは、理論あるモノに簡単に駆逐されてしまいます。
それがたとえ間違いであったとしても。
その為に、戦後多くの情報が、日本文化を駆逐していったのです。
日本人の伝統的な体の使い方は、世界的に見ても類を見ない
非常に優れたものであると確信しています。
それを、研究分析なしで捨ててしまうのは、
日本人にとって、いや、世界にとっての損失であるとまで言えましょう。
そして、この行動様式が優れた思想を生み、文化を生み、
芸術を生み、感覚を生み、人間を育んできたことを再認しなければ
ならない時期にきているのでしょう。
そのために我々は、なにが本物で、何が偽物か見分ける審美眼を
養っていかなければならないのです。
前述の新郎新婦さんは結婚式に於いて
見事な姿勢を保ち、美しい礼をされました。
日本文化は何も難しくないのです。
ちょっとした気付きで、全く別のモノに変わり、
その人間の認識まで変えてしまう作用があります。
ああ素晴らしきかな日本文化。
どうも虚弱体質でいけません。
インフルエンザでない(病院検査結果)
のがせめてもの救いです。
さてさて、先日、結婚式の斎主を
頼まれまして行ってきました。
そこで、新郎新婦に綺麗な礼の仕方、
正しい姿勢のとり方を教授致しました。
新婦さんは商業高校出身だったようで、
学校で事細かに指導を受けたはずなのに、
こんな分かり易い指導を受けたのは初めてだと
おっしゃって頂きました。
私の指導したのは、いつも道場で指導していることで、
人の姿勢は骨盤で決まるという事だけです。
日本文化とは腰の文化であり、
腰とは即ち、骨盤であると愚考しております。
ですから、礼とは体を倒すことでなく、
骨盤を傾けることであり、
結果として、体が傾くだけである。
姿勢を正すことも、骨盤を立てることであり、
結果として背筋が伸びるだけのことであります。
この骨盤が上手く使えて始めて武術の
動きが可能となってきます。
なぜなら、骨盤の位置によって
体全体の重心が決定されるからである。
日本武術は、全てに於いて、この重心を
無駄なく使い、強力な力を生み出していくことに
主眼を置いています。
ところが、現在ではこの働きを一切無視して、
筋力のみを頼って力を生み出して、
これを武道の動きだとしている人が殆どだと言えましょう。
勿論、武術を行うに当たって筋力は必要でありますし、
私も子供達には、まず体力を付けることを奨励しています。
問題は体の使い方にあるのです。
さらに日本人のすごいところは、
この体の使い方を、武術だけでなく、作法、礼法に於いても
同じく体系付けされているのです。
私は、家業が神職であるので多くの礼法、作法を学ばされました。
まだ年少の頃はなぜこんなに無駄で形式張ったことをするのだろうと、
不満に思っていました。
しかし、それは大きな間違いであり、武術的動きを追求してみると、
神職の作法が如何に効率的で、無駄のない動きであるかということに
気付かされたのであります。
これは、神職だけ無く、茶道、能、礼法、全てに於いて
共通しているのです。
私はよく「武術的身体操作」という言葉を使っているが、
本当は「日本伝統的身体操作」の方が的を射ているのかもしれません。
まさに全ての道は一つなのである!!
なぜこんなこと書いたかというと、
近年よくテレビなどで歩き方について特集されている。
(歩き方も姿勢が要となっている)
曰く、健康な歩き方、曰く、ダイエットに効く、
曰く、綺麗な歩き方、はては、正しい歩き方。
私に言わせれば、全て、非効率的であり、無駄な力ばかり使い、
体に余分な力がかかり、下手をすれば、年を取ったとき体に負担が
かかるモノばかりである。そして、決して美しくなく、
そもそも日本人はそんな歩き方はしないはずだ!!
とはいうもののここまで日本人が己の体が使えなくなったのは、
日本の文化を捨ててきた結果であり、同時に、日本人の動きを
分析、研究してこなかったツケが回ってきたのでしょう。
武道に限らず、日本文化の芸道は、師匠に細かく教わるのでなく、
見て覚える「見取り稽古」を是としています。
見取り稽古は学ぶ姿勢を作る上では非常に優れたやり方であります。
しかし、現在はあまりに情報が氾濫しており、選択肢が多く存在し、
少し判断を誤ると全く別の行動をしてしまう危険を常に孕んでいます。
それ故に、これからの伝統文化を受け継ぐ者は
自分の受け継いできたモノの何が優れ、
どのように行っており、それがどういう意味を持つのか
細かく分析する義務があると言えましょう。
理論無きモノは、理論あるモノに簡単に駆逐されてしまいます。
それがたとえ間違いであったとしても。
その為に、戦後多くの情報が、日本文化を駆逐していったのです。
日本人の伝統的な体の使い方は、世界的に見ても類を見ない
非常に優れたものであると確信しています。
それを、研究分析なしで捨ててしまうのは、
日本人にとって、いや、世界にとっての損失であるとまで言えましょう。
そして、この行動様式が優れた思想を生み、文化を生み、
芸術を生み、感覚を生み、人間を育んできたことを再認しなければ
ならない時期にきているのでしょう。
そのために我々は、なにが本物で、何が偽物か見分ける審美眼を
養っていかなければならないのです。
前述の新郎新婦さんは結婚式に於いて
見事な姿勢を保ち、美しい礼をされました。
日本文化は何も難しくないのです。
ちょっとした気付きで、全く別のモノに変わり、
その人間の認識まで変えてしまう作用があります。
ああ素晴らしきかな日本文化。
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