「西美濃の正倉院」と言われ805年に最澄が創建したと伝えている。
伝教大師が自作の薬師如来を祀った寺であり、比叡山の薬師如来と同じ木から作ったと言います。
妙心上人の舎利仏(ミイラ)が安置されている場所です。
「横蔵寺」という名は、笈が横転しになったことに由来し。
山号は金剛界と胎蔵界の両界を表す「両界山」である。
伝教大師が自作の薬師如来を祀った寺であり、比叡山の薬師如来と同じ木から作ったと言います。
妙心上人の舎利仏(ミイラ)が安置されている場所です。
「横蔵寺」という名は、笈が横転しになったことに由来し。
山号は金剛界と胎蔵界の両界を表す「両界山」である。
寺伝によると798年奥州の大口大領が京で十一面観音像をつくらせ、奥州へ帰る途中、霊夢によってこの地に安置したのがはじまりであるという。
また党を建立するときに谷の間から湧き出した油をくんで観音の灯明に使ったことから「谷汲」といわれるようになったとか。
また党を建立するときに谷の間から湧き出した油をくんで観音の灯明に使ったことから「谷汲」といわれるようになったとか。