和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

二人の死

2007-04-22 06:00:45 | カメラ
二人が好きだった上高地

最近なくなった和尚の写友KさんとMさん。
62歳と59歳。
二人とも独身。(婚歴なし)
和尚は二人と穂高岳涸沢で出会いました。
同じころです。もう20年になります。
Mさんは穂高岳と結婚したような人で、
寡黙で、笑顔が印象的でした。
名前の邦兵を→邦岳と改名して、
[ひとりぼっちの穂高]の名刺を持って、
洒落たエッセイまがいの<戯言>を書いていました。
写真を撮るというよりも、
穂高に同化したいという観念が強かった。
Kさんがなくなったのは一昨年。
癌でした。
写友に恵まれ、一周忌に追悼撮影会・偲ぶ会を、
仲間たちの協力で行われ、写真集まで発刊しました。
穂高の写真を撮る者で、
Kさんの名前を知らない人はいません。
若い頃、オートバイのレーサーだった。

一方、昨日のブログで書いた‘事実’は
Mさんの死でした。
糖尿病が進行していて、
ヤバイのはわかっていましたが、
本人にその危機感がありませんでした。
京都の写真展に来られなかったので、
入院でもしているのかな・・・と思っていたくらいです。
協会支部の郵便が返送されてきたので、
ひょとしてと思いMさん宅に行きました。
それが昨日です。
空き部屋になっていました。
近所の人に話を聞こうにも、
話すことはないと断られました。
幸い同じ棟の子供(Mさんの1階上)が遊んでいたので
聞くことが出来ました。
「おじさん死んだよ。病気で死んだよ。・・・」
いわゆる孤独死でした。
発見が死後何日か経っていたので、
話したがらない住民感情はわかります。
MさんはKさんと違ってよくしゃべりました。
人懐こい、責任感のある、情のある人で、
プロ写真家を夢見ていました。
カメラとレンズに拘りを持った人で、
和尚もよく教えてもらいました。
また、剣道の有段者でもあり、強い相手を求めて、
大阪府警で練習したと言っていました。
自分を守るには棒切れ一本あれば大丈夫と豪語していた割には、
糖尿で倒れたのには情けない。
徳島出身ですが、在所の詳しいことはわかりません。

対照的な二人の死、
死んでいくことでは一緒でも、
残った者にはMさんの死には、
遣り切れなさを感じます。
和尚は×イチの独身です。
孤独死を念頭において生活していきます。
ご冥福を祈ります。
合掌。

二人が好きだった穂高の写真を掲載して偲びます。
①奥穂高岳
②夏の涸沢
③田代池
④田代湿原
⑤昇雲
⑥北穂高岳
⑦雲流れる
⑧二人が昇っていくようだ。